自分が誰かという確固とした自信などどこにもない。
だが気が付いたら断崖絶壁、これはまずい。ということだけは瞬時に理解した。


空が青いから海は赤がいい-I think it’s so beautiful!-


下を見れば、どんどん落ちてゆく自分と同じ姿をした者たち。(もちろん、悲鳴などを上げることすらも知らない赤子)
皆一様にうつろで、かわいそうとかそう思う前にまずキモいと思った自分は特に悪くないはずだ。だって怖いし。
横を見てみれば、どうやら右から順に落とされているようで自分の番までにあと五人。
...訂正、今四人になった。
自分の今おかれている状況はなんとも把握しし辛いが、『自分』の頭の中には確実に今自分『たち』の後ろに立っている男に対する記憶がいらんほどある。
(...なんで生きてるんだ髭)
それを考えれば自分が肉体をもってここに立っていることも不思議ではあるが。とりあえずどこかにその疑問を置いておこう。
あのころほど立派なものではないが、それでも即座に引き抜きたいほどにはうっとおしい髭。もといヴァン・グランツ。
あと、三人。
自分...いや、ルークはそこまで状況を見てからふぅと息をつく。
あと、ふたり。
改めて、体ごとヴァンのほう(つまりは後ろに)振り返れば少なからずヴァンの顔に驚きが宿った。微妙にざまぁみろと思う。
あと、ひとり。
ルークの前の『ルーク』に手をかけたままの兵士が、非常に微妙な顔をしてヴァンを振り返る。ヴァンは、しばらくルークを見ていたが、その『ルーク』についてはあご一つをしゃくるだけで終らせる。...ルークの前の『ルーク』は、他の『ルーク』たちと同じように悲鳴を上げることもなく谷底へと消えて行った。
ルークは、自分に手をかけることをためらっている兵士を無視して頭の中だけでぼんやりと呟いていた。
(あー...もしかして今超振動で師匠消したら面倒なことする手間なくなるよなぁきっと。)
なんだか知らないが、自分の身体は多分ローレライとかいう迷惑極まりない意識集合体を解放したときと同じくらい軽い。剣すら持たないこの身体も多分髭の髭を瞬時に引き抜くことくらいには役立つ。
そうだ、自分を失敗作だの何だのと好き放題いってくれた礼だ(まだいわれてはいないが、この状況を見るにそれくらいは許される...はず)その眉毛と髭をぶち抜いてマジックでかいてやろう。うん、それがいい。
そこまで思案したのちに、ルークはにっこりと微笑んで見せた。
一瞬、その可憐さに兵士達の顔が真っ赤になったのだけれどもそんなことルークのしったことではない。
「消えてください」
微笑んだまま、そういってのければ、今度こそ髭の表情は驚きのまま硬直した。
兵士達は、何言ってるんだこのレプリカとか思う前にまずただの出来損ないの人形だと思っていた少年『たち』のうちの一人がいきなり微笑み人の言葉を話したことに驚きよりも気味の悪さを感じたらしい。...わずかではあるが、距離をとったのが見て取れる。
まぁ、どうでもいいが。
今この瞬間眼鏡の悪魔もツインテールの小悪魔もセクシーなスリットと共に秘奥儀をぶっ放す音律士も猪突猛進凄腕(ある意味)シェフも生え際の怪しい元使用人もうざいゴム玉も癒しの緑もデコもここにはいない。
ああ、好都合。
多分そのうちのセクシースリットあたりが見たら即座に抱きしめていただろう無垢な少年のかわいらしい微笑を絶やさぬままに、ルークはさらに言ってのけた。
「俺の前から即座に消えて空気に分解されてくださいいや空気にすら残らないでそんなもの吸い込みたくない吸い込んだら俺まで髭が生えるやっぱ音素まで分解されて音譜帯に行ってください師匠」
かつての師への憧れとかその他もろもろはあの旅を続ける中で根こそぎ消えた。
代わりに残ったのは、ほんの少しの敬い(微妙な敬語に現れている)と髭への嫌悪。
旅の中で、ルークの憧れはもはやこの髭ではなくむしろメロンとかメロンとかメロンに移行したと思われる。青少年の正しいサガだろう。

今度こそ、完全に硬直したヴァン・グランツを尻目にルークは悠々山を下りる道を歩き始めた。(美人の本気の罵詈雑言は通常効果の2倍を期待できる)

裸足だし、服も囚人服のようだし、武器も何もない。
途中で魔物に出会ったら、超振動で片付けるほかあるまい。
とりあえずはそれなりに力と金を蓄えてあの髭を完膚なきまでにちぎり上げねば。
グランコクマに向かおうか。キムラスカやダアトよりは幾分ましだ。
ネックはあのネクロマンサーとブウサギ陛下だが、何度見ても飽きないあの水の都は魅力だ。...船に乗るのだっていい、海は、好きだ。野盗の一つや二つ締め上げれば、船代などわけもない。
なんというか、ガイが聞いたら涙しそうな思考だ。俺のルゥウウウウウウクゥウウウウー!!!!とかいいながら切々と悪魔と子悪魔によって少々汚染されたルークに抱きついてくるに違いない。(そして笑顔の悪魔に叩き落されるのだ)

てくてくてく

歩きながら思考して、危うく木の根に躓きかけた。
気をつけなければ。

てくてく...ぐっ

今度は、腕をつかまれた。...木がつかめるわけもない。魔物ならつかむ前に頭からがぶり。
振り返れば、少し息を切らせた髭の姿。
うわ触るなよ髭が移るだろうとかルークが子供らしい残酷な考えを即座に展開しているとも気づかず、髭はいった。
「お前、私と共に来い」
「は?」
聞き様によっては、特定の女性が喜びそうなプロポーズ。
眉をしかめたルークが一瞬の隙を見せたその一瞬で、ルークの視点は回転した。
「うわ放せ」
「私と共に世界を変えよう」
「話聞けよ髭」
髭に担ぎ上げられたらしい。...迷惑極まりない。
どこか何故かうれしそうな髭とは正反対に、ルークの機嫌は急降下である。
「お前のオリジナルを残そうと思ったが、考えを変えた。お前を我が元に残そう...名は、そうだなアッシュでどうだ」
「ふざけんな髭、即座に引き抜くぞ髭」
どこまでもなじっているはずなのに、比例してヴァンが上機嫌になるということは実はこいつはマゾだったのか。それなら納得だ。
さすがに体格は大人と子供、油断して捕まってしまったからには抵抗しても仕方ない。
ルークは、軽い現実逃避に陥りながらぼんやり見えてきた海を眺めた。

ああ、アレだけ綺麗な青空なんだから。今すぐこの髭を血の海に沈めたらさぞかし綺麗だろう。





逆行その一。一回りたくましくなりすぎた感のあるルークとマゾ疑惑の師匠。
2006.12.11