ホド戦争後、小競り合いの続くキムラスカとマルクト。
民兵が徴兵されるほどには至らなくとも、生活のため、名誉のため、家のため...さまざまな理由をもって、毎年かなりの兵士志願の若者が軍の門をたたくのはどちらの国も共通して言えることであった。
水の都、マルクト帝国帝都、グランコクマ。
ちょうど都では、一年に一度行われる、上級軍学校への一般推薦試験が開催されていた。
マルクト中の、軍入隊を志願する人々が集まる為に、その規模はちょっとしたお祭りに近いものとなる。下級軍学校から順々に試験をこなしていくのとは別に、腕に自信があるものなどを効率よく採用する為に取られているこの制度は、入隊許可後の待遇の破格さからも、貴族の若者から明らかに荒くれ冒険者まで、さまざまな人間が集うことでも有名である。
分かりやすく闘技場形式で行われる試験は、命を奪うことを禁忌とする為に娯楽的意味合いのある武道会としての側面も持ち、ゆえにこの時期が近づくと街の人々はウキウキとしだすものだ。
すでに本選の始まっている現在においては、道に並ぶ露店も活気付き、晴天もあいまって飲み物や簡単につまめる食事などが飛ぶように売れ、店子が忙しそうに笑顔で応対を重ねている。
と。
「おっちゃん、これ、いくら?」
「おう、坊主も観戦に来たのか?40ガルドだよ」
「じゃあこれ一個。はい40ガルド」
「毎度。...楽しんでいけよー」
「うん!サンキューな。」
ある露天に、帽子をかぶった翠の瞳の少年が、愛想よく一つの商品を手にとって金を払った。
年のころは、13くらいだろうか。活発そうでくるくると良く動く瞳が、彼がおそらくは活発であるだろうことを示していてほほえましい。思わず店主がおまけに食べやすくカットして櫛に刺してある果物をつけてやれば、屈託なく笑ってありがとう!と受け取って去っていく。
「おやじ、俺にも一つ!」
「はいはい、毎度!」
すぐに次の客が来て、あっという間に店主の頭からはその少年の記憶は飛んでしまった。
だから、ふとした違和感に気づくこともなかった。小柄な少年の背に負われた、やけにでかいピコハンの存在に。
天上天下唯我独尊、ごーいんぐまいうぇい
優雅な午後といえた。
珍しく夜更かししたらしい可愛い可愛い愛弟子と、そして仮面の少年がそろって寝坊した為に、午前中の恒例とも言えた「一日一事〜マンネリは駄目だ!今日も髭を苛め隊〜」の活動が休止したので、今の時間であればすでにピスピス、レッドゾーン状態の総長の体力がフルで残っているのだ。これはとても珍しいことといえる。
さらに、うまいことには食事も安全パイのラルゴが担当し某教官の地獄クッキングも回避、せいぜいがアリエッタのライガに髭をむしられかけたくらいで、珍しく静かなオラクルにむしろ信者たちが不思議な顔をして首をかしげているという状況だ。(「おい、今日は何か静かだな?導師様のお話でもあるのか?」「どうしたんだろうなぁ?今日はどこも壊れてないし散らかってないもんな」)...慣れとは怖い。
珍しく威厳を取り戻し、カリスマたっぷりに仕事を進める総長に、普段失墜していた部下達の総長株も若干回復の兆しすら見せている。
「すみません、ヴァン」
「どうしました?導師」
癒しの笑顔、純粋無垢といわんばかりのそれを向ける少年に、ヴァンは心の中のガッツポーズを悟られないようにしながら振り向いた。
己の作り出した、品行方正なレプリカは日々の勤めを問題なく果たしているまさに前導師とは対極に位置するような人物で、ゆえに其れまでは必須であった、「奴の笑みを見た瞬間に逃げる」といった対処法は必要ない。
予想通りの柔らかな笑みを浮かべた少年は、しかし次の瞬間悲しげに眉を寄せてみせる。
(間違っても、次の瞬間に音叉が飛んでくることもない。...反射として染み付いた防御姿勢が少し悲しい)
「...アッシュを、知りませんか?」
導師が口にした言葉は、一瞬の思考停止をヴァンにもたらす。意味が分からず、しかし同時に何か嫌な予感が胸に広がるのを自覚しながらも、取りあえずヴァンは聞いてみた。
「アッシュが、どうかしましたか」
「いえ、部屋にいないので。どこにいったのかお聞きしたかったんです」
「...は?」
「その、それで、ヴァン宛てに僕の机にこんな書置きが」
おずおずと、あくまで大人しい性格を表すようにそっと手渡されたそれは、簡素に二つに折られた紙の切れはし。...とりあえず、開いてみる。
『暇だから グランコクマで 一暴れ』
ああ見事に5、7、5。簡潔でしかも分かりやすい。
主に教育を担当している死神ディストあたりが見れば、「私の教育の賜物ですね!」と騒いで即座にシンク辺りに殴られていただろう。しかし、幸か不幸かそれを見ているのはヴァンであり、それを持っているのはイオン。
「あ、そうそう。アッシュに、お土産は珊瑚のペーパーナイフがいいと伝えてくださいね」
おっとりしたその口調に、妙に黒さが混じるのは気のせいだろうか。
若干、背後のかつての導師オリジナルの幻影がダブっているような気もしないでもない。
「...」
とりあえず、その紙切れを導師から受け取ったヴァンは、「アッシュウウウ!!!!!国際問題に発展するような行動は慎みなさいっ!!!!」と叫びながら、音速を超えた速度で教会を飛び出してゆく。
「ああ、今日も平和だなぁ」
「うんうん」
いつもより遅い時間の、総長の大絶叫に、のんびりと信者たちが呟いたとか呟かないとか。
後篇に、続きますよー