「あわてろ」
「は?」
いきなりの宣言に、あわてるというよりも先に思考が一瞬停止した。




若年性老け症及び苦労症のサンタクロース




赤い髪を見かけた瞬間に剣も拳も譜術も飛んでこないのはとても珍しい。
しかし、発言の意味が理解しがたく、ヴァンは書類を書く手を止めて再度聞き返していた。
「今、何といった?アッシュ」
「二度も言わせるなよヒゲ。あわてろって言ってんだ」
こんなときばかり、無駄にきらきらしい笑顔は、すさまじく酷いことをいっているにも関わらずおおよそ邪悪さとはかけ離れている。その代わり、言葉に込められた黒さは最早漂白しても白くなりそうもない。
おーけーとりあえず自分の耳がおかしいわけではないことは理解した。ポーズとして額に手をあてたヴァンは、冷静に情報を処理すべく頭をフル回転させた。
この年で主席総長を務めるのは伊達ではない。情報処理能力、剣の腕、どちらを取っても一流でなくては、生き残ることのできない世界だ。
しかし、その頭脳を持ってしても今さっきのアッシュの発言の意味はわからなかった。
何かほかに情報はないものだろうか...視線を動かしたヴァンは、アッシュの手に赤い何か服のようなものが持たれているのを見つけた。
よくよく見れば、それは裾や袖のところにふわふわの白いファーがついているもののようだ。冬の時期、よく女性達がコートなどの裾にそれがついたものを着用しているのを良くみる。リグレットも、給料で新しいコートを買ってほくほくしていた。かわいらしい、メシュテリアリカにも土産に買っていってやってもいいだろう。だが、それとあわてろ、という言葉のつながりはやはりわからない。
結果的にあわてることなど日常的だけれども。何も起こっていないうちにあわてるというのはどういう意味だろう。
「とりあえず当日はマクガヴァンさんにやってもらうつもりだけどな。ほら、歌であるだろうあわてんぼうのサンタクロース。良かったな髭、子供に悪夢と絶望とトラウマを与えて来い今すぐ」
もとよりじらすつもりもなかったのか、存外あっさりとアッシュの口から正解がやってきた...が、話の脈絡がわからない。
だがしかし、あわてんぼうのサンタクロースという歌には聞き覚えがある。確か、クリスマスの有名人サンタクロースが日にちを間違えて早めにプレゼントを届けようと奔走する話だ。この時期、子供達が口ずさんでいるのもよく耳にする、ほほえましい光景といえよう。
しかし、サンタクロースの役割として夢と希望はともかくトラウマというものはどうなのだ。何か渡すものとして間違ってはいまいか。確かに彼はクリスマスの日程を間違えはしたものの、しかしあの明るいテンポの曲調はそれこそ絶望とか悪夢とかトラウマなんて言葉とは縁遠いものではなかっただろうか。
アッシュは、どこからか取り出した白い袋(中には、どうやら菓子の袋が詰まっているようだ)をどさりと地面に置くと、にっこりと笑ってみせる。
「侵入口はもれなく煙突だ。それ以外は認めねぇ。この時期どの家でも暖炉は入れてるだろうが間違いなく煙突だ何せサンタクロースだからな。」
それはどちらかというと三匹の○ぶたの狼では...。
突っ込もうとは思ったけれどもその凄みのある笑顔を前にして突っ込みを入れることができるほどヴァンはまだ突っ込みレベルが高くなかった。(ちなみに、突っ込める人物の例としては某国懐刀、某国使用人など。)
アッシュは、心の中だけで何とか突っ込んでいるヴァンなどみえないかのようにごそごそとまたどこからからか荷物を取り出している。
赤い帽子、それに赤いブーツ。あとはなぜかタンバリン。
「ポイントはあれだ。とりあえず煙突覗き込んで顔から暖炉に落ちろ。根性で侵入し、チャチャチャを一曲踊ってからタンバリンを鳴らして出て来い。燃え尽きなかったら菓子を置いてくるのもいいだろ」
消えている暖炉ならまだしも、燃えている暖炉に顔から突っ込むというのは何か根性とかそんなものを凌駕して無謀とか思えるのはなぜだろうか。
アッシュの顔を見て話がこんなにも長く続くことなどめったにない(たいていの場合、続けようとしても最初のセリフくらいでアッシュの蹴りが飛んでくるか逃亡される。)ので、うれしいと思う反面、何とも冷汗が背中を流れていくいやな感覚が襲ってくる...。
めったに見られない極上の笑顔に、心の中でシャッターを切りまくる一方、ヴァンの本能がこれでもかというほどに警鐘を鳴らしている...やばい、まずい。
「ちなみに、子供のいる各家庭には今日の午後に一斉にお前のメシュテアリカ写真全集が一冊ずつ『そっと燃やしてください』のメモ付きで届くようになってるから。がんばれば一冊くらいは無事に回収できるんじゃね?」
「め、めしゅてありかぁああああ?!」
目に入れても痛くない溺愛する妹の(写真集の)危機に思わず叫んでしまう。
そんな、今日の朝見たときは本棚は無事だったのに。
そう考えたヴァンの思考を読んだかのように、アッシュは鼻を鳴らして笑った。
「大丈夫だ。カバーの中身はすでにモース☆トリトハイムの熟年熱烈写真集(アイコラ)に取り替えておいたからシンクが。目がつぶれるっていたく立腹してさぁ。俺だって作るの結構骨折れたんだけどなぁ...」
努力の方向を間違っている。
この間いやに編集作業を頑張っていると思ったらそんなものを作っていたのか。給料の使い道が絶対に間違っている。しかも、そのアイコラをするための機材は間違いなくディストあたりに作らせているだろう。あの男、そんなものを作っている暇があったらフォミクリーの研究に少しは熱を入れればいいものを。
「ほれ行って来い髭。骨くらいは暖炉から回収してやるよ気が向いたら。ちゃんと魔界に灰をまいてやるから安心して逝って来い」
最上級の笑顔。
押しつけられた衣装と菓子の入った袋を放置されて、いつの間にかいなくなってしまったアッシュにしばしヴァンは呆然としていたのだった。






ちなみに。
そのあと律儀に着替えて各家の煙突から侵入を図ろうとした主席総長が、通報により騎士団につかまったのが早かったのか、暖炉でご自慢の髭を燃やされながら力尽きたかは...まぁ想像にお任せします。
2007.12.07up