かつて、遠い遠いどこかの国の王様が、一夜にして城を作り上げ、敵を仰天させたという話が残っている。
まぁそれは作戦のうちで、用意周到に積み木かブロックかはたまたレ○のようにパーツごとに造っておいたものを後から組み立てた(それにしたって、一晩のうちと言うのはいかにも強行軍だが)という計画性にのっとっているものだけれども。
人間、有り得ないと思っているものを目の前に出されてしまえば、あっという間に混乱に陥る。そして、その隙をつかれてしまえば個人はともかく、集団と言うものはすさまじく脆いものになる。
故に軍隊と言うものはできるだけのイレギュラーを想定し、あらゆる場面における精神力を養う訓練を、個人の修練と同等に重きを置いて行うのが通常であり、連帯の瓦解がつまり全体としての崩壊につながらないように意識し続けることは、恒久的な課題でもある。
そしてまた、それは裏を返せば、集団心理の揺さぶりと言うものがいかに敵方にとって一番嫌な攻撃であるかと言うことをあらわすものでもある。
...。
と、そこまで考えたところで、ジェイドは無駄に回転の速い頭での思考を半ば強制的に終了させた。妙に頭痛がするのは、気のせいではあるまい。
とりあえず、あれだ。
風に乗って妙に鼻腔をくすぐる出汁の香りは、幻でもなんでもないことは現実逃避をしようがしまいが変わらない。(ネクロマンサーの現実逃避なんぞと言う映像は、彼の主が腹を抱えて笑う前にまず熱を測りだすだろうくらい本気で珍しいものなのだが、残念なことにそれに気づける人間は極小数に限られる)
「おーい、そっち、根菜から入れろよ芋は煮崩れるから後だあと!土物先に決まってんだろこんにゃくは一回別に湯でこぼせっつーのバカ肉はまだだ堅くなるだろーっ!!」
妙に楽しそうなまだ若い少年の声が気持ちのよい秋空のした、のんどりと響いて今日は絶好のピクニック日和...ではない。断じて違う。
本日は、あくまでマルクト、オラクル合同の演習であって、野外炊き出しの日ではない。...はずなの、だが。(しかも常軌を逸した鍋のでかさだ。風呂、といわれたほうが納得するかもしれない、確かアレは...五右衛門風呂、だっただろうか。そんなサイズの鍋と、そして其れを乗せられる簡易かまどと、ついでに言えばそこに投入される材料やらなにやらがもっさもっさと出てきたあたりこう、なんというか突っ込みたい)
少数精鋭として送り出されてきた、音に聞こえるオラクル六神将、暁のアッシュ(赤い髪は背中に流され、しかしその顔は、半分ほどを黒い仮面に隠されて見ることはできないが)の特務師団と合同演習というまたとない機会を頂戴したとあって、マルクトの兵士達の気合の入り方といったら無かった。あわよくば手合わせをして、自分の腕試しをしたいだなんて考えていたものも居ただろう。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
というか、しょっぱかった。塩分過多、高血圧注意報並に、しょっぱかった。
「あー、たーいさーぁ。なぁなぁなぁなぁなぁミソくれよミソくれよ」
しかも、ミソたかられた。
師団長俺醤油派っすー!サトイモ牛肉醤油は譲れナイッスー!
と、オラクルの兵士が声を上げた。てんこ盛りの剥かれた芋をざる一杯に抱えている。
が、赤毛の特務師団長は、その兵士をくるりと振り返ると、怒鳴り返した。
「駄目駄目!今日はミソ!サイトモはいいけど豚肉ミソ!醤油は香り付けのみ!芋はジャガイモでも可だけど煮込むときに崩れるから大きめカットはゆずらぬぇえええっ!!こんにゃくは手で千切れ!不ぞろいなほうが出汁がしみこみやすいからな!」
「了解!」
男たちの野太い声が、そろって、赤毛の若い...否、軍人としては幼い部類に入る少年の指示に気持ちよく揃って返事を返す。
ここら辺は、流石に軍人と言うべきか。戦場においてもこの通る声は重宝すべきだろう。
...いまいち素質を使う方向を間違っている気がするが。
「灰汁取れー!気ぃ抜くなよっ!具は定期的にかき混ぜろっ!手早く優しく芋は崩すな!」
「特務師団長!ミソはもう入れてもいいですか!」
「待て待ていきなり突っ込むなお玉の上で溶かしてか
ら徐々に入れて、全体にかき混ぜてから味見しろっ!味見役は一人二回まで!ミソは風味が逃げるから、手早くいけっ!」
「い、芋が割れました!」
「そのためにでかく切ってあるんだから多少は気にするな!仕方ないよ少しは」
「ミソオッケーです!」
「ラストに醤油!その後は火、炭は最小限にしておくこと!芋がこげるし風味が飛ぶからな!」
「アイアイサー!!」
マルクトの面々は、とりあえず空を仰いだ。
いわし雲が秋晴れに映えて綺麗だ。
とりあえず、味噌の匂いにぐるるるるーっとそこらへんから腹の鳴る音が聞こえてきて、一斉に腹を押さえたマルクトの兵士達に、ジェイドは痛む頭を押さえる羽目になったのであった。
誰かが、言っていたような気がする。
人間、腹が一杯になるのであれば、人間は争う理由の半分を失うのだと。
もし、世界の人間がすべからく飢えないのであれば、果たして人々は態々争うだろうかという裏がある皮肉な言葉であるが、ある意味素直に捉えればなるほどと思えないでもない。
先ほどまでは、遠慮したように振舞われた椀に口を付けていたマルクトの兵士たちも、いまやオラクルの特務師団の兵士達と楽しそうにわいわいと談笑している。
最早、師団を纏めるジェイドも、そしてフリングスも、頭痛を通り過ぎて疲れ果てた頭に、揉み解すようにして手を当てた。
「ほいほい、フリングス将軍、カーティス大佐、うどん入り芋煮。どっかに餅の当たり入り」
軽い、土に還せる素材に入れられた器を差し出してにっこりと笑う仮面の少年に、少し面食らったように目を瞬いたフリングスが先に、その器を受け取った。
箸を一緒に渡してきた少年に、若干引きつりながらも受け取ったジェイドに、またにっこりと、少年は満面の笑みを浮かべる。
邪気のない笑みといえばいいのか、この若さで一国に並べるに久しいダアトの、その軍隊の、特務師団とはいえ一個小隊を預かる隊長格につくまでには相当の実力とそして同時にしたたかさを持たなくてはいけない。
であるのに、いつも(建前上は、ジェイドと少年...アッシュは今回が初めて会っていることになっているが)飄々としている体の少年といえば、戦いなんてあさっての方角に放ってきているような印象しか受けない。
今ですら、むしろ今日は合同演習ではなくいっそバーベキューといわれたほうがしっくりくる気がする。
受け取って口をつけた汁物は、大雑把だけれど中々に味が出て素直に美味いといえるだろう。
なんとも、大物なのかなんなのか。余裕の表れと言うことだろうか、
「お前らー、腹残しとけよー!焼き芋バターのせあるからなっ!!」
...しかし何だ、ちゃっかりとかまどを作る前にぬらした紙に包んだサツマイモをさらに薄くのばしたアルミニウムという合金の素材で包んで少し穴を掘って埋めて土をかぶせ、その上に薪と炭を乗せて調理することでサツマイモの蒸し焼きを作るというなんとも用意周到な真似をしてのける人物に警戒心を保とうとする自分がバカみたいになってくるわけで。
はぁ、とため息をついたジェイドに、アッシュは首を傾げてから、何を思い至ったのかぽん、とジェイドとフリングスの手にバターの乗ったサツマイモの半分を載せる。
「デザートな」
「はぁ」
「ど、どうも」
最早、フリングスの微笑みは苦笑いである。
こんなんでもいちおう、午前の演習はきっちりと予定通り進行しているし、確かに今は昼の休憩時間、あまりにてきぱきと準備をしたオラクルのお陰でむしろ予定は早まっているほうだ。つまり、現時点何の問題も起きていないわけで。
つまり文句の付け所がないのに微妙になんだか色々納得のいかないこの気持ちのやり場が、残念ながら二人の責任者には存在しなかった。
ぴゅるるるーっと、妙に寒々しい風が背中をなでてゆく。
何となく、もふり、と口にしたサツマイモは甘い中にバターの香ばしさがあって、単純であるのに、普段口にする手の込んだ料理よりも旨い。
「...全く、ここにいると遠足の引率か何かと勘違いしたくなりますよ」
「まぁ、楽しんでしまったもののほうが勝ちのような気もしますけどね」
「...ふぅ」
結局もそもそと、隊員たちと同じように芋煮に手を付け始めた二人は、くるくると楽しそうに率先して走り回る少年にちらりと視線を向ける。
「...良い天気ですね」
「同感です」
とりあえず、ほっこりとした芋を、現実逃避の代わりに放り込んだ二人は、この後報告会で爆笑するだろう主と、頭を抱えて小言を始めるだろう古だぬき達のことを、とりあえず考えないことで手を打つことにしたのであった。
秋の風物詩
芋煮が全国であると、高校生くらいまでは信じていました。
ちなみに私はミソ派です、醤油も美味しいんですけどね♪
2009/9/20up