各々の認識とアンビバレンス





―――誘拐のショックで、記憶をなくしたばかりか、言葉もなくした。
そんな説明を受けたとき、まず最初に感じたのは、仇の息子をこの手で殺す機会が残されたことへの安堵。
そうして、次に感じたのは、呆れるほど冷徹な頭で...ざまぁみろ、ということだった。



三月ほど、うまく歩くことも出来ず一人で食事も出来なくなったルークに、彼は漠然とした不思議を抱いた。
早熟で、十歳にして帝王学すら修めていたルークがこんな様相を呈するなど、考えもしなかった。
自分や婚約者であるナタリアには確かに心を許してはいたけれども、それだけ。
ルークはあくまで次期国王としての分を超えず、完璧な公爵子息として周りの期待にこたえ続けていたのだから。
よたよたと地面をはいずり、手で物を食べる姿など誰も想像しなかったし、その姿は実の親である公爵すら眉をしかめ、母親であるシュザンヌなど一度気絶した。(その姿には、正直ざまぁみろ、としか思えなかった。)


しかし半年ほどして、別の疑問がわいてきた。
確かにルークはうまく歩けないし、ものも食べるのもうまくない、それに話すことも出来ない。
そのことについて、ルークが理解できていないし告げ口も出来ないのをいいことにルークの前で散々陰口を叩く使用人も少なくなかった。...けれども。
けれども、よくよく見ていれば、ルークの目はいつも理性の色を持って話す人物の目をまっすぐに捉えていた。
それゆえ、陰口を叩いている人間は己の心のやましさにすぐにこそこそと逃げ出していたのだが。
ふらふらとしながらも歩けるようになった子供を見守りながら、転びそうになったルークの腕を取れば、視線がかち合った。

ふわり

やわらかい、というのが一番正しい表現なのだろう。
まるで春の野原のような穏やかな瞳と、精一杯の笑顔が自分に降り注いだことに思わず硬直した。
知らない、自分は、こんな優しい笑顔など、知らない。
「どうした?ルーク」
動揺した自分をごまかすように言ってみれば、少年の口が見慣れた形に動くのが見える。
何度か、同じ、簡単な文字。
自分でもその形をまねて動かしてみて、そうして思いついた音を載せてみる。
何度か失敗して、そうして一つの正解に至った。
「あ、り、が、と、う?...ありがとう?」
感謝の言葉...ほとんど、以前のルークからは聞くことのなかった。
ぽかん、思わず口をあけたまま唖然としていると、子供は照れたように顔を赤くしてぷいと顔を背けてしまった。その様子がなんだかかわいらしくて、思わず頭をなでてしまう。
以前のルークならば間違いなく怒鳴っただろうし、見つかればどのみち不敬罪もはなはだしいはずだけれども、でもなんだかこの今の「ルーク」はまるで稚い子供であったから。
つんつんはねているように見えるのに、実のところやわらかい朱色の髪を何度か撫で付けて、そうしてついてしまった枝葉を払うと、気持ちよさそうに目を細める。
「おやつ、食べましょうか、ルークお坊ちゃま」
わざと、使用人ぶった言い方にすれば、見る見るうちに笑顔は消えて、不満そうに頬を膨らませた表情に変わる...分かりやすいほど。
最初、うまく歩くことも出来ないルークを介助している間の自分の口調にルークが不満を漏らすことはなかったが、こうして歩けるようになって庭に出たりするようになると思ったことを表情に出すようになった。
例えば、自分が「お坊ちゃま」と呼んだり、敬語を使ったりするとルークはすねる。
本当に、言葉も忘れてしまった白雉の少年なら敬語の意味などほとんど理解できなかっただろう。
けれども、ルークはたまに自分がペールと話しているときの割と難しい類の会話にも相槌を打っていた。ためしに、相槌だけで返事が出来るような質問を二、三してみればしっかりと返事がかえってきた...そこにあったのは、虚無の無知でもなく、「ルーク・フォン・ファブレ公爵子息」の知識でもなく、個としての一人の少年の自我であったように思われた。

それが同情であったのか、友情であったのか。
彼が自分の気持ちを整理できるまでまだしばらくの年月がかかるのだけれども。






初めてであったときの印象は、穏やかな海のような少年だった。それこそ、なんでも包んでしまうような。
すでに年齢的には青年の域に入りかけてはいるものの、少年の印象が強かったのは多分、無垢とか純粋とか、そんなきらきらとした言葉が似合うようなあの瞳のせいだったのだと思う。
言葉が話せないせいで、家に軟禁されてしまっていた彼を連れ出してしまったことに縮こまって申し訳ない想いをした自分に、考えてみれば彼は一度も責めることなどなかった。
確かに彼は話せないが、白雉ではない。
多少世間に疎いところはあっても、頭の回転もいいし、貴族の子息であるのに質素な旅に不平不満も言わずに笑っていた。紙とペンさえ渡せば文字によって会話も可能であったし、何よりいつもにこにことしていたので穏やかな人だと思った。

けれども、戦いに妙になれていて、いっぱしの軍人どころの話ではない。
下手をすれば、ネクロマンサーとして恐れられるジェイドすらも凌駕するのではないか(悔しいが、軍に入って二年くらいしかたたない自分の実力では、自分を比較対象にすることなど出来なかった。)、というほどに。
温厚温和を絵に描いたような穏やかさはなりを潜めて、鬼神もかくやというその戦いぶりに最初感じたのは純粋なる恐れ(当たり前だ。人はあまりに自分と異なるものを受け入れられない)、そうして、なれてくるにつれその無駄のない動きを美しいと思えるようになった。
普段であれば、さりげなく休憩のときに花などをよけて座るし、虫もつぶさない。
お綺麗なお貴族様の道楽かとも思ったけれども、時に狩をして食べるものを得るときにはためらいを見せなかった...芯の通った、心地の良い甘さのように感じられた。

ひょんなことで同行することになったミュウに、向けられる慈しみの視線はどこまでも優しく、時折泣きそうなほどに寂しそうな顔を見せるのも主にこの聖獣の前でだけ。
それがどうしてか少し悔しくて(冷静に考えれば当たり前の事だ。何せ自分はほとんど彼のことを知らない。そうして彼は自分のことを知らないのだから。)、でもしばらく一緒にいるうちに、彼がもっともっと暖かな視線を向けている人を見つけた。
ジェイド・カーティス。
敵国マルクト。死霊使い。皇帝の懐刀。
どれをとってもルークにとってプラスとなる要素を持ち得ない上に、チーグルの森から強制というか脅しに近い連行をされたにも、関わらず。
初対面にも関わらず、ルークはまるで至上の幸福のような笑顔で彼を迎えた。
理屈も何もなしに、ああルークはジェイドを好き...いや、そんな言葉ではくくれない。愛、とか、そんな言葉も当てはまらない...とにかく、あれは番の鷺にも似た、そんな不可視の糸にも似た。
男だから、とかそんな要素など当てはめようはずもない...其れくらいのことは、すぐに理解できた。

キムラスカについて、そうしてアクゼリュスへの任を受けて。
段々固くなっていく彼の表情と、そうして自分の心の苛立ちに周りを見る余裕はいつしか失われていく中。
一人回りに溶け込まないルークは、まるで駄々をこねる子供のようで。
正直幻滅した。...そうして、自らの罪を認めようとしない彼に、失望した。
傷ついた姿も見せず、そうして背を曲げたりしないその開き直りにも見える顔に、苛立ちばかりが今は募る。
兄のしたことが許されるわけはない、止められなかった自分もふがいない。
でも、彼がしたこともまた、許されはしない。
それすら認められない彼を、いかに認めることが出来ようか。

でも、本当に、思ったのだ。...少なくとも、あの時は。
あの少年が、ジェイドの隣で、笑える日常があればいいと。
本当に。






はじめ?はじめはね。ちょっと、レディに対して非常識だと思った。
だって、あたまぽんぽーんってなでてくるなんて、子供扱いっていうか。
いいとこのぼっちゃんで、ぽやぽやーっとしててどっかイオン様にそっくり。
でもなんだろう、年上なのにどうも弟のような気がしてならない。
だっていつだったか、夕飯作るついでに野いちごのババロア作ったらきらきらした顔でほっぺたにくっつけてうれしそうに食べてたし。
もしも尻尾ついてたら絶対振ってた。うん、絶対。
わんこ?...でもないな、弟。
そう、弟。
ぼけーっとしてて、手がかかって、世間知らずで。
でもって、ついつい構いたくなるような。

しゃべれないから、どんな声なのかなんて分からない。
でもきっと、照れたかんじの、ちょっと可愛い男の子の声で笑うんだと思う。
からかえばちょっと声が高くなるのかもしれない、怒ると意外と大人っぽい低い声なのかも。
なんて、想像することはできても現実になることはないのに、どうしてだろう。
あの口から漏れてくる声が、簡単に想像できてしまうのだ。不思議と。
ふつうのヤンチャな男の子のように、「うぜー」とかいってみたりして。

そこまで想像してみて、苦笑した。
だって、自分よりよっぽどつきあいの長いガイですら、例えばあくびのときに漏れるようなそんな些細な音ですら耳にしたことがないのだ...本当に、十歳のあるときを境にして失われてしまった声は、戻らないのだろう。


沢山の人が故郷をなくして。
でも、あいつは一言も詫びもしなかった。
...そりゃそうだろう、できないもの。
でもむかついた。だって、あいつが騙されて、壊して。
それでだまーってて。
だって死んだ人もいる。でもあいつは生きてて。
それってないんじゃないの?一番悪いのは主席総長かもしんないけど、それにしたって相談とかなんか、あったじゃん。あいつは五体満足で、あのクリフォトの泥に沈んだ大地と人を思えば、誰だって腹は立つだろう。
こっちが何か言っても、困ったみたいに笑うだけだし(イオン様も、たまにこんな顔をする)、一度もごめんも言ってこない。
しかも、とどめがレプリカ。人間でもなかったんだ、そんなものに全て壊されるってどうなの?

でもさ。
どさくさにまぎれて合流してからこっち。
一緒に行動してたって最低限だけで、ほとんど一人。
歩くときもちょっと後ろをミュウかかえてついてきてるだけで、でもぜーったい下をむかない。
...正直、イライラする。
でもなんで?胸のどこかが、ずきずきするのは。







みなさんは、ご主人様は言葉が話せないといいます。
ずっとそれが不思議でした。
だって、自分にはちゃんと聞こえるのです。
普段はとても穏やかで暖かくて優しくて、時折悲しくて寂しくて泣きそうな声が。
誰にも、それこそ大切なご主人様にさえ、そのことは伝えていません。
多分、伝えたらもっと、ご主人様が悲しい顔で笑うと思うので。
沢山沢山悪いことをした自分を助けてくれて、そうしていつも抱きしめてくれて。
れぷりか、とか難しいことよりももっと、自分にとって大事なのはご主人様がご主人様で、そうして元気で笑って生きていてくれてそばにいてくれることなのに。
どうして、ご主人様は泣くのでしょうか。笑った顔で、どうしてずっと心は泣いているのでしょうか。

(寒いから、ティアのところに行ってな)

ああまた。
笑顔という名の涙が、大好きな緑の瞳から漏れるのが見えました。
小さな、力もない自分には、亜麻色の少女に自分を手渡すその人にしがみつくことも出来ないんです。
大好き、大好きです。
言葉にして伝えれば、ちょっと驚いたような顔をして、照れて、そうして自分をなでてくれるあの優しい顔は自分しか知らないわけで。
それを知らない周りの人が、とてもかわいそうに、思えるのです。





...。
えーと、別にナタリー様とかアッス様とかイオン様とかははぶられたわけではありません(ごにょごにょ)
この話、まぁジェイルクスポットの為にほとんどフェードアウトしている面々にスポットを当ててみたり。意外と愛されているルークに拍手。
ちなみに、出場していないお三方のうち一人は準レギュラー扱いのため特に出しませんでした。でもって、ラブラブお二人さんは...今の時点ではまったくもってルークのことはアウトオブ眼中なので...。
ナタリー様は、偽王女を乗り越えていい女になったと思うのですよ。やっぱり。
ちなみに、私はアニスは自分に正直なところが好きですよ。うん。(何の話だ。)
2007.11.16up