「よっ」
「...またお前か」
ガイは、とりあえず部屋の扉を開いた瞬間当然のように自分(この場合、自分とはガイ...つまり部屋の住人を指す)のベッドに寝転がり、読みかけだった『月間譜業』をぺらぺらとめくっていた人物にため息をついた。
ウサミミ付のフードパーカーを目深に被っているので鼻から下辺りまでしか見えないのはいつものこと。慣れてしまうと彼が不審者だということを忘れてしまいがちだから怖い。
まぁ、ヴァンの関係者なのはいつぞやの件で理解していたが、結局この目の前にいる人物が一体何者なのかは分からないまま。
しかし、何故か部屋に居ても嫌悪感を覚えないから不思議なものだ。まるで昔から知っているように時折感じてしまう不思議は、うまく言葉では説明できそうにもない。
「何か飲むか?」
聞けば、自然に注文が返って来る。こちらに視線も向けないまま。
「んー...レモネード」
「へいへい」
そして、こちらも当たり前のように、言われた飲み物を準備してしまう。...ここまでくると、もういっそ笑っておいたほうがいいだろう。深く考えると、泥沼にはまりそうな匂いがするので。
大抵、彼は突然、しかしガイが暇でかつ誰も部屋に居ないときにひょっこりと現れる。
知り合って一年にはなろうか。...少年はガイを名前で呼ぶが、そういえばしかし、ガイはこの少年の名前を知らないことにはたと気がついた。
「...あのさ」
「んー?」
また、此方に視線を向けないまま返って来る答え。何となくそわそわしながら、ガイは一度唾を飲み込んでからきいてみた。
「今更だけど、名前聞いてもいいか?」
可笑しな話だ。そう思う。
だって、自分はそもそもこの少年の名前よりも先に正体を知るべきではないのかと思う。
ヴァンがあそこまで執着して見せていたのだから、よもやファブレ家への復讐を誓ってここに潜り込んでいる自分にマイナスに働くような人物ではない。...とは思うのだが。
それだって想像に過ぎない。もし、彼がきっかけで長年の計画が露見するようなことがあればことだ。
それに、考えすぎているのかもしれないが、ヴァンが自分が絆されている可能性を感じて送り込んだのかもしれない。そう、考えれば考えるほど、この少年は自分にとって安全な相手ではないのではないか。と思うのに。
自分が今一番困っているのは、この少年をいつまであんた、とかなぁ、とか呼んでいればいいのだろうかとそんなことで。...これでは、ヴァンに平和ボケしていると思われても仕方ないのかもしれない。
「...んー。...今は、まだ駄目だ」
ようやっと、身体を此方に向けて恐らくパーカー越しに視線をよこしただろう少年に、ガイは今度こそはっきりと苦笑を浮かべた。
名乗りもしない。...なのに、追い出そうとは思えない。...本当に、自分はどうしてしまったのか。
「ってもなぁ。気になるんだが。...なら、勝手に呼ぶぞ?」
いざ気になってみると、お前とかそんなぞんざいな呼び方では味気なくなるもので。
ガイがそういいながらレモネードのグラスを渡すと、ん、さんきゅ。と短い応え。
はぁ。とため息をついた。
これは、てこでも答えてくれそうにもない。
(こいつ、意外と強情だからなぁ...)
知り合って一年。会った回数はまだ両手の指を埋めるに足らない。
それなのに、確信めいたその心に浮かんできた言葉が一体どこから来るのか、ガイにはわからない。
でも今はこれでもいいのかもしれない。と思い直した。
何となく、きっと彼の正体を知ってしまえば、今のような関係はなくなってしまいそうだったから。
「あ、ついでにウザ髭来たらいつも通り俺は窓から逃げましたって言っといてくれよな」
「...お前は一体毎回ヴァンに何やらかしてるんだ...?」
訂正。
前回血まみれのヴァンが半分キレ気味に某なまなはげさんのような勢いでこの少年を探しに来たときに流石にガイも引いた。
何者か、と言うところにはもう突っ込まないとしても、いやしかしちょっと聞いておいたほうがいい気もするのだが。
流石についつい口から疑問が零れ落ちてしまったところで、うーんと考えるように少年は視線を虚空にさまよわせる。
「...今回はそこまでじゃない...と思う、けど?むしろ、対人間用最終兵器、某姫様の手料理をゲットするほうがメインだしなー」
「...ナタリア様に聞かれたら、確実に殺されるぞ」
「...ガイが黙っといてくれれば問題ないって」
...。
いや、まぁ確かにガイも、不審者を招きいれてレモネードご馳走した挙句彼は今から城に忍び込んで姫様のポイズンクッキングをゲットしにいく予定のようですだなんて告げ口、したら最後自分の首が先に飛ぶことくらい分かっているが。
ガイも、身を持って知っている。某姫様もといナタリア様の手料理と言うものが、いかに前衛的で、その、なんというか...ぶっちゃけこれ何の化学反応ですか?と問いかけたくなるような代物であるということを。
それを毎度毎度、このバチカルに来るたびに、ガイが貰ったルークに渡す前の試作品(と書いて毒物一号と読む。二号はもちろんルーク行き)を嬉々としてもらって帰ったり、時には自分で忍び込んで堂々と掠めてきたりだの...自分で食べたいわけでは決してないだろうに。
ガイの疑問が通じたのだろうか。にぃ、と笑みの形に歪んだ口元は、いたずらっ子のそれのまま笑い飛ばした。
「人間って、身体は鍛えられても内臓はどうしようもないよな」
親愛なるヴァンデスデルカへ。
...取り合えず、死因が食あたりとかにならないことだけ、祈っておくよ。
レモンの苦手な自分のためにいれたコーヒーをすすって、とりあえずガイは多分この後この少年の全力によって某姫様クッキング物をねじ込まれるだろうオラクル騎士団総長の無事を、どこぞに居るかもしれない神様に祈っておくことにした。
定期調達
結構、ガイとはだべりに来ています。
お前、堂々とファブレ家に侵入してるんじゃないよ!!という突っ込みを誰か入れてやってください。
2009/11/15up