「ルーク。風邪を引きますよ、これを着なさい。」
ぼんやりと歩いてきたのだろうルークに追いつくことはたやすかった。
ジェイドは、手に持ったコートを、少し積もってしまった肩と頭の雪を払ってやってから、そっとかけてやる。
その気配に、びくりと肩を揺らしたルークに、どこかずきんと胸が痛むのを感じる。
(馬鹿なことだ。ありえない、だって自分は死霊使いで、何百もの人を殺してきた軍人なのに)
手袋越しに触れただけでも、ルークの体が冷え切っているというのは分かった。自分の体を少しも省みないルークの行動に苛立つのは止められないが、少しこらえて、代わりにぽんぽんとその頭をなでてやる。
冷え切ったからだの仲で、唯一温度を持ってきらきらとしている翠のひとみは変わらずまっすぐにジェイドを見つめて、そうしてためらいがちにルークの口元が、ありがとう、と動くのをジェイドはみた。
存外、ルークはおしゃべりなのだと気づいたのはいつだっただろう。
声が出ないということで、『話す手段がない』と判断し、仲間たちは誰も今までルークの意見など求めなかった。頷くか首を振るかで判断できるようなもので話しかけるときもあったけれども、『話すこともできない』ルークの話を、積極的に聞こうとした人間などいなかった。
ミュウくらいだろうか、ずっと飽かずルークに話しかけ続けていた存在は。(イオンは、大抵は会話というよりもそっと傍に寄り添っているような様子であったし。)
皆(ジェイドを含めて)忘れがちだったけれども、ルークは声が出ないわけで話す技術がないわけではない。もし読唇術を自分が身に付けていたとしたらもっと、何かが変わっていただろう。
大抵、その口の動きは『ありがとう』や『ごめんなさい』をつづっていたけれども、ずっとずっと、それはルークも無意識のうちに送っていたいわば信号のようなものだ。
目を瞑ってしまえば聞こえなくなる声だから、誰も其れを気づこうとしなかっただけだ。
なので、ジェイドはきちんとルークの顔(口元)に視線を向けて、そうして問うた。
「貴方は馬鹿ですねぇ。今の時期はそちらの宿はほとんど予約一杯で、今更行っても泊まれませんよ」
うっと、明らかにルークの口元が引きつった。しまった、と動いたのも見える。
さらに、ジェイドは試しに続けてみた。
「それに、向こうの宿は三人部屋が一つに、二人部屋が二つです。イオン様と相部屋になるなり、ガイのところに駆け込むなりしなさい。貴方はもう少し、自分に対して甘くなればいい。私のことが嫌であれば、これからは私と相部屋にならないように配慮しますし」
この言葉に、ルークの顔がぎょっとしたものになるのが分かる。本当にくるくるとよく変わる表情だ。分かりやすいにも程がある。
ついで、ぶんぶんぶんぶん横に振られる首。そんなに動かしたら痛くないだろうか。
その速度にむしろ感心していたジェイドの表情を、何と思ったのかルークはさらにあわてた様子。
そんなことない!とか、きらいじゃない!とか。(さすがに、長文を読み取る能力はジェイドにはない。)そんな単語を口が自然と連呼しているのは何度か注視していれば何とか読み取ることが出来る。
まるで、1+1=2であったことに気づいたような心地で、ジェイドは思っていた。
(この子供が、そんなに多くのことを隠して、うまく立ち回れるわけがありませんでしたね)
確かにルークは剣の腕だけで見ればダントツで強いし、それに何か色々な事情を知っている節がある。けれども、ジェイドにしてみればどうやったってルークは素直な子供でしかないのだ。
そんな子供が考えることは、実は本当に簡単に気づくことが出来たのではないかと、ようやっと、今になって気づいたのだ。
そうして、ジェイドが自意識過剰でないとすれば...
「では、私と相部屋になりますか?」
反射的にだろう、即座にうなずいたルークがうれしそうな表情をしたのをジェイドは見逃さなかった。仮定は実証された。しまった、というように赤くなって思わず口を押さえたルークにくすりと笑ってやれば、ふてくされたように顔を背けられてしまった。
(ああ、なんて分かりやすかったのだろう)
三度、同じ質問を口にすることを、ジェイドはもうためらわなかった。
ジェイドたちがネフリーの屋敷を出てからあと、姿を消したルークがどこに行っていたのか簡単に予想がつく。ホテルのロビーで待っていれば、明らかに外を歩いてきたと思しき少し赤い髪の毛に雪を載せた状態で帰ってきた子供と目があった。
おそらく、ネフリーの話を聞いてきたのだろうルークの顔には特に表情は浮かんでいなかったのだけれども、ネフリーから聞いたのですね、と問えばわずかに肩が揺れ、それがすなわち肯定の証拠だった。
「貴方は、全てを知っていましたね。...その上で、もう一度問いましょう。私を、恨みますか?」
ルークは、ジェイドの静かな声に、少し大きな目を見開いたあとに首を横に振った。
腕の中のミュウが心配そうに彼を見上げていて、それがそのまま、ルークを現しているようだ。(獣のほうが、人の本質に聡い)
ジェイドの手のひらを取ることなく、ルークは敢えて、ゆっくりと口を動かした。
もちろん声は出ない。けれども、その唇は言葉を確かに載せている。
ジェイドが『聞き取れる』ようにゆっくりと、ゆっくりと。
「お、れ、は、う、ら、ま、な、い。か、ん、しゃ、し、て、る。」(俺は恨まない、感謝してる。)
そうして、もう見慣れた口の動きが最後に付け加えられた。...ありがとう、と。
ジェイドは、そうですか。と呟いた。
「なら、私はもう後悔などしません。私はフォミクリーを生み出しました。もしも過去に戻れるのなら、過去の私を殺すだろうとも思っていました。...ですが、もう私は後悔しません」
後悔ばかりをして、ずっと目の前のこの少年から目を背けて来た。
その報いはいつか受けるだろう。
だけど、今は。
(...面白い感情ですね...この私が、こんな子供を愛しいと思う日が来るなんて)
もう認めざるを得なかった。目を背けるのを止めるのなら、認めるしかない。
おそらく一生(本当に心を込めてなど、絶対に)使うことのなかっただろうと思っていた言葉の一つが、するりとジェイドの口を滑り出た。
「ありがとうございます、ルーク」
おざなりに使えばこれほど軽くなる言葉もなく。
心を砕けばこれだけ暖かい言葉もない。
ジェイドの発した言葉は、間違いなくルークに届いたようで。
顔を青くしたり赤くしたりしてあわてて、ふかふかのじゅうたんに脚を取られて転んだ子供に、自然ジェイドの口元に笑みが浮かんできた。
はじめの一歩、ゲームはこれから
(おまけ)
本気を出したジェイドに、口でルークが勝てるわけはなかった。
以前だって、いつのまにかジェイドの手の上で転がされてしまっていたのだ。確かにルークだって精神的に少しは成長したと思うのだけれども、ジェイドに勝るにはまだまだなのだと思い知らされる。
みんなの邪魔にならないようにと思って出てきたはずなのに、結局ルークはネフリーのところにいくはめになり、そうしてネフリーに呼び出され、そうして相部屋になったジェイドと向かい合うというこの現状。
(き、気まずいっ)
しかも、目の前でジェイドは「貴方はコーヒーは砂糖とミルクをたっぷりと入れないと飲めないのでしたね。これくらいで大丈夫ですか?」などとかいがいしく冷え切ったルークの世話を焼いてくれている。まるでガイのようだが、この人物は間違いなくジェイド。過去の記憶の中でも、現在における記憶の中でも、こんなジェイドは見たことがない。
しばらく考えた後の、結論。
あわててメモとペンをとったルークは、走り書きで書く。
『ジェイド、熱あるんじゃないのか?!』
この後、ネクロマンサーが本気でへんてこな顔で硬直するという珍プレイを目撃したルークがさらに真っ青になったというお話。
ああ、やっと。
やっと、ヘタレネクロマンサーから無事S属性に帰還しました長かったです。(待て)
ルークが大好きな私としては、やはり心苦しいんですよね、ルークを可愛がれないのは。
なので、これからは容赦なくびしびしと、ジェイドがルークを甘やかしてくれると思います。
2007.12.11up