暁と黄昏を飲み干す第六天
連れて行くな。
夜中、そう叫んで目が覚めることが多くなった。
特に、レムの塔でルークが障気を中和して、奇跡に近い確率で生き残ってから、ほぼ毎夜になる。もう届くことも言葉を交わすことも叶わない背中に向かって、それでも必死に腕を伸ばして叫ぶうちに眼が覚めるのだ。
目が覚めれば、どっと襲ってくるのは疲労ばかりで、身体を休めなくてはいけないことを理解はしていても祈らずにはいられない。
緑の瞳、深緑の髪。そうして、どこまでも優しいばかりの、少年。
壊れ続けていたルークの心をそのままに、そっと傷つけることもなく包み続けていた少年。
あの微笑は、ガイだって覚えている。忘れようはずもない。
彼だけが、ルークを支え続けてきた存在で、ルークをルークとしてみてきた存在で、ルークを糾弾することなく受け入れ、そうして裏切ることもなかった存在だった。(ミュウを除けば)
ガイだって、何度もルークに手を伸ばした。
けれども、それはいつかジェイドがガイに予言めいていったとおり、ただルークを切り刻むだけだったのだ。笑うことも出来ずに壊れてゆく子供を抱きしめたくて、そうして抱きしめる代わりにその身体から鮮血をあふれさせた。
最初から、ルークの命を狙うために近づき、外の世界を教えないまま育て、そうして突き放したことは事実だ。たとえ、迎えにいったところで、それは事実として残り消すことも何も出来はしない。
「くそ...」
すっかり、目がさえてしまった。
がしがしと、金の髪をかきやって、誰にともなく悪態をつくことが出来たのは宿がひとり部屋だからに他ならない。そのことが、今は何よりだった。
イオンの死で、ルークは皮肉にも笑えるようになった。表情を取り戻した。
その代わり、決定的なものを、失った。
泣くこともできず、ただ笑って即座に自分の死を受け入れ、止める仲間達を尻目にそれはまるで幸せであるかのように見えた。それほど、ルークの表情は晴れやかなものだったから。
レムの塔で、生き残り再び仲間達と合間見えることが出来たルークの表情を、ガイは忘れない。
―――どうして連れて行ってくれなかったんだ?
無垢な言葉が、塔を降りるとき一番近くにいたガイにだけ届いた。
そうして、ガイの悪夢とも言える夢が毎夜続くようになったのだ。
連れて行かないでくれと、叫ぶことしか出来ない、歯がゆい夢。
実際には、ガイのほうがよっぽどルークに手が届く位置にいるのに、ルークに一番近いのは、消えてしまった彼なのだ。
ルークは、彼の元へいくためだけに、レムの塔に登ったのだ。
消えてしまった彼の元に、自分を連れて行くためだけに、何のためらいもなく自分を差し出したのだ。
そしてそれに、なんの疑問も抱いてはいない。
抱くことも、もう出来なくなってしまっていた。
どれだけ、回りが子供を愛しても、大切に思っても。
それは、死した世界にのみ思いを馳せる子供にはまったく届かないのだ。
「酒でも、引っ掛けるか...」
いくら、眠ることに辟易してきたとはいえ現実に休まなければ命を落とすことになりかねない。
もう一人、おそらくはガイと同じように夜を眠れずに過ごしているだろう人物の顔が思い浮かんだが、彼は休もうとはきっとしないだろう。
戦闘で命を落としても、彼はきっと何も思わない。
いや、歓喜を覚えるだけ。
その彼を守るためにも、自分は休んでおかなくてはいけない。
たとえ、アルコールによってもたらされた眠りの先に、あの優しい少年の微笑があろうとも。
最後の、わかれ。
ティアの譜歌と、ルークの超振動によって、ヴァンが倒れ付す。
それが、ルークと仲間達との別れを示していた。
仲間達のかけるどんな言葉にも、ルークは笑うばかりで悲しい顔の一つも見せない。
誰もが、ルークの心に歓喜が満ちているのを知っていて、それでもひとかけらの希望と共にそれぞれの思いを口にしていた。アニスなど、幼い顔を泣き顔にゆがめそうになりながらも精一杯明るく振舞っている。たとえ偽物の笑顔とはいえ、ルークはそんなアニスに笑いかけて冗談も言っている。
だからこそ、ガイの心は痛かった。
最後まで、傷つけることしか出来ない自分が、殺してしまいたいほどに憎かった。
そうして、ルークを連れて行ってしまう少年が、憎かった。
自分が手を伸ばせば、きっとルークは傷つくから、手を伸ばすことが本当に怖かった。
―――本当に、そうですか?
ふわりと、深緑の香りが際立つような風が、吹いてきた。
ガイばかりではなく、全員が唖然とした顔で風の吹いてきた方向を見上げているので、ガイばかりの錯覚ではあるまい。
けれども、それとともに声が聞こえたのはどうやらガイだけであったようだった。
まるでそこに、微笑んでいるイオンがいるかのように、声が聞こえてくるのだ。
姿は、どこにも見えないのに。
(イオン、ルークを連れて行かないでくれ)
けれども、そこにいるのはイオンだとわかっていたから、ガイは祈るように話しかけた。
どうか、この泣くことも忘れた子供を、連れて行かないで欲しい、と。
―――手を伸ばしたら、傷つけるかもしれません。でも、届くかもしれません。何もしないであきらめては、ダメですよ
苦笑を織り交ぜたようなイオンの表情が、脳裏に一瞬浮かぶ。ガイは、呆然とした。
再び同じ過ちを犯そうとしていたのは、ほかならぬ自分であった。
そう、アクゼリュスのときと自分は何も変わっていなかった。ルークに変わることを強制して、自分はただその場で足踏みをしていただけだった。
あの時と同じように、ルークを一人で突き飛ばそうとしていただけだったのだ。
―――ガイ、僕は、優しいルークが好きですよ。...笑っているルークが、好きです。
風が一度だけ吹いて、それきりイオンの声はやんだ。
呆然と立ち尽くしていたガイに、笑いながらルークが問いかけてくる。
「どうした?ガイ」
ありがとうイオン、お前はルークを連れて行こうとしていたわけでも、ルークを壊したかったわけでもなかったんだな。
ただ、ルークを大切に思って、幸せを願っていただけなんだ。
気づけば、ガイは思い切りルークを抱きしめていた。
ルークの身体が硬直するのを感じる、仮面のような笑顔が剥がれた。
傷つけるかもしれない。けど、もう偽るのはやめた。
「帰って来い。俺の主は、お前だけだ」
手放すものか。ここにいる、愛しい存在、それだけが真実だ。
石に埋もれ、つぶされるのなら引っ張り出すだけの話。
この手が傷つこうとも、鮮血あふれようとも、離しはしない。二度と。
緑の瞳が、見開かれる。
離せ、と弱弱しく言われた声を、ガイは無視した。
「お前は、まだ、イオンの元に行くのは早すぎる」
「ガイ!!離せ、離せっ!!」
イオン、という名前を聞いて、火がついたようにルークは暴れだした。
その、自分よりも一回り小さな小柄な身体を押さえつけながら、ガイはただ引き止めるように抱きしめ続ける。
ルークに初めてで会ってから、ガイにとってのルークは一人だけだった。
ただ、一人だけだった。
「俺は、やっと、やっと...」
「行かせない。...俺は、何年でも待ってやる。馬鹿だと、しかってやる。一緒に、生きる。お前がすがっているのはイオンじゃない、幻なんだ」
「黙れっ!!」
ざくりと、ルークの振り回したローレライの鍵がガイの腕を引き裂いた。
それでも、ガイはルークを離さない。
あふれ出る鮮血に、ルークは泣きそうな色を浮かべた。
「黙れ...ガイ...」
「行って来い。そして帰って来い。...俺に隠し事をするような根性、叩きなおしてやるからな」
おどけたようなガイの声音に、がちがちにひきつって凝り固まった、それでも本当の笑みを、ルークは浮かべる。死の世界ではなく、ようやっとルークは『ガイ』を見た。
ガイたちがいなくなり、いよいよ崩れかけるエルドラントの中心で、ルークは自分でも驚くほど穏やかな気持ちでいた。
鍵を突き立て、ローレライを解放する。
途中、落ちてきたアッシュは冷たくて、とても、切なくなった。
自分の身体が光と解けかけてきて、段々力が入らなくなるのを感じる。
イオンのところにいけるのかな、と漠然と思った。以前のようにそれにすがりつきたいわけではなく、もう本当に、疲れきって体を動かすこともできなかったからだ。
ガイの必死の言葉に、戻るよ。と約束が口から滑り出したときには自分でも驚いた。
出来ることなら守りたかったけれども、今は本当に疲れてしまってダメなんだ。
なぁイオン?俺は、もういいよな?
お前のそばに、いけるよな?
と、感じるはずもない、春のような風が身体を通り抜けたのをルークは確かに感じた。
それとともに、懐かしい、とても懐かしくいとおしい姿が目前にあることも。
手を伸ばそうとしたけれども、ぴくりとも動かすほどの力はどこにも残っていない。
ただ、ルークに出来たのはイオンを見つめることだけだった。
イオンは、微笑みながら、そっとルークにその両の手を伸ばす。
―――ルーク、僕は、貴方の幸せを、祈っています。
変わらぬ笑み、穏やかな様子。
優しく、その両手でルークは包み込まれるように感じた。
そうして瞳を閉じ、それきり意識は途絶えた。
タタル渓谷に、大譜歌が響く。
セレニアの花の中、あらわれた青年に、ティアは涙をこぼし、誰もが目を見張っていた。
約束だったからな、と笑う青年は、あのときよりもほんの少し成長していて。
それでも、あのときと同じ不器用な笑い方だった。
まずは、しかってやろう。
それから、褒めてやろう。
そうして、笑いあうんだ。
今度は自分が約束を守る番だから。
まずは、その頭を思い切りなでてやろうと、思う。
もう、手を伸ばすことにためらったりはしない。
背中を押してくれた少年がどこかで見守っているのだろうと思いながら、ガイはその一歩を踏み出した。
おぉっ!!何かガイルクっぽいハッピーエンドに!!(笑)
散々迷った挙句、結局続きとして書くことにしました。
ガイ様視点、イオン様は最終兵器だけあって無敵のご様子です(オイ)
これにて、薇仕掛け〜の続きは終結であります。最初はホントに短編一つとして考えていたので設定が甘いのですけれども、まぁこんな終り方も一つあったのかな?くらいに見ていただいてオッケーです。もちろん、前回のまま真っ黒に終るのもありだと思いますし(こら)
青春模様のようで書いているこっちが照れましたが。
2007.2.13up