蟹に委ねられた命綱に関する考察
結局のところほだされたというかほだされたというか根負けしたというか。
夜中にふと目を覚ますたびに心配そうに頭をなでてくれるラルゴとか、まるでティアのように厳しいくせに、些細なことでもぎゅっと抱きしめてくれるリグレットとか。
一緒にご飯を食べて以来、妙に懐いてきたディストとか。
この神団の盾に来て以来脱走を企てまくっていたはずのルークは、最近微妙にそれをあきらめはじめていた。リグレットの手はまるでシュザンヌのようにあたたかだったし、クリムゾンはラルゴやディストのようにルークを抱っこしたりはしてくれなかった。
考えてみれば、自分がここにいる時点でアッシュの居場所を奪わずに済んだのだから良かったのだろう。...難を言えば、自信満々の笑顔で三日に一遍卵丼をつくる髭を何とかしたい。いいかげんコレステロールが気になるだろう。...特に、最年長のラルゴとか。
大体なんでわざわざ食堂が存在するのに隙あらば皆してルークに料理を作りたがるのだ。
しかも、加減を判っていないらしく毎度毎度大量に作られるので、結局それをいつもの面子で片付ける羽目になる...。しかも、とある一定確率で、料理が微妙に上達したナタリアのような腕の料理を食べることも出来る。ちなみに、彼女と比べてどこらへんが上達しているのかというと、食材は洗ってから切るということと生肉は火を通すということを認識しているあたりだ。このおかげで、食べても口の中がざりっと言うことも口を切ってもいないのに血の味が広がることもない。その代わりに一瞬パラレルワールドにトリップできるが。
意外にも繊細細やかな料理を作るのがラルゴ。ケテルブルグの郷土料理らしいあったまる料理を作るのがディスト。この二人のときは当たりだ。美味しい。
気持ち的にははずれだが、ヴァンの料理も食えないことはない。初期は箸をつけることもしなかったのだが、『そんなことでは身長が伸びないぞ』とラルゴに言われて以来無理やりにでも食べるようになった。ただでさえ小さいのだ、まさかとは思うが万が一にでもナタリアに抜かされた日にはどうすればいいのだ。
そんなことはない、と思いたいが目の前にいる巨漢の顔を見ると強気に否定できなかった...大丈夫、ナタリアは母親似、母親似だ。
...さて、もちろんオオアタリは残り一名。(言い聞かせ)
意表をついてルークということはもちろんない。過保護ともいわんばかりの勢いでリグレットが刃物を持たせてくれないのだ。「そんなかわいらしい手に傷でも付いたらどうする!!」厨房で怒鳴る彼女の後ろで、暇つぶしに剣術の稽古に付き合わされて(ルークに)ぼこぼこにやられた騎士団メンバーがいっせいに首を横に振ったのを確かにルークは見た。
ティアの憧れの人だし、なんとなく料理も出来るのだろうとか思ったルークが甘かったのだと、今になればわかるのだがもちろん初期に知る由もない。
世間で言う、「お袋の味(何せ、シュザンヌは王に連なる貴族であるからして自ら調理場に立つことなど考えられもしなかった)」というものが食べられるのだと思ってよろこんでさじを持ち上げた瞬間(たちの悪いことに、見た目は至って正常だった。さすが、材料は口に入る大きさに切るのだと知っているだけある)ルークの前で一足先にスプーンを口に入れたラルゴとディストが同時に倒れるのを見た。その光景たるや、今でもまざまざと思い出される。
「ラルゴ、ディスト、行儀が悪いぞ!食事中に寝るな!!」
金髪の迫力美人にして、有能な補佐官でもあるリグレットの軍人らしい声が部屋の中に響いた。ここに、少しでも勇気のある人間がいたら、「この二人は寝ているのではなく動けないだけでは?」と突っ込んでくれただろうが、生憎とこの世界にそれが出来る人間はそういない。突っ込みのためだけにマルクト皇帝の懐刀を借りてくるわけにもいかなだろうし。
二人に遅れて口に料理を運ぼうとしていたルークとヴァンは、仲良く一時停止をしていた。
「...?閣下、アッシュ。どうして口に入れる前で止まっているのですか?」
ルークとヴァンは、年恰好こそ違えど、修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者としての勘が互いの頭の中に警鐘を鳴らしに鳴らしまくって耳鳴りがするのを感じていた。
危険危険、イッツデンジャラース。
ちらりとルークがヴァンのほうを見れば、感嘆するほどの面の皮の厚さでもって「冷静沈着なヴァン・グランツ総長」を演じきっていた。(さすがだ、このあたりは尊敬に値する。)こめかみをついっと一筋の冷や汗が流れるのを除いては。
首をかしげたリグレットに、ごめんと心の中だけで謝って、ルークは大変原始的な手段に躍り出た。
「あれ?なんだろー(棒読み)」
「?何のことだ?」
「?」
ルークが指差した方角に、リグレットとヴァンが同時に視線をやる。
ずさっ
その瞬間、トゥッティ装備で鍛えに鍛え上げた身体能力の全てを尽くしてルークは作戦を実行する。
...秘儀、ヴァンの皿に移す。
やがて、別に何もないぞといってきた二人にあれ?ブウサギが見えたような気がしたんだけどとかわいく首をかしげて見せた。(念のため言っておけば、これ自体は天然のしぐさであり何も狙ってはいない)
「あ、それよりリグレットご馳走様。美味しかった。...ねー、遊んできてもいい?」
「もう食べたのかアッシュ。ちゃんと皿を水につけてからいきなさい、いいわね?」
判ったー。と素直に返事をして部屋を出るルーク。
無駄にお母さんらしい発言のリグレットと、まるでやんちゃな子供のような(まんま、やんちゃだ)ルークにヴァンが口元をほんの少しほころばせたのもつかの間。
「さぁ。皿が片付きませんから閣下も早く召し上がってください」
死刑宣告のように言ってのけたリグレットに、ヴァンが自分の皿の内容量が倍増していたことに気づくのはしばらくしてからのことだった。
その日、オラクル本部に総長のものらしき悲鳴が響き渡ったとまことしとやかにささやかれたのだが、誰もその真偽を確かめることは出来なかった。
何せ、ヴァンの側近のうちヴァンを含めた三人が医務室に運ばれて三日寝込むはめになったからだ。真相を聞こうにも聞ける相手がいない。
医務室担当のものが、三人はずっとうわごとのように「ぐろり...まったり...もったり、えぐ...にゅる...どろ...さっぱり...すっぱ...」と繰り返していたと証言したが、騎士団の誰もその謎のメッセージを解読することなどできようはずもない。(解読するためには、自らも犠牲になる必要がある)
おまけに、側近の中で唯一無事なリグレットは、最近見かけるようになったえらくかわいらしい赤毛の子供の世話と4人分の執務でおおわらわでとても事情を聞ける様子でもなかったし。とりあえず、この事件はオラクルの七不思議として後に語り継がれることとなったのだった。
「ふ、ふーん...食事当番からリグレットが外れてるのはそういうわけ」
現在、ルークの私室のベッドの上。
互いに認めたがらないが小柄な二名の少年ならば、別段窮屈でもない様子で寝転がることができるそこに、ルークと仮面の少年シンクが寝そべっていた。
昼寝体勢マンマンだった二人だが、寝付く前の暇つぶしとして何か話してよとシンクがいったのでルークが昔話を聞かせていたのだ。
話が終ってルークが隣を見ると、仮面越しだが明らかに顔が引きつっている。
三日後に生死の狭間から二人よりも早く帰ってきた(正直、帰ってこなくて良いとルークは思った。)ヴァンが、即座にリグレットに調理場使用禁止令を出したのは印象的だった。...なんてことを思い出しつつ、ルークは続ける。
「しかも、俺が作ろうとすると虎視眈々サポートを狙って扉の前に立ってるんだ...失敗なんて出来ないっつーの」
「ああ、アンタが料理が妙にうまいわけも納得した」
プレッシャーの中で、ルークは大変たくましく成長したようだ。身長以外。
シンクが六神将としてオラクルに入ってから、自分は料理担当などしたこともない。(アリエッタもだが。あいつは間違いなく真顔で生肉を持ってくるだろう。)目玉焼き一つ作れない自分の代わりに、この妙に料理上手の少年がささっと芸術品を作り上げてしまうからだ。(ヴァンの料理だけ、妙に野菜の切れ端とかイケテナイビーフとかで構成されているようにも見えたが、作っている途中のをつまんだらそれなりに美味しかった。...後でたずねたら、まずくする工夫が難しいといってきた。料理が身体に染み付いてしまったらしい)
「ほらシンク。とりあえず仮面外せって。寝れないだろー」
「アッシュ...判ったから引っ張らないでくれる?」
むっとして、それでも仮面をはずしてサイドボードにおいたシンクに、ルークは大変能天気な笑顔でおやすみーといって三秒後に寝息を立てていた。
なんだこの寝つきの速さはと思い切りあきれたシンクだが、昼下がりの光に当たるうちにうとうとし始めた。
二人の寝息が聞こえてくるまであと五分ほど。
続・たくましく育ったルーク。オチはほのぼのシンルク。
2006.12.18