久しぶりに見るはずのバチカルに、そこまでの懐かしさを感じることがないのは、もう大分自分がここに馴染んでしまったからだろうか。
記憶を持ったまま、このバチカルに戻されて、そうして記憶の通りに軟禁された。
けれども、自分がするべきことはある程度わかっていたし、ルークの身体能力であれば誰に見つかることなく抜け出すくらいのことは簡単だった。
そうして、こっそりと見て周ったせいかもしれないけれども、箱庭しか知らなかったころのルークとは、自分は違っているのだということを改めて認識させられる。
「どうだルーク?バチカルに帰ってきた感想は」
そつない笑みを浮かべて聞いてくる幼馴染は、多分ルークが時折抜け出して闘技場に行ったり、港から海を眺めていたことを知らない。
その上で、あの箱庭しか知らない子供だとわかった上で、こうして箱庭の『外』を見せて感想を求めてくる真意は何なのだろうか。
別段、ルークはガイを疑いたいわけでもないし、疑っているわけでもないけれども、どこかその笑みの裏側にはまだ黒い何かが巣くっているのを鋭敏に感じ取ってしまって辛い。
曖昧な表情をしているルークに、ガイはどうした?と首を傾げてみせる。
なんでもない、と首を横に振ると、そうか。とそれ以上追求してくることはなかった。
昇降機で上ってゆくたびに遠くなる市街を、見下ろしていることが何かルークは好きになれない。
時折きしむ、金属独特の音を響かせながら上る譜業に、アニスなどはただ無邪気に声を上げているだけだけれども。一緒になってはしゃぐには、ルークは世界を知りすぎてしまったから。
予言の為に、ただ繁栄の為にためらいもなくアクゼリュスの人々を切り捨てることが出来るような人々なのだ、この街を見下ろして生きる大半の人々は。
そうして、自分の家も結局のところそうして見下ろして生きる人々に含まれているのだ、と思うと自然とため息が出る。
「...どうしました?ルーク...具合でも、悪いですか?」
眉根を寄せたイオンが、緑色の瞳で覗き込んできたので、ルークはその頭をクシャリとなでてやった。
イオンは、頭をなでられることに慣れてはいないようで、いつもルークがこうすると一瞬身体をびくりとさせるけれども決して嫌がったりはしない。
だから、ルークはつい、なでてしまうのだけれども。
「本当に、すみませんでした。...成り行きとはいえ、こうして親書を届ける為に貴方には随分と負担をかけてしまいました...」
少し視線を落として、本当に申し訳なさそうに告げるイオンに、ルークも少し困った顔になってしまう。
もちろん、誰もルークが一度皆と旅をした記憶を持っていることなど知っているわけもないけれども。今回は、全てをわかった上でティアと超振動を起こしたのだし、それを素直に謝られてしまうとどうにも良心というものが痛むわけで。
(周りから見ていると、子犬が二匹うなだれているというこの上ないかわいらしい状況なので、ティアあたりが必死に緩む顔を隠しているが。)
堂々巡りになりかけていたところで、タイミングよく昇降機が止まった。
どうやら、話しているうちに最上階についてしまったようだ。
気にするな、という意味をこめてぽんぽん、とイオンの頭を叩くと、きょとんとした顔がしばらくルークを見つめていた。



形式だけの謁見を済ませて、久しぶりにファブレ邸に帰って。
そうして、ようやっと落ち着くことが出来て、ルークは自分の部屋のベッドの上でぼんやりとしていた。
枕元では、チーグル族であるミュウが平和そうに寝息を立てて眠っている。
その頭を、軽くなでてやれば寝ぼけているのか幸せそうな鳴き声を上げる。
(さて、どうするかな...)
明日には、親善大使に任命されてアクゼリュスに出発することになるだろう。
結果として、イオンには全てのセフィロトの封印をといてもらわなくてはならないので、イオンが攫われるのをあえて無視しなくてはいけない。
ちくり、と胸の奥が痛むのを感じる。
ルークは、ジェイドとは違った意味で、イオンが好きだ。
あの、自分で今考えても傲慢に過ぎたルークも含めて、好きだといってくれたイオンが好きだ。
全員が否定した『自分』を、たった一人認めてくれた人だから。
ローレライが、何を思って自分にもう一度チャンスをくれたのかはわからないけれども。
できることなら、あの時残した後悔を、少しでもなくしたい。

(ただの、我侭かもしれないけれども、許してください。)

同時に、時々、ただ自分が妄想に取り付かれているだけの狂った人間のような気がして、泣き叫びたくなる。当たり前のことだろう、未来の記憶があるなどということが、どれだけ非常識なことなのか理解できないほどルークはおめでたくはない。
泣き叫びたくても、誰かにわめき散らしたくても、ルークののどからは細い息の音しか聞こえない。
胸にしまったままの、全ての記憶を吐き出すことも出来ないまま、独りで歩くしかないのだ。目にも見えない、ただ不安定なままの道を。
考えているうちに、どうしようもなく、泣き出したくなってきた。
アクゼリュスや障気や、レプリカ問題など、ただの自分の妄想なのだと否定されそうで怖い。
否、ずっと、最初から、怖かった。
もしも、何か、誰かに一つでも否定されれば足元から崩れ去るだろう。それだけのもろい地盤しか、ルークには存在していないから。
何かにすがりつきたくて、どうしようもない。
『あの時』は、ただ大好きな人が傍にいてくれただけで、何も怖くなかったというのに。

(俺の我侭をゆるしてください)

大丈夫、まだ、頑張れる。
まだ、大丈夫。
そう、だから、前を向いて。
前を向いて、それから?
...それから?

とんとん

思考の途中で、ドアがノックされる。
声の出ないルークの為に、ルークの枕もとには簡単な譜業装置が設置されている。
そのため、もし誰かがドアをノックしたら、ボタンを押すことによって部屋に入る許可を出すことが出来るのだ。
昔、ガイが喜び勇んで三日ほど徹夜をして作ってくれた品だ。
入ってきたのは、意外な人物だった。
「ルーク、すみません。休んでいるところを」
大丈夫、と現すように首を振って、そうしてからふと困って、イオンにベッドを指差して自分はいつものガイと同じように窓枠に腰掛ける。
元々、ルークの部屋は誰かを迎え入れることを想定されていないので余計な家具がないのだ。もちろん、使われているものは国宝級並みのすばらしい品々ばかりだけれども。
ルークの勧めにしたがって、ベッドに腰を下ろしたイオンは、にこり、と笑ってから口をひらく。
「大丈夫です、ここに来ることはアニスには言って在りますし、帰りは騎士団の方が送ってくださることになってますから。...なんだか、貴方の様子が落ち込んでいるようで、気になったので押しかけてしまいました。...迷惑でした?ルーク」
『そんなことないよ。ありがとうな、イオン』
さらさらと、メモ帳に文字を書き綴ってみせる。それを読んでイオンは、良かった。と胸をなでおろす。
内心では、思いのほか鋭いイオンにひやりとしていたけれども、それを顔に出さないほどにはルークは年月を過ごしてきたから。
「ルーク、貴方は、何かを思いつめてはいませんか?...僕でよければ、話してはもらえないでしょうか」
ルークをまっすぐに見つめる真摯な緑の瞳には、一点の曇りもない。
これが、少しでも下心でもあればうまくごまかす手段などいくらでもあるのに、今も昔もどうにもルークはイオンに弱いという自覚がある。
『大丈夫だよ、心配してくれて、ありがとな』
「いえ、僕の思い過ごしならいいんです。...長旅、お疲れ様でした。またいつか、お会いできると、いいですね」

唐突に。
イオンに、言ってみたくなった。
すぐに、会えるのだと。
季節が一巡りするほどの旅を、共にするのだと。
親書を届けるだけが仕事のイオンは、本当であれば明日にもバチカルを発つ。
このことをイオンに伝えれば、馬鹿だと笑われるだろうか。

「では、お邪魔しました」

呼び止めようとして、止めた。やはり、馬鹿のような気がしたから。


導く先の、奈落の底に







イオルク?!イオルクなんですかこのシリーズ?(笑)
本当は、バチカルの屋敷に入ってくるのは大佐でいて欲しかったのですけれども、開戦するかもしれないってときに敵軍の軍人を快く迎えるほど生易しくないよなぁと思ってイオン様にしてみました。
自分だけが記憶を持っているのって、時々怖くなると思うのです。
ちょっと、そんなところにスポットを持ってきてみました。
2007.4.29up