「おい、イオン。大丈夫か?」
「イオンさん、大丈夫ですの?」
ルークは、籐で編まれたバスケットをサイドボードにおいて、呆れたような声をかける。肩口に乗っけていた仔チーグルは、純粋に心配そうな声を上げた。
ここは、導師の私室であり、本来であればフォンマスターガーディアンとそして限られたもの、もしくは許可を得たものしか入ることを許される場所ではないが、堂々とお茶会の名目でルークやシンクが出入りしていることに対して、最近すでにモースすら突っ込みを入れなくなってきた。
おいおいそれでいいのかローレライ教団。といいたいところだが、実のところフォンマスターガーディアンを付けるよりもルーク...否、アッシュがついているほうがよっぽど安全なのだからまぁ問題はあるまい。...一部では、いやむしろ本人に返り討ちに会う可能性のほうがよっぽど高いんじゃないのか...という説も流れているらしいが。
導師様がこの間笑顔で素振りをしていた、とか。
導師様の部屋から出てきたモース様が妙にこげていた、とか。(まぁ、これは最近イオンの話し相手としてミュウを置いていくことが多い事も原因かもしれないが)
噂(というか真実ですが)には事欠かなくなってきた現在、先ほどすれ違ったモースなど、「鬼の撹乱...」とか空ろな瞳でつぶやいていたような気もしないでもない。
現在、丁度季節の変わり目と言うこともあってか、オラクルにおいてもちょこちょこと体調を崩すものが目立つ中、イオンが倒れたと涙目のアリエッタに袖を引かれてきてみれば、ベッドに大人しく収まったイオンの姿。確かに顔色は悪いが、『かつて』ほどではないことを確認して、ルークはほっと息をつく。『今』のイオンが『かつて』とは比べ物にならないほど(本人曰く『ローレライから色々分捕ってきましたからね、安心してください』...詳しく聞かないほうがよかったような気がする。)健康なのは分かっているが、倒れたと聞かされるとひっそりと息を引き取っていった『イオン』や、アニスの腕の中で光に解けたイオンの姿を思い起こしてしまってどうにも駄目なのだ。
イオンもそれをわかっているのか、ルークのほうにそっと手を伸ばして、少し熱の高いそれをほっぺたに触れさせてきた。...冷たくない其れは、イオンが確かに今生きていることを教えてくれて、なんだかほっとしてしまったルークはへにゃりと笑ってとりあえずベッドサイドに一つあった椅子に腰掛ける。
「ご心配おかけしてごめんなさい、ルーク。大丈夫です、お医者様曰く軽い風邪だそうですから」
「そっか...ま、それならゆっくり休んで早く治せよ?アリエッタがそろそろ俺の部屋を涙で水浸しにしそうだったから」
「そうですの!アリエッタさん、とっても心配そうでしたですの!」
サイドテーブルにおいた籐のかごから、ひとつりんごを取り出してかじれば、すいません、と少し眉毛を下げたイオンが素直に頭を下げる。ミュウにも、小さなりんごをひとつ取ってやれば、小さな両手でりんごを抱え込んだチーグルは、もぐもぐと必死にそれを食べ始めた。
お前はこっちな。とすでに剥かれて、丁寧にウサギの形になったりんごの皿を取り出してイオンの前においてやれば、きょとんとしたような若草の瞳が二、三度と瞬きをして、そうしてからにっこりと笑った。ありがとうございます。少しかすれているけれども、嬉しそうな声がルークの耳を打つ。なんだかそれだけのことで、少しだけ胸がほわんと温かくなるのはきっと、気のせいなんかじゃない。
「おいしいです...」
「そうか、アリエッタがわざわざエンゲーブまで買いにいってくれたんだぞ」
「ふふ...あとで、お礼を言って置いてください」
お前が言ったほうが喜ぶよ、と笑うルークに、イオンは少しだけ苦笑したようだった。
でもどうして風邪なんて引いたんだよ、最近は大分体調もいいって言ってただろ?と聞けば、ごめんなさいと小さくイオンは舌を出す。ティアあたりが見ていたら目をギンギンにして、「か、かわいい」と呟きつつマッハ6の速度で接近した後にベアハグ+メロンで圧迫と言う暗殺手段に出そうな感じの可愛らしさだが、幸い彼女は現在ここにはいないので問題はない。ちなみに、過去の『ルーク』はメロン圧迫事件は結構な頻度で実行されていた気がする。最終的には後ろ髪がひよこに見えて可愛いとかもうそれ俺どうしようもねーじゃん的な暴走っぷりを呈していたことは懐かしい記憶ではある。若干オモイダシタクナイ部分ではあるが。
最終的にはミュウあたりが動物虐待を受けていた気もする。あえて言うなら潰されていた気もする。言っておくが、ティアのメロンは目の保養以前に間違いなく凶器であるとルークは断言できる。こんなことを言うとアニス辺りに「やっぱりおこちゃまだよねー」とか言われそうだが、それは実際絞め殺されそうになっていないから言えるせりふだとルークは半ば確信を持っていた。本人に自覚がない分たちが悪い。
「すいません...最近、公務が立て込んでいて、ちょっと夜にかくとうくんれ...いえ、少し体力を付けようと運動をしていたものですから。汗が冷えてしまったようで」
なんだか今、格闘訓練とつぶやきかけていたような気がして、ルークはこてんと首を傾げる。ミュウが、分けもわからず主人の真似をして一緒に首をかしげ...耳の重さでこてんと転がった。実にバランスの悪い頭部である。とりあえず、ルークはすぐに聞き間違いだよな、と意識からその言葉をデリートした。
ルークの中では、少し健康になったとはいえイオンはやはり守るべき相手で、日向でほわほわ微笑んでいるのが一番似合うのだと信じてやまないが故に、最近イオンの部屋ダンベルとかあるけどこれアニスが使ってるのかなぁ?なんてボケっぷりとかましているわけで。
ある意味で現実逃避とも言えるかもしれないが、オラクルにおいて導師の私室にちょこんとおかれているそのダンベルの使い道を部屋の主にたずねることの出来る猛者は恐らく存在しないと思われるので、ルークばかりを責めることは出来ないだろうが。
だって、誰が想像するのだ。美少女といっても差し支えないほわほわ癒し系が、公務の合間にそのダンベルを上げ下げしてロッドの威力(注:打撃力)を地道に稼いでいるなんて。あまつさえ、さらには主人を守るべく奮起したチーグルが一緒になって鍛えているなんて。
あれがバーベルになったら逃げよう、なんてモースが考えていることなんてもちろんルークは知らない。「ダアト式譜術はお前のからだの負担になるんだから使うなよ!」とルークに言われたことを律儀に守って、まさかイオンが日々護身術(某大詠師曰く、『アレは護身術じゃない!!笑顔でロッドが床にめり込んでいた!』)で体を鍛えているなんてこと、気づくわけもなく。ほわほわと微笑んでいる笑顔に色々流されているルークは、つられてまたふにゃりと笑った。
見た目としては、あくまで見た目としては、大変にほほえましい光景ではある。
「僕も、いつか守られるだけでなく、守れるようになりたいんです。...大切な人を、泣かせたりしないように」
ふわり、といつも優しく微笑んでいるイオンの瞳に、確かな決意の色を見て、ルークは少しだけ目を見張った。
そうしてから、わしゃりとイオンの髪を乱暴になでる。俺は強いんだからな!お前に守られる必要なんてないぞ!と言ってやれば、でも強くなればルークの隣に立てるでしょう?とまた微笑み。
「ルークの隣に立って(とりあえず群がる虫を全部ひねり潰して)、もっと一緒に歩きたいんです」
「僕も、ご主人様(に群がるオジャマムシドモからご主人様)をお守りするですの!!」
...。
何か矢張り副音声のようなものが聞こえた気がしたのは気のせいだろうか。
最近、イオンの笑顔に、あえて言うのならミュウのせりふにも妙に圧力を感じるのはルークだけだろうか。
(いやいや、何を考えてるんだ俺。イオンはイオンだろ!...大体、ブタザルはこんなのはいつものことだし)
とりあえずルークは大変純粋でよい子だったので、またも色々な突っ込みどころはスルーした。
時空の彼方から、「俺の可愛いルークがぁあああああっ!!!!」と、某使用人の必死な叫びが聞こえてきそうな勢いであるが、どうにも箱入り純粋培養仕様の抜けないお坊ちゃまは基本スタンス内側の人間を疑うことを知らない。
「んじゃ、イオンがよくなったら弁当でも作って、チーグルの森でも行くか。ミュウも、たまには仲間にあいてーだろーし」
「嬉しいですの!」
「はい、楽しみにしていますね」
指きりですね、と言って小指を差し出したイオンに、ルークは少し首を傾げてから手を差し出した。小指を絡めれば、ミュウも一緒ですのーとチーグルが飛び込んできてルークは慌ててミュウを受け止める。流石に病床のイオンにミュウアタックはいただけない。
見た目的には聖獣でかつ可愛らしいチーグルだが、岩をくだくそのアタックを導師に炸裂させて大惨事を引き起こそうものなら(否、イオンならば片手で受け止めそうだとかそういう突っ込みは却下)、さすがのルークも、イオンの友人としても六神将としても笑えないわけで。
「...お前、もう少し考えて動けよな」
「みゅ?」
可愛らしくルークの手の中で首を傾げるミュウに苦笑しながら、ルークはとりあえず、このチーグルの躾をもう少し考えようと心に誓ったのであった。
「ま、お前もゆっくり休めよ?」
「はい、ありがとう御座います。ルーク」
いつも変わらないまっすぐに向けられる友人の若草の瞳に、苦笑を浮かべて。
ルークはまたな、とイオンに背を向けたのであった。
「僕も、まだまだですね」
小さく小さく呟かれたその言葉は、幸か不幸か、ルークの耳には届かなかったとか。
愛ゆえの副音声
アビスのアニメDVDを借りてきてみているので、何となくイオン様を出したかったとか。
ミュウは白いです、黒く見えるのはイオンの入れ知恵です(待て)
2009/8/30up