世界の片隅で -夜・1-
からんからんと音を立てるドア。
ここは、裏町通りの小さな小さな店。
看板も出さないから、訪れるのは迷い込んだ人間か常連くらいのもので。
それでも、客足が途絶えたという話しは聴いたことがないし、なんだかんだと自分のように通ってしまう人間が多いのだろうことも見て取れる。
昼間は、菊という東洋人を店主として喫茶店を営み軽食などを供しているこの店は、夜になるとその姿を変える。
まず、店主は赤い目をした銀の髪の痩躯の男に変わって、そうしてここは酒を供するバーになるのだ。
いわゆるアルビノと呼ばれる形質を持っている男は、少し特徴がかった笑い方をする。
あとは、飲食店だというのに小鳥を肩に乗せていたりもする。
しかし、酒への造形は驚くほど深く・・・否、酒だけではない。この店に訪れる様々なバックグラウンドを持った客の話のおおよそを、彼はこともなげに解してさらりと会話を作り上げるのだ。
昼の喫茶の店主である菊は、読書家で勤勉であるから、もちろん知識は深いし話していて確かな知性を感じさせる。
もちろん専門外のことはあるし、そういったときは素直に相手の話しを聴いてふむふむとうなずいてくれるのだが、この男は少し違う。
先ほどを繰り返すようではあるが、つまり「知っている」かつ「識っている」のだ。
軽い口調や独特の話し方に気づかないものも多いのだが・・・ふつう、その道に進んでいるものの話しは、同業者でなければなかなか理解できない状況というものが存在する。「あーそうだよな、あるある」なんて馬のあいかたは、つまり互いに同じことを経験していなければおおよそ理解できないものなのだ。・・・もしくは、その経験について身近にきいていなければ。
小難しい教授の話しも、配管工の話しも、確かこの間は新人のミュージシャンの話しも聴いていたとぼんやりとアーサーは思い出していた。
昼間の店主はほとんど聞き手に回ることが多い。
アーサーのように旧知の仲であり、ある程度お互いの距離間をつかめている場合は自分の話をしてくれるときもあるけれども、ほとんどの場合は相づちを打って時折一言二言を挟むにとどめる。
控えめなその聞き手の姿勢は、昼間における多くの客のいらいらやもやもやをうまく発散させて吸い取ってくれるものだから、カウンセラーにも近いのかもしれない。
けれども、夜の店主は違う。
彼は、驚くほどにうまく、相手を聞き手に回してしまう。
自分だけが話しているのではなく、「そうだよな!!そうそう、わかってくれるか!」という相づちが返るように、相手の欲している話題を先回りしてするりと提供してしまうのだ。
だから、昼の店の客が「聞き手」を求めてくるのだとしたら夜の店には「会話」を求めてくる客が多い。
もちろん、昼も夜も店主たちは供する茶や珈琲、酒に料理のたぐいには一切の手を抜かないので、それを目当てに来る客がほとんどなのだけれども。
「お、珍しいなおまえが夜にくるなんて!俺様が恋しくなったのか?ケセセセセッ!」
昼においても夜においてもほとんどアーサーのおきまりの席となっているカウンターの端に腰を下ろすと、ちょうどシェイカーをおいてグラスに中身を注ぐところであった店主が笑いかけてきた。
テーブル席のカップルにつまみと酒を供して戻ってきた店主は、すぐに別のグラスに氷を入れて酒を作り始める。
アーサーがぼんやりとカウンターの木目を眺めていれば、なるほどあれだけ器用に酒を作るはずだと納得させるような、細いだけではなく、けれどもしっかりと使い込まれた肌理の細かい白い手がグラスとつまみを放って寄越した。
放って寄越したというのは正しくない。
シェイクではなくビルドで作られているグラスの中身を崩すことの無いようにぴたりとテーブルにおかれているのだけれども、どうにも放られるという表現がぴたりと当てはまって見えるのは、彼のまとう雰囲気によるものだろうか。
注文もしていないうちにさっさと酒を寄越すのに(しかも、昼の菊とは異なり毎回種類も作り方も異なるものだ)、不思議と文句を付けられないのはどうしてだろうかといつも思う。
本当に初めての頃こそどうしてのみたい酒を飲ませてくれないのかと不満を持ったこともあったのだけれども、いつの間にかなれてしまった自分を思えばきっと、この店主は人を見て飲みたい酒を即座に判断しているのだろうと思うことができるようになった。
アーサー自身はあまり明るく話す方ではないので昼の菊の時よりはこの店主と話すことは多くはないのだけれども、アーサーの苦手なはずのこの明るい男はどこか自分と同じにおいを感じて不快ではない。
つまみに添えられているのはヴルストとマッシュしたポテトで、彼の祖国の代表料理であるそれは、素材の味をそのまま味わう素朴なものであって、時折自分の腐れ縁はもっと手を加えてもいいと思うのにとぼやいていたが、アーサーはこれも結構いけると思っている。
しばらくつまみをつつきながら酒を味わっていると(癪ではあるが、今日の酒もきっちりとアーサーの好みに当てはまっていた)、ひと段落ついたのか珍しく店主がアーサーに話しかけてきた。
「坊ちゃん顔色悪いな!!どーした?」
昼に、菊に言われたのと同じせりふをかけられてしまえば、自分ではそうとまで思っていなかったけれどもかなりひどいのだろうことは予想がついてしまう。
加えて言えば、踏み込んでくるように見せかけて、相手の踏み込んできて欲しくない領域にはあまりふれてこないたちである彼にしては珍しいといえるだろう。
「・・・それ、昼にも言われた」
「ケセセセセっ、昼間にも言われんなら相当だな。・・・今日はヴェストにレシピ教わって作ったんだぜ、ま、食っとけよ」
ことり、と耐熱皿がテーブルにおかれた。
そこで湯気を上げているのは、おそらくグラタンだろう。彼の話しによくでてくる弟は、趣味が料理(というよりお菓子作り。時折昼間の店に並ぶ菓子のたぐいも作っているときがある)であるらしく、よく店のメニューも考案してくれるらしい。
このグラタンもそんな一つであるらしいことは見て取れる。・・・この店主は弟のことをとてもとてもかわいがっているので、弟の考案した料理を出すときはいつだって誇らしげなのである。
「菊といいおまえといい、人にやたら食わせたがるな・・・」
すっと出されたフォークを受け取って、おとなしくグラタンに突き刺せば、湯気を上げるホワイトソースからふわりと優しい香りが漂ってきた。
高級な料理ではない。
暖かな家庭料理、それが一番当てはまる。
アーサーにはおおよそ縁の無かったものだから、鼻をくすぐるそれに知らず視界がぼんやりと水分で潤みかけた。
先に出されたグラスの中身はすっかりと胃の中に収まっていたので、さて次の酒を頼もうと思えば、出されたのは花の香りのする白い陶器に入った茶であった。
目で楽しませるように、陶器には花や茶葉がまるで水中花のように沈んでおり、ふわりと甘い香りが届くことを考えると砂糖も入っているのだろう。
視線だけをその赤い瞳(本当は、その瞳は色などついていないのだという。赤は、つまり彼の生命の色と同義であるのだ)にぶつけて疑問を投げかければ、猫のようにすぅっと細められたそれが笑みの形に変わる。
いつもどこかふざけた・・・道化のような印象を与える態度が引き込んで、弟を見る兄のような、息子を見る父親のような、孫を見守る祖父のような、そんな色が赤ににじんだ。
「昨日おまえんところの可愛い弟ちゃんがきて、「アーサー兄さんがきたら、ご飯を食べさせてあげてください」って言ってたぜー。うちのヴェストの方が可愛いけど、マシューだっけか。ま、兄貴思いのいい奴だな」
「・・・マシューが、わざわざ来たのか・・・」
ふわふわと柔らかい雰囲気を持つ四つ年下の弟(もう、どのくらい顔を見ていないだろうか)が、いつ兄が訪れるかもわからない店に顔を出してわざわざそんな言付けを残していったというそれを聴いて、ああ心配をかけてしまったな。なんてぼんやりと思う。
突っついたグラタンの味と同じように、優しい優しい家族の味だ。・・・もう一度、目の前に少しばかり水の膜が張った。
「・・・ま、たまには会ってやれよ?素直じゃない方の弟ちゃんだって、心配してるだろうしなー。俺様の可愛いヴェストだって、三日も会わないとメールやら電話やら・・・いやもう俺様愛されてるぜー」
補足するとすれば、目の前の店主は一日数回は弟に電話やメールをしているはずだが、そこはあえてつっこまないことにしておこう。
(たまには、会いに行くか・・・)
ついこの間までかたくなだった自分の心を、間接的に溶かしてしまう不思議な空間。
それをこの目の前の店主が作り出しているのだと思えば、やはりこの店は不思議な魔力を持っているのかもしれないと、アーサーは胸にしみこむような甘い茶を、流し込んだのであった。
夜の部はギルさんが店主でございます。
お菊さんはきっと、夜は原稿で忙しいのですよ(笑)
どうしてギルさんが夜担当なのかと言いますと、ビールについて語らせたかったとかいうのもありますが、ギルさんの目が紫外線に弱いという設定を持っているからです。
アルビノの方全般ではありませんが、確か色彩がないぶんダイレクトに目に紫外線の影響がいきやすい・・・とかだったような気がしたので。
紫外線を受けすぎてしまうと、少しものが見えづらくなってしまうという設定。ちょっと遠視気味でございます。でもあんまりめがねが好きではないので、つけたくないギルさん。
過保護な弟さんが、昼間はあまりお兄さんを出歩かせたくないとかそんな裏設定。ここの兄弟はなちゅらるにラブラブが私の中のデフォルト設定です。
この「世界の片隅で」は、町の裏通りの小さな小さなお店に訪れるお客さんと昼と夜の店主たちのお話です。
今回は眉毛様がでてきましたが、これから先はいろんな人たちがでてくる予定です。
2010/11/23up