知っている道から、外れることはとても怖い。
でも、大切なものを失うことの方が、もっともっと怖いんだ。
虚偽と安らぎのコンフォメーション
「...え?」
セントビナーの大地を永らえさせるべく訪れたセフィロトのダアト式封呪の前で、いままさにその封印を消し去ったイオンが、わずかな違和感に思わず声を上げた。
温厚温和、あまり驚きを顔に出したりしない彼らしくなく、すでに開いたそこに足を踏み入れていた他の面々が首をかしげてイオンを振り返る。
...仲間たちを待たせてしまっているのはわかっている。けれども、どうしてだろう。確かに今自分のといた封呪が、例えるなら布でできた扉のように、ただ触れるだけであけることができたような、そんな張りぼてにも近いもののように思われたのだ。
「どうしたんですか?イオン様ぁ」
自分のフォンマスターガーディアンが、ツインテールを揺らしながらとてとてとこちらに駆けてくる姿に、内心の動揺を悟らせないようにしながらイオンは、何でもありません。と柔和な笑みを浮かべる。
今ここで、自分でも確証の持てない違和感を誰かに話したところで何になるだろうか。...疑念は尽きないものの、ここでいつまでも足を止めているわけにはいかない。
セントビナーの大地は、まだ時間があるとは言っても確実にクリフォトに沈み始めているのだ。...それを考えれば、早く先に進まなくてはいけない。
頭では分かっているのだけれども、なんとなく足が踏み出せなくて、たたらを踏んでいると。
ぽん、ぽんっ
立ち止まったままでいたイオンの頭を、やさしく叩くその手の主を見上げれば、そこにはイオンが好きだと思える笑顔。
チーグルの子供を肩に乗せた彼は、イオンの手のひらを優しく取ると、
『お疲れ様』
と書いて、いたずらをたくらんだ子供のような無邪気な笑顔を浮かべて見せた。
まるで、小さな秘密を共有しているような気持ちにさえなってきて、思わずイオンもくすりと笑ってしまう。
それと同時、なんとなく固まってしまっていた足が、嘘のように軽く動くのを確かに感じた。
「ありがとうございます、ルーク。...すみません皆さん、待たせてしまって。行きましょう」
なんとなく、イオンの戸惑いを分かって、背中を押してくれたようにも思えるルークに礼を言って、イオンは先ほどから立ち止まって自分を待ってくれている面々に謝罪する。
「転ばないでくださいよぉ?イオン様、ただでさえぽやーっとしてるんですから!」
イオンの前に立って腰に手を当てて言ってくるアニスに、笑って「大丈夫ですよ」と答える。立ち止まってしまった空気を変えるには、それで、いいんだと思えた。
だが。
『転ぶなよ?お前、ぽやーっとしてんだからさ。無理そうだったら、おぶってやるって』
聞いたことのないはずのものなのに。笑いながらくしゃくしゃと頭をなでていう声が、確かに聞こえたのだ。
ぎょっとしたように目を見開いて、後ろを振り向いてももちろん、そこにはルークしかいない(ミュウもいるけれども、ミュウの声ではありえない)。いきなり振り返ったイオンに、緑の眼を丸くして驚いているルークしかいない。
そして、ルークしかいないということは、声が聞こえる事等ありえないのだ。(神は...ローレライは、ルークに声を与えてはくれなかったのだから)
なのにどうして、イオンは今、この空耳をルークの声だと思ったのだろうか。...そう、ルークのものだと思ったからこそ、今後ろを振り返ったのだ。直感的に。
だがその声は誰にも聞こえてない。
その証拠に、ジェイドですら少し驚いたような表情をこちらに向けているのだから。
他人には、イオンがいきなり驚いて振り向いたようにしか見えてないだろう。
自分でも説明できない既視感をうまく噛み砕けずに、イオンはすがるようにルークを見上げた。
もちろん、困ったような、暖かい苦笑しか彼からは返ってくることはなかったのだけれども。
『彼』が砕いたものと同じ、音素に囲まれたパッセージリングを、ティアは見上げていた。
それを制御すべく、今現在はジェイドの指示に従ってルークが超振動を用いている最中だ。細かい調節の必要な作業であるため、他の仲間たちに出来ることは静寂を保つことくらい。...他に何も、できることはない。
真剣な顔で力を放つ『彼』の横顔をちらりと見て、そうしてからティアは、自らに流れる血に反応した『鍵』をそっと手袋越しになでた。
...ユリアがつくったという、パッセージリングと人とを繋ぐカギの一つ。すべらかで、何千年もの時を刻んできたとは思えないほど、傷一つないそれは世俗を感じさせない。
創生歴時代、世界がすべて今のクリフォトのような...いや、それよりもひどい時につくられているはずのものとは思えないくらい、清浄で神聖な何かがここにはある。
ここにあるものと同じ、世界を、大地を支える支柱を確かに彼は砕いた。...その一方で、大地を支えるべく彼は力を使う。
それは相反することなのか、それともそうではないのか。
(...わからない)
その思いは、恐らくナタリアやアニス、そしてもしかしたらガイにも、通じるものであるとティアは半ば確信めいたものを持っていた。
だが。
的確で事務的な指示を与えている彼はどうだろう。
誰もが見捨てた(その時点で、確かに誰もが彼を下に見た。そして、見下ろしていた自分にはまだ誰も気付いてはいない)『彼』を、迎えに行った彼はどうだろう。
彼なら、何か違う答えを持っているのだろうか。
「ティア、どうしましたの?」
邪魔をしないように、小声で聞いてきたナタリアに、ティアはゆるく首を横に振る。
けれども、ふと、聞いてみたくて訊ねた。
「...ねぇナタリア。あなた、今のルークを、どう思う?」
ナタリアにこの質問は寝耳に水だったようで、大きな目をぱちくりとさせてから彼女は真摯な顔で考え込み、そしてやはり小さな声で答えてきた。
「変わったと、そう思いますわ」
変わった?そうだろうか。
そう。とだけ答えて、ティアは再び超振動を使う彼に視線を戻す。
どこか矛盾する感情ではあるのだが、ナタリアの言葉を肯定する自分のほかに、どこかで否定している自分がいるのだ。(...どんな時でも、ルークの瞳には一つの芯が通っていたようにも思う。)
ナタリアは、何か言いたそうにティアを見ていたけれども、結局何も口にすることはなく口をつぐんだようだ...あるいは、超振動を使っている彼への配慮だったかもしれないが。
いずれにせよ、崩壊し始めている世界を、「自分達」はなんとかしなくてはいけない。
そして、そのきっかけとなった彼にはその義務があり、そして自分にはそれを見守る「義務」がある。
例え、その先にどんなものが...肉親が立ちはだかろうとも。
ぎり、と決意を新たに拳を握り締めて見上げたパッセージリングは、やはり静かに音素をまとって輝くばかりであった。
ええと。
たまにはみんなの視点から。イオン様とティアでした。
ルークが髪を切ったわけじゃないし、かといってそれまで最悪の印象を残していたわけでもないので、近づくきっかけがなくて大変です私が(お前かよ?!)
イオン様贔屓なのはいつものことなので、イオン様には結構過去との接点を持たせるのが好きです。いいんだ特別扱い万歳!(黙れ)
ちなみに、ティアは普通に考えていきなりルーク肯定するわけもないだろうということで、少しだけ歩み寄り。ついでにこの時点でのナタリアは、ナタリア好きさんには申し訳ないくらいにルークのことは表面しか見ておりません。というか、アッシュしか見てません乙女です(笑)
ナタリアの出番は少し先、次回は閑話でアニス入れつつ雰囲気ラブに挑みます。
イオン様とジェイドを抜かすと、割とガイとアニスは私の中で印象が良かったり。
仲良くなる順番がイコール私の好きな順番ですひいき万歳!(シリアスな話でテンションの高いあとがき、申し訳ない)
2008.3.27up