世界の片隅で -夜・2-
久しぶりに空の機嫌が良かったのか、雲の機嫌が悪かったのか。
きらきらと星の瞬く時間帯、表通りとは少し離れた、活気の少ないとある町のとある裏通り。
住み慣れたり、歩きなれた住民でなければ踏み入れないそこを、少し気弱そうな、メガネをかけた青年が一人あるいていた。
裏通りに、もし柄の悪そうな連中がいれば一発で因縁を付けられそうな、そんな人の良さと穏やかさのにじみ出る見た目であるのにも関わらず、彼の迷いのない足取りがそれを裏切っている。
”慣れている”
そう思わせるものがあるからこそ、彼はそういったごろつきのターゲット足り得ない。
裏には裏のルールがある。
彼らは、コミュニティにおいて一定のルールでもって動いており、それは時に表世界のそれよりも厳しいものである。
「身内」に手を出す無かれ。
つまり、青年がこの裏町にとって「内側」足り得るからこそ、今夜もこのぽやぽやした青年は自らの目指す場所にたどり着けるのである。
からんころん
音を鳴らして開かれたドアの先には、珍しく店主が一人グラスを磨いているだけだった。
確かに星もでるような時間帯ではあるけれども、十分に酒を楽しむに足りる時間でもある。
確かに看板の出ていないこの店は大勢の目に留まることはないけれども、青年・・・マシューが知っている限りでは、たいていこの夜の店主は誰か客と一夜の話題に盛り上がっていたものだ。
だが、この状況は同時にマシューがこっそりと心に望んでいたものでもある。
少しばかり、この店主と二人で話しがしたかった・・・そう望みながら歩いてきたからだろうか、店にとって喜ばしいことではないだろうが、店内には客はマシュー一人。
「お、マシューじゃねーか。どうした、久しぶりだな!」
彼の肩に乗る、彼の相棒である小鳥が、ピヨピヨと彼に応じるように鳴いた。
たいていは夜の店主である彼の、銀色の髪を定位置に決めている小鳥は、今日もその特等席で店を見渡しているようだ。
「お久しぶりですギルベルトさん。ええ、ちょっと会いたくなってしまって」
そう挨拶をすれば、かっこいい俺様と小鳥に会いたくなるのはまぁ仕方ないことだけどな!と無駄に胸を張って特徴的な笑い方で笑う店主。
「外、寒いか?」
「ええ、少し寒いですね。そろそろ、雪が降るかもしれません」
マシュー自身は、昔寒い地域にすんでいたこともあってそれほど寒さに弱いわけではない。
けれども、いわれてみれば確かに、暖房がゆるりと入れられた店内においては、じんわりと自分の手の先が熱を帯びて感覚を取り戻していくのを知る。
暖まってみるまで、凍えていることにも気づかない・・・どこか、人の持つ矛盾ににていた。
幸福を得るまでは、凍えていた孤独にも気づけない、そんな。
そして、孤独を得るまでは、包まれていた幸福にも気づかない、そんな。
「こないだ、おまえにもらったメイプルシロップな、菊がお客に評判がいいってよ。・・・おら、今の時間はバーだけど、特別な」
赤い瞳が細められて、どこかマシューの知るあの人と同じ、弟をみるような目だとぼんやり思う。
ことんとおかれたマグは・・・きっとそれは店主の私物なのだろう、昼の時間にもそんな無骨なマグはみたことがなかったから・・・何の飾り気もないからこそ、どこか暖かみを感じさせてくれる。
ありがとうございますといって口を付ければ、メイプルシロップががたっぷりと入った珈琲で、じんわりと体の芯に染み渡る。
ほう、と思わず息がでてしまって、自分の体が思ったよりも寒さでこわばっていたことを知った。
「で、どーしたんだよ。菊の時間ならともかく、こんな時間に裏町来たって知られたら、以外と心配性のあの双子メガネがぶーたれるんじゃねーのか?」
「アルは、そこまで心配性じゃないですよ。意外と、お互い信頼してます。アルも、ヒーローと口ではああ言っていますけど、僕に怒られるほどの無茶をすることは滅多にありませんよ。あきれさせることはしょっちゅうでも」
「それでも、少しでも気にかけることもあるだろうよ。・・・おら、これ食ったら帰んな、坊ちゃん。未成年が出入りする場所じゃねぇよ」
まるでまっとうなことをいう店主に、おとなしく差し出されたツヴィーベル・ズッペを口に含む。
甘いタマネギの味が、また憎らしいほどに優しい。
なんだか子供扱いのようで(実際、そうなのだろう)、少しばかり不満に頬を膨らませながらもおとなしくスープを飲んでいれば、軽く焼かれたライ麦パンが添えられる。
「・・・ありがとうございます」
「ま、ちょうどこの小鳥のようにかっこいい俺様のビールのつまみに作ってたからな」
ビールのつまみにしては、ヴルストもなければジャガイモもない。野菜スープにパンという何とも粗食である。
やはりこの人は兄なのだろうと・・・話しに聴くきまじめな性格の弟は、さぞかしこの人に大切に育てられたのだろうと感じさせる、何か。
少しばかり悩んでいて、どうにも食欲の無かった自分の胃袋を見抜いている、その観察力。
やはり、昼も夜も「店主」にはかなわないと、そう思わざるを得ない。
普段はほとんど出会わない、夜の店主の顔をちらりと見上げれば、やはり小鳥を頭に乗せたまま、ふんふんと鼻歌を歌いながらグラスを磨いている。
だから、だろうか。
「あの・・・」
今まで、双子の兄弟にもなかなか言い出せずにいた話題が、するりとのどを滑り落ちたのは。
「ん?」
ちらりと、赤い瞳がこちらに流れる。
できるだけ自然にスープを掬いながら、マシューはずっといいたかった言葉を、口にする。
「あの・・・兄さんが、あの、アーサーさんがここに来たら、ちゃんと食べさせてあげて、ください」
「・・・おう、そりゃ客には食わせるぜ?」
「それはそうなんですけど・・・その、うまくいえないんですけど、きっと、ちゃんと食べてないと思うんです。フランシスさんも、いつ来ても仕事してるって、苦笑いしてました。兄さんは、いっつも、いつだって、無茶ばっかりなんです。自分のことは後回し、僕とアルのことばっかり、今だって、きっとそうなんです」
じんわりと、目の奥が痛くなって必死にこらえる。
「アーサーさんもアルも、とっても頑固だったり跳ねっ返りで素直じゃないから。・・・僕は、どんなに焦げてたってぐちゃぐちゃだって、アーサーさんの作ったものにアルが文句を言ったって、また三人でご飯が食べられたら、それで一番だって、思うんです」
「・・・そうだな」
「だから、そうなるまでは・・・どうか、ここにアーサーさん・・・兄さんが来たら、ちゃんと食べさせてあげてください。よろしくお願いします。あと、ごちそうさまでした」
「・・・ほんと、あいつらさすが双子だよな」
「ええ、まさか打ち合わせもなしに同じ日の昼と夜にくるとは思いませんでしたよ」
「あー、なんかヴェストに会いたくなったぜー!!」
「・・・帰ればあえるでしょうに」
「ま、それもそうなんだけどな」
「・・・帰れば、あえるんですけどねぇ」
何だろうこの、青春物語(笑)
2010/12/12up