セント・バレンタイン
「リグレットぉ。いいのか?髭に出禁くらってなかったかここ」
今日も今日とて平和な宗教自治区、ダアト。
東のほうで、ぬいぐるみを探して泣きじゃくる師団長がお友達を連れて走り回り。
西では、タルロウno....えぇと、数えるのも面倒...タルロウの何体目かを、製作と同時に破壊された師団長がキーキー言いながらこれまた別の師団長を追いかけ。
北では、とある赤毛の特務師団長の可愛いいたずらにより、巨体の師団長が狭い隙間にはまっていてオラクル兵士達が総出で引っ張り出し大作戦を行っていて。
でもって、南では今現在、調理場出入り禁止を言い渡されている師団長がいそいそと材料を持って禁じられた場所に踏み込もうとしていた。
どこが平和なものか。
いや、ある意味全て平和である。
そろいもそろって師団長軍団が仕事をしなくても成り立つダアト。
主にそのしわ寄せは、最高権力者の導師に行く...かと思えば、どうしてだか大詠師とオラクル総長に行っているので、目下ダアトの七不思議のひとつに数えられいたりもする。
その後ろに、赤毛とか緑毛とかが見えるという噂もあるが、事実はまだ闇の中である。(そうか?)
まぁ、その噂の中の一人であり、かつとある師団長を突き飛ばしてちょっくら隙間にはめ込んだ犯人であるルークは、あとでシンクと合流したときに何かつまめるものをもらっておこうと調理場に訪れて、冒頭の台詞を発していた。
そう、そこにいたのは、ナタリア以上人類未満の料理の腕前を持つ魔弾のリグレットそのひとであった。
仕事のしわ寄せの行きまくる総長を影で支えに支え続けるお母さんとして、ひそかにファンクラブも作られているという噂も立っているほどに、その容姿と肝の据わり方は並ではない。
かつては兵士養成学校の教官をしていたこともあり、その際についた二つ名は『スナイパー』。決してスナイパーのように精密な指導を、という意味ではなく、授業中に居眠りこいたりふざけたりしようものなら即座に譜業銃の洗礼を浴びるという恐怖十割のふたつ名である。
今現在は、子供を三人もかかえる六神将のお目付け役として、日々いたずらっこの子供達の教育に明け暮れる厳しくて時には優しいでもたいてい厳しいお母さんなのであった。
だが。
こと、料理のこととなると彼女は豹変する。
訂正、彼女の用意したごく普通の食材は豹変する。
ルークを振り返ったリグレットは、しまったという顔をしたが、軽く目を伏せる。
「アッシュか。...悪いが、今回は見なかったことにしてくれ」
見なかったことにすると、後でたいてい惨状を見る羽目になるんですが。
心の中だけにそれをとどめたのは、ルークの優しさではなくさらにリグレットが言葉を続けたからだった。
「そうだな...アッシュも、一緒に作るか?」
「心の底から遠慮させてくださいごめんなさい」
どこまでも礼儀正しく断りつつ、ダッシュで逃げようとしたトゥッティ装備のルークの襟首は、しかしリグレットの、材料を持っていないほうの手で軽々とつかまれていた。
「遠慮は要らない。...まぁ、失敗することも考えて、結構材料を買っておいたし」
貴方にとっての成功作品とは何をさしていますか?
そんな無礼なことを聞けるものなどこのオラクルに一人もいないだろう。(総長含め)
間違って聞いてしまった日には、プリズムバレットの制裁が下る。
六神将、魔弾のリグレットといえど乙女。乙女のタブーに触れようものならば、秘奥儀の制裁を加えられるだろうとユリアのスコアに残されていたらしい。(本当なのか)
ルークは、とりあえず今回劇的に変身(アフター)するであろう生贄である食材(ビフォア)を覗き込んだ。
農家の皆さんごめんなさい。食材を無駄にするのを止められません。
以前の自分であれば、きっとそんなことを思わなかっただろうけれども。
エンゲーブで、ああやって汗水たらして作られている食物を、こんな形で無駄にしてしまうと思うと本当に悔しい。
せめて、その雄姿だけでも焼き付けておこうと、思ったのだが。
「ちょ、ちょこれー...と?」
予想外のものに、ルークは目を瞬かせた。
いつものリグレットなら、夕飯にこっそり自分の手料理を振舞おうとして食材を買い込んでくるはずなのだが。今回に限って紙袋に入っているものといえばチョコレートであった。
生クリームや牛乳、ブランデーやチョコスプレー、ナッツなどなど...
付属品は色々あるが、どう見てもメインはチョコレートである。
「ば、バレンタインデーが近いからな...作っておこうと、思った...のだ」
ほほをばら色に染めるその様は、まさしく乙女。
しかし、彼女の手に食材という哀れな子羊がある以上、ルークには一つの選択肢しか残されてはいなかった。
ごめん、シンク。髭は明日いじるから。
今日は、お前だけで頑張ってくれ。
「判った、リグレット。一緒にやろう」
そして、少しでも食材を救おう。
所変わって、オラクル騎士団総長の執務室。
その扉を開けようとした部屋の主は、とりあえず見事な低音で第二譜歌を歌い上げた。
え、カウンターテナーじゃなかったの?なんて質問をすると、その最終兵器髭によって絞め殺される危険性があるので注意。(オラクル七不思議のひとつ)
ともあれ、フォースフィールドを発生させたヴァンは、ようやくその扉を開け放った。
ずどがん
センサー設置されていたフォニム爆弾が爆発するが、保険のフォースフィールドによって事なきを得る。髭のデコに怒りのマークが浮かんでいるのが判る。
「アッシュ...あれほど、致死量を設置するのは止めなさいといっているのに...」
致死量でなければいいのかと突っ込んでくれる良心の人は生憎ここにはいなかった。
前はあんなに可愛かったのに最近は本当に生意気になっちゃって。
アンニュイなため息をつく若き(見た目ではなく、実年齢をさす)カリスマ総長は、手塩にかけて育ててきたはずの愛弟子の反抗期に頭を悩ませていた。
反抗期じゃない、というか、最初からだろう。
愛弟子(思い込み)がここにいたら、そう突っ込みと共にエルボークラッシュくらいは放ってきたかも知れないが、総長の頭の中では走馬灯のようにかわいらしかったころのアッシュが笑いかけてきていたので言っても無駄である。
「しかし、少しは人を敬うということを教えねばならんな」
ことあるごと、うるせぇ髭、黙れ髭、うせろ髭。
何度総長がご自慢の髭ごと枕をぬらしたことか。片手では足りないだろう。
目に入れても痛くないメシュティアリカは相変わらずクリフォトに帰るたびにうれしそうに自分を出迎えてくれるけれども、一度くらいアッシュにお疲れ様といってもらいたい。
いつもお世話になってます、とか。
脳内で、ちょっと照れくさそうに笑いながらそんな台詞を言っているアッシュが再生されていて、総長、ちょっと今この瞬間怪しい人間である。
常の、アッシュの総長への態度を知る人間であれば、夢物語だろうと思ったその総長の妄想。
しかしそれは、現実のものとなる。
「チョコレートを湯銭で溶かす...アッシュ、チョコレートを溶かすお湯はどれくらい必要なんだ?」
「リグレット。お約束なんだけど、多分というか絶対。チョコレートをお湯に入れないで...」
ぼちゃん
「ん?なんだ?」
「なんでもない。俺は俺でなんか作ってるから。聞きたいことがあったら聞いて」
「判った」
食堂の入り口には、ルークによって立ち入り禁止のテープが張られている。
間違っても、二次犠牲者を出さないためだ。
最初は、リグレットの料理を少しでも正しい方向に向かわせようとして指導を始めたルークだったが、一時間が経過した今現在、断念して自分でチョコレート作りを行っていた。
バレンタインがなんの日なのかは知らないが、リグレットの料理というものは被害が六神将に限定されているので最初にまともなもので保険をかけておこうという魂胆だ。
リグレットが材料を多めに購入しておいた、というのは大げさではなく。
というか、大げさだろうと思うくらいの材料が調理台に載せられている。
すでに、その四分の一ほどが謎のクリフォトと成り果てているが。
生チョコトリュフを作りつつ、また一つクリフォトの海に沈んだ材料(多分、ヘーゼルナッツ)の冥福を祈ったルークは、ふと、リグレットにきいてみた。
「なぁ、ばれんたいんって、なんでチョコレート作るんだ?」
「あぁ...まぁ、好きな相手に告白と一緒に贈るというイベントだったのだが、最近ではお世話になっている人や友達同士で交換をしたりもするらしい」
「...リグレットは、誰にやるつもりなんだ?」
ずるっ、ぼちゃっ
クリフォトに、混ぜるな危険というか、混ぜすぎ危険なブツが注がれる。
ブランデー一瓶、投入完了。
ルークの質問に真っ赤になったリグレットは、どうしてだろうかそっぽを向きながら、小さな声で答えてくれる。
「ま、まぁ。日ごろの感謝をこめて、閣下に。...お前達にも」
「いや、ほら俺は自分で作ってるしさ。リグレットは、髭にだけつくってやれよ」
「そ、そうか?」
「そうそう。俺はどっちかっていうと、日ごろお世話になってるほうだし。うまくいったらリグレットにも渡すな」
どうしてお前はそう、リグレットにばっかり素直なんだ!
どこからともなく、髭の叫びが聞こえてきたような気もしないでもないけれども、ルークはいまさらそんなことを気にするわけもなかった。以前には、敬愛の対象だったが、いまや髭の評価は変態拉致オヤジである。二十代にオヤジとは失礼な名称だ。
「...そ、そうか。まぁ、アッシュが、そういうのなら...わたしも、かまわない、が」
不注意は事故の元。
再び、リグレットの手からココアパウダーがクリフォトへと落下した。
救出不可能。
先に、使う分をとっておいて良かったと思いつつ、ルークは自分の分を早々に仕上げて片付けに入る。
「俺、皆に配ってくる。リグレットの分、ここにとって置いたから。...あとで、食ってくれ」
「あぁ、ありがとう。アッシュ」
一口サイズのトリュフは、少し形はいびつだけれどもほのかなブランデーの香りが鼻腔をくすぐる。見まごう事なき、本来のチョコレート菓子の姿である。
ルークは、なんとなく、隣ですさまじい様相を呈しているボールの中身を見ないようにした。クリフォトだ、クリフォトがそこにあるのだ。
さっき、途中で胡椒が入った時点で、ルークはこれを渡されるのだろう髭への憐憫を感じずにはいられなかった。幸か不幸か、チョコレートというものは色が濃いので、魔界だろうとなんだろうと、見た目はチョコレート菓子であるだろう。...多分。
作業を早めにやめたのも、実はフローラルな醤油臭いにおいが換気扇全開の調理場に充満し始めたためで、またの名を逃走ともいう。
結局、食材のほとんどを救うことは出来なかったが、せめて自分の作ったほうはきちんと食そう。
そんな、誓いを新たに、ルークはそそくさと退散したのだった。
「...ナニコレ」
勧誘の後、髭虐め隊に入団した隊員二号は、仮面ごしにも判るほどに顔をしかめていた。
「何って、チョコレート」
「見れば判るけど。」
「バレンタインなんだって。...いつもお世話になってる人に、チョコを渡すんだってさ」
「...何、その明らかに間違った解釈」
「?結構うまく出来たぜ?食えば?」
「まぁ、食べるけどさ。...アリエッタにもやるんだろ?」
「みんなの分用意してるよ。箱につめた。さっき、ラルゴとディストとリグレットには渡してきたし」
シンクは、間違いなくこの男はバレンタインデーをお歳暮か何かと勘違いしていると確信した。
確かに、最近世話になっている人にチョコを渡すという風習があるのはわかっていたが、あくまで渡すのは女限定であったはずだ。アッシュはどう見ても男、男であるのに。
「ん?なんでここに箱が四つあるわけ?」
「あ?一つがシンクで、あとアリエッタで、あと俺」
「自分もかよ」
思わずノータイムで突っ込みを入れてしまったシンクを流して、彼の口から暴言が漏れた。
「あと、髭」
「はぁ?!熱でもあるわけ?」
「いや...さすがに、哀れで...」
いきなり、顔が暗くなったアッシュに、シンクが首をかしげた。
アッシュが、総長のことを気遣うことなど、年に一度あればいいほうだ。
それも、誕生日に「おめでとう、今年で四十か?髭」とか、微妙な気遣いだったりするのに。
「...リグレットが...」
「ああ...」
その名称で、何が起こったのかシンクは即座に理解した。
そうか、それは不憫すぎる。
それ以上言葉にしなくても、お互いの目を見合わせれば十分だった。
いかな、髭を憎む二人とはいえ、人の心は持ち合わせていた。
「...励ましとくか、精一杯」
「そうだな、一週間くらいはあえないだろうからな」
アッシュとシンクは、そのまま足を髭の執務室に向ける。
セント・バレンタイン、乙女の日。
とりあえず、まだその危険に気づかないヴァンがルークとシンクからチョコレートを受け取り、さらには日ごろの礼を言われ舞い上がっている今現在。
その歓喜が、悲鳴に変わるまであと...
ちょいと早いですが、バレンタインのお話。
乙女ということで、リグレットかアリエッタか悩みましたが。
総長をいじめやすいので、リグレットにしておきました。
ルークは、黒いけどいい子なので、総長を励ましてあげたようです。
そのあと、総長は二週間意識を飛ばしたそうな...
2007.01.26up