ねぇ、君は、僕の事を覚えているのかい?
もう、イオンは生まれた。ボクが死んだ後もイオンとして生きる、そいつが生まれた。
君はそいつをイオンと呼ぶよね?じゃあ、僕は。
僕は君の中で誰なの。
僕は、そいつに塗り替えられていくの。
ねぇ、ボクが。
僕が、生きた意味は、どこに。
どこに。
残るの。


暁に願いを-last holy night-


殆ど、ベッドから起きる事も出来なくなったイオンはいよいよ、自分の死期を悟っていた。
アリエッタに、これから起こる、自分とレプリカであるイオンとの入れ替わりを悟らせるわけには行かなかったので、アリエッタを見舞いに来させることも出来なくなった。
それは、むしろイオンが望んだことであり、ヴァンに最初から条件として告げていたことでもあった。自分の死を誰にも悟らせず、レプリカと入れ替えてスコアを変えて見せること。
アリエッタは、幼い。だからきっと、イオンが入れ替わったことには気づけなくても、かたくなに、自分への忠誠を守るのだろう。入れ替わったそいつに、ひな鳥のようについていくのだ...そう想像して、らしくもなく痛んだ胸には気づかないふりをしておいた。最初から分かっていたことだ。アリエッタを自分付にしたのだって、たんなる気まぐれ、暇つぶし。
...自分を慕う彼女に、自分の死を悟られたくなかった、というわけでは、決してない。
ひゅう、と嫌な音を立ててなる喉が、肺腑が衰え始めていることを告げてげんなりとする。いっそ、このまま終ってしまえばいいのに、スコアとやらは、いたずらに早くこの生を終らせる事もさせてくれないらしい。
ドアがノックされた。のろりと、視線だけを向ければ、見慣れた赤い髪の持ち主が水差しとともに入ってくる。
あっしゅ、と呼んだつもりだったのに、喉から漏れてきたのは息だけで、ああもう声も出ないのか、と十二年しか使っていないはずの自分の体の痛み具合に笑いそうになる。
アッシュは、イオンを見て、辛そうに眉根を寄せた。そして、額に乗せられているタオルを交換し、そっとイオンの口に水差しを含ませた。
それはとても慣れた動作で...それはそうだ。アッシュは、イオンが臥せってからずっと、こうして時間を見つけてはこの部屋にきて、イオンの世話を甲斐甲斐しく焼いていたのだから。
まだまともに声が出たときに、聞いたことがある。それは同情なのか、と。
そのときに、初めてイオンは、アッシュの本気の怒りを見た。いや、悲しみだったのか。
静かに、しかし聴いた事もない低い声で、「ともだちが苦しんでるときに、同情もなにもあるか」と怒られた。導師であるイオンを叱るものなど、(モースが文句をいうことはあっても)このダアトにはいなかったのだ。...この、アッシュを除いて。
アッシュは多分、イオンがスコアによってその死を定められていることを知っていた。
口には出さなかったけれども、知っていたと思う。時折、見せた泣きそうな顔は、多分、そのせいだっただろう。
...出会いがしらは随分面白かったし、そのあとも天真爛漫に動き回ってオラクルをかき回すアッシュは飽きない相手で、もうとうに諦めていたはずの生が楽しいものに変わったことを認めずにはいられない。
教会から、贅沢ではなくとも生活に必要なものは何不自由なく与えられた。けれども、さめていない食べ物や、手編みのマフラーなど、そんな他愛もないものをくれたのはアッシュが初めてで。
導師ではなく、自分自身を、たとえ刷り込みであっても慕ってついてきたのはアリエッタが初めてで。
ヴァンも面白い相手ではあったけれども、彼も所詮自分を導師としてしか見ていなかった...だからこそ、この二人に出会ったことで初めてイオンは「生まれた」のだ。
其れを認めることが出来るほどには、イオンの心は、穏やかだった。
それが死を目の前にしているから、諦めからきているのかは、自身でも分からなかったけれども。
「イオン、痛いところあるか?何か食える?シャーベット、作ってきたんだけど」
もうろくに食事をすることもできない、ただ命を繋ぐための味のない流動食を流し込まれて、そんなものただの作業で。
感覚の鈍ってきているイオンのために、香りの強いものや味を調節してくれたのだろう、アッシュの差し出した其れは病床にあるイオンにも、みずみずしくおいしそうに思われた。
だから、目で頷いて見せれば心得たように、アッシュはさじをとりだし、そして一口をすくってイオンの口にシャーベットを運ぶ。
するりと解けて、喉を流れたそれは、ふわりとゆずの香りがして、かさかさに張り付いていたイオンの口を癒してくれた。...それは、第七音素による奇跡でも何でもない。ただの、ちっぽけなものなのに。
二、三口と運んで、そこでイオンは首を横に振った。そうか、と顔をクシャリとゆがめて、アッシュはさじをとめてことりと器をサイドテーブルに置く。
多分あのシャーベットは食べられないまま解けてしまうだろう。ただの三口のために、きっと何度も試行錯誤を繰り返して作ってくれたのだろう事を思うと、少しばかり、胸がすぅっとするような気がした。
スコアを壊し、この世界を根底から覆したいということに未だ変わりはない。
自分の全てを決めて、そして殺すスコアなどに、すがりつく全てを壊してしまいたいという衝動は、嘘ではない。
それでも。
それでも、スコアなど関係なく、この少年がいてくれたことが。...今は、少しだけ、感謝できるような気がした。
怖くないわけがない。...自分が死んだ事も誰も知らず、ただひっそりと消えるだけなのだから。
だけれど、多分。
多分、アッシュは自分を忘れない。...それは、確信に近い。
「...き、みは。あいつを、いおん、と、よぶ」
無理やりに引き出した声に、アッシュがわずかに眉を顰めた。けれども、耳をイオンの口元に近づけて言いたいことを聞こうとしてくれたので、イオンはそのまま言葉を続けた。
「ぼくを、わ、すれ、る?」
「...バカ、いってんじゃねぇっての。名前が一緒の奴なんて、この世界に五万といるだろ。俺が、今、ここで見てるイオンはお前だけだ。お前との想い出もお前とだけのものだ。例えこの先、別な奴がイオンと呼ばれても、過去を、塗り替えることなんて誰にも、出来ない」
その答えに満足して、イオンは少しだけ笑った。
泣きそうな顔をしながらも、きちんとこちらの目を見て、しっかりと返してきたアッシュは、確かにイオンのことを見ていてくれたから。
「...あ、っしゅ...るー...く、ぼく、は。きみの、なかに、のこ、る」
ルーク、そう呼べば、わずかばかりアッシュの目が見開かれて。
それくらいのいたずらは赦されるだろうと、いたずらっぽく目を細めれば、かさついた肌をさらりと、アッシュの手がなでてくれた。
その心地よさに目を細めて、イオンはだんだんと近づいてきた睡魔を感じながら、続ける。
「...るー、くが、なく、なら。ぼくが、ここに、いた...あか、しに、なるの、か...もね」
その後で、アッシュが何かを言っていたのかは聞こえなかった。
また一歩死に近づいた睡魔を迎えながら、イオンは。
少しだけ、穏やかな気持ちで、眠りについた。


「バカ野郎...誰が忘れるかってーの。...泣くに、決まってんだろ」
墓すら、残らない。作ってもらえずに眠りにつく、未だ幼い少年を。
この未来を知っていて尚、どうすることもできずにその手を握り締めることしか出来ない自分が、友人と呼べる資格があるのかは、ルークにはわからなかった。
けれど。
せめて、最後の瞬間まで、イオンをイオンとして見送ろうと。
そう決めたからこそ、今ルークはここにいる。
(世界で誰がお前のことを忘れても、俺は絶対に、忘れない)

そうして最後の夜を迎えるまで、見守り続けるのだ。







あ、れ。すっごいしり、あす...
オリイオ様って、たった十二歳で亡くなったんですよね。...少しくらい、子供らしい気持ちだって、残っていたんじゃないのかなって思って、唐突に書いてみました。
勢いの産物なので、色々おかしいところありますがお目こぼしください。
いつものギャグだと思った方、大変申し訳ありませんでした。
2009.6.1up