人を信じることは、即ち強さであり。
人を信じることは、其れ故弱さである。



糸の切れたペトルーシュカ



ルークは、バチカルでのどさくさを境にして、忽然と姿を消した。
けれども何らかの動きをしていることだけは、時折かけらのように残っている(もしかしたら、遺されている)目撃情報から知れた。さらには、さりげないヒントのようなものを拾うこともある。
だが、全く持ってこちらとの接触は無い。ミュウとは行動を共にしているようだが、それ以外の情報...例えば、彼が一体何を意図し何のために行動を起こしているのかという確信をつくようなそれは、手に入りそうも無かった。
加えて、世界をクリフォトに降下させるための前段階、地殻停止作戦というこれ以上なく重い責任ののしかかる責務を果たすべく、こちらも当然動き回っているわけだから、彼を探すためだけに時間を裂くわけにはいかない。
まるで、彼に計られたような気さえしてくる。
ルークがあけた穴は流れの上で必然的にアッシュが埋めることになり、気づけばルークのいた場所に彼がいる違和感がぼんやりとした喪失感のみで段々と境界をあいまいにし。
それに慣れてしまってきていることが、まるでルークが最初からここにいなかったのだと思ってしまうようで時折空恐ろしいものがあった。
(常にひょうひょうとアッシュをからかっているように見せかけて、ジェイドだけはそれでも出来る範囲で、ルークの情報を手に入れる行動は起こしていたのだが。)
だけれど一人だけ、時折足を止めては振り返り、足りない一人を探すように視線をめぐらせていたのはナタリア。
バチカルの一件からこちら、本来のルークであるはずのアッシュと行動を共にしているのにも関わらず口を重く閉ざして思いつめている彼女を、メンバーは当初いぶかしんだものの。
せわしなくめぐる状況の変化のせいもあって、時折ふらっと出歩いては戻ってくる彼女を、そこまで気にすることは無くなった。

そうして、地殻停止作戦当日の、早朝。



「ルーク、そちらにいらっしゃいますの?」
皆が寝静まっている、明け方近く。
白み始めた空は、まだ甘く霞みがかっていて、どこか現実味を欠いている。
ナタリアは、けれども半ば確信を持って、霞の先に問いかけた。そして応えの代わりに、ぼんやりと赤い色。
それは彼女のもう一人の幼馴染である、ルークであった。
お久しぶりですわね、と声をかけた自分が殊の外穏やかで内心驚く。あれほど自分はアッシュとルークを比べていたくせに、今目の前にいる『ルーク』がただのルークなのだと、呆れるほどすんなりと受け入れることが出来た。
眠れずに外に出てきてしまったのは、もしかして彼に呼ばれた気がしたからなのかもしれない。
「...わたくし、貴方にずっとお礼が言いたかったんですわよ?」
声が少し震えていることは、気づかないふりをしておく。(多分、ルークも気づかないふりをしてくれたはずだ)
アクゼリュスからこちら、散々ルークを否定してきた自分が、自身を否定されて初めて過ちに気づいた。今更、どんな顔で会えばよかったのか。
ずっとそう思っていたから、ルークが姿を消したことに一瞬ばかりではなくほっとしていた自分がいたのは分かっていた。...自分の心が、どれだけ醜いかを、思い知らされるだけだったけれども。
「...痩せましたのね。顔色も、宜しくありませんわ」

違う、そんなことを言いたいのではなくて。
謝らなくては、いけないのに。

朝が来て、準備さえ整えば再度キムラスカ国王を説得する為にバチカルに向かわなくてはならない。
誰よりも心を決めなくてはいけないはずの自分がずっと迷い続けていることが、どれだけ皆に迷惑をかけているのか、分かっている。
だけど前日になっても決められなくて、そうして眠れずに、誰かに呼ばれた気がしてこうして、ルークに出会ったのだ。
...ナタリアの、ある意味の罪状とも言える彼に。

ずっと謝りたかった。(私のことも彼は否定するだろうか)
ずっと会いたかった。(会いたくなかった)

「...ねぇルーク、あなたも、怖かった?」
しばしの沈黙の後、謝罪の言葉よりも先にぽろりと口からこぼれ出たのは、不安に押しつぶされそうな心の奥底にずっとしまっていた言葉だった。
朝が来れば、また父に会い、説得しなくてはならない。...偽物の、一滴の血もつながっていない、自分が。
怖い、とても、恐ろしい。
だって自分は、ルークが偽物だと知ってあっという間に彼を見る目を変えたのだ。彼と過ごした七年間は偽り無きものであったはずなのに。
どうして自分もそうでないといえるのだろう。...浅ましいことだけれども、出口の見えない問いの答えを、ルークに聞いてしまった。
激昂してもおかしくないはずのルークは、少し記憶よりもやつれた面差しでしかし穏やかに微笑むと、ナタリアの頭をやわらかく抱き、肩口に押し付けてぽんぽん、と背中をたたいてくれた。

ああ、そうか。
ルークは初めから、ナタリアを勇気付ける為に来てくれたのだ。(ナタリアを糾弾するためなんかじゃ、絶対にない)

彼の行動から察して、さらにナタリアは恥ずかしくなった。...涙を流すことだけは、辛うじてこらえるけれども。
だって、記憶にある七年間と、ルークの優しさは全然変わっていなかったのだから。...変わらなかったからこそ、当たり前すぎて気づけなかった。
アッシュでも、『本当』のルークでもないただのルークが、どれだけ今まで自分を支えていてくれたのか。例えどれだけ、無知な自分が彼を傷つけていたとしても。
「わ、たくしは...気づけなかったのですね。わたくしにとって、ほかでもない貴方がどれだけ大切な存在だったか...貴方は変わってなんかいなかった...わたくしが、変われなかっただけ。

記憶を失う前のルークだけを追い求めて、盲目に信じて、否定して、傷つけた。
少なくとも誰よりも長く、知っていたはずなのに。
赦す心を持っている彼が、赦されない罪から逃げることなどしないと、分かっていたはずなのに。

...なたりあは、おれを、しんじてくれるのか?

手のひらにつづられた言葉に、もちろんですわ、と小さく呟く。

...ならどうして、おじうえをしんじられないんだ?

その言葉に思わず顔を上げれば、恐ろしく澄んだ瞳がこちらを見ていた。

――知らなかった自分は、父親と自分の絆を信じていた。盲目に。
――恐れを知った自分は、なによりもまず、自分すら信じられずに怯えている。

「わ、たくしは...」

...おれは、なたりあのいままでをしってる。だから、なたりあのこれからを、しんじるよ

それをつづって、すぐに離されたぬくもりに思わずナタリアはルークの服の袖をつかむ。けれども少し寂しそうな顔をして、ルークはナタリアの手をそっと外した。
そうしてようよう濃くなってゆく靄の中に溶けるように、彼は身を翻して離れてゆく。
追いかけるべきだ、追いかけて、謝って、貴方の場所はここですと、言うべきだ。
なのに、凍りついたかのようにナタリアの喉も、足も手も、動くことは無く。
まるで朝方の幻であったかのように、ルークは消えてしまった。
それでもそれが幻ではなかったのだと確信を持てるのは、手のひらに残されたぬくもりがあるから。

(わたくしは、お父様の今までを誰よりも傍で見てきた...なら、誰よりもお父様を、信じるのはわたくし...)

まだかすかに残るぬくもりを確かめるように右の手を左手で包み込んで、優しい朱色に染まりつつある海面に、ありがとうございますとナタリアは呟いた。





注:ルクナタじゃありません。(笑)ジェイド一行しか名前も出てないけど、ジェイルクです。
ってわけでお待たせしました。番外編チックですよ珍しいことですがナタリアメインです。
彼女が越えなくちゃいけない壁は、やっぱりアッシュよりもルークに!!というよくわからないこだわりの元めがねさんとのラブラブっぽいシーンはどこいった状態(笑)
ごめんなさい、メインはルークとジェイドなんですけど、ほかキャラクターの大人になる瞬間も書きたかったんです。
動きが無くてごめんなさい。次あたりは、一気にアブソーブゲートまで動きます。
ちゃんとジェイルク...にする、予定です!!(予定は未定ですが!!)
2008.10.26up