「ルークさん、ありがとう御座います...なんと、お礼を言ったらいいか...」
怪我人を休ませるため、駐屯所で解放された臨時救護所の一室、血の気のない顔で横たわるアスラン・フリングスのかすれた声音にルークはふるふると首を横に振った。
演習の際にキムラスカの徽章を掲げた何者かに襲撃され、フリングス将軍を含めた大勢のマルクト兵が傷を負って、こうして何とかセントビナーに運び込まれた。
怪我のせいだろう熱を出している体では話すことは愚か目を開けていることも辛いはずだ。それであるのに、礼を口にするのはおそらく、彼の律儀な性格からくるものだろう。
ぎっと、ルークはタオルを絞る手に力をこめて唇をかみ締めた。(この位置なら、フリングスからはルークの表情はうかがえない)
...自分の力に自惚れていたわけではない。けれど、助けられなかった命もあった。
この演習に襲撃が起こることを自分は知っていた、だから無理やりに演習に自分をねじ込んだのだ。無理を言って困らせたとは思うのだけれども。
けれども、未だ万全になってくれない体調のせいもあってか、若しくは予想以上の大群で現れた相手もあってか、兵士達の負傷や、そしてフリングスの負傷も避けることは出来なかった。(そして、遺体も残さず粒子と消えた彼らも、何人か、いた)
何とか一命を取り留めたものの、決して良い状態とはいえないのだ。フリングスも。
考えてみればシェリダンでのオラクルの襲撃でも、アクゼリュスの崩落でもけが人や死者をゼロにすることは出来なかった。分かっていて、それでもルーク一人の力では止められない出来事はいくらでもある。素人考えでいくら手回しをしたって、思うとおりに進むほど世界は甘くない。
だから礼を言われる資格なんて自分にはないのだ。...この手で傷つけてきた人間のほうが多い、多すぎるのだから。
「ご主人様、氷もらってきたですのー」
小さな手で、氷の入った袋を持ってきてくれたチーグルを抱き上げて視線で礼を言うと、その袋をタオルで包むようにしてフリングスの額に乗せてやる。
結局のところフリングスの怪我も、超振動であらかたの敵を吹き飛ばしてめまいを起こしてしまったルークに飛んできた矢からルークを庇ってのものだ。彼に礼を言うことはあっても、言われる資格なんて本当にないのだ。
それなのに。
「あまり...ご自分を責めないで下さい。貴方はいつも、自分を卑下しているように見えますよ。貴方がいなければ、私はジョゼットを泣かせることになっていたかもしれない。...そして兵士達も、怪我をしたものは居れど家族の下へ帰れないものはいないのです。兵士とは戦うものではありますが、彼らを全員グランコクマの土を踏ませてやることが出来るのは、これ以上無い僥倖なんですよ」
かみ締めるように穏やかなフリングスの言葉は、じわりじわりとルークの心にしみてくる。あのとき、「スコアのない世界を生きてみたかった」といった彼の言葉の言葉を、今の穏やかな声に重ねてしまって目頭が熱くなる。
怪我の為に動かすだけで痛むだろう手を持ち上げて、ルークの頭に載せ、フリングスは柔らかく笑った。
「だからどうか、貴方もそうなのだと気づいてください。...貴方に何かあったら、私はカーティス大佐に殺されてしまいます」
最後のおどけたようなセリフに、一瞬ルークは考え込む。
そうして、意味を理解して一気にぎょっとした表情になり、その原因を作った当の本人の顔を凝視する。とはいえフリングスは、腕を下ろして熱に少し紅くなった顔で微笑んでこちらを見ているだけだが。
(だってそれじゃ期待してしまう...『今』でもジェイドが、自分を思ってくれているだなんて)
実のところそのとおりなのだけれども、かたくなに自分に向けられる好意を信じられなくなってしまっているルークは、それに気づくことが出来ていないのだ。驚くべきことに。
戸惑うルークに、少し熱で定まらない視線をそれでもしっかりと向けて、フリングスは続ける。
「私は貴方の全ては知りません。けれども、貴方はきっともっと人に寄りかかっても良いと思いますよ...怖がらなくても、大丈夫、ですから...」
それが限界だったのだろう。...ぱたりとまぶたを下ろした彼に一瞬焦ったけれども、規則正しい呼吸が聞こえてくることに安心する。大丈夫、彼は、幸せになるべき人だ。
「ご主人様、ミュウはご主人様に一番に幸せになってほしいですの。僕に寄りかかってくださいですの!」
足元を見れば、けなげなチーグルがきらきらとした瞳を向けて言ってくるその姿にルークは少しだけ笑みを漏らした。
多分、ミュウもフリングスも気づいていたのだ...ルークが一人で抱え込みすぎていることくらい。
彼らはとても優しいから、こんなルークでも心配して手を差し伸べてくれる。
(俺は、皆に、幸せになってほしいんだ)
幸せになりたいと願うことは、もう疲れてしまったから。こんなにも自分の幸せを願ってくれる人がいることだけで、十分だから。
壁に背を預けると、疲労感で立っていられずずるずると滑り落ちてしまって床に座り込んでしまった。
「みゅ、ご主人さま?!」
フリングスに気を遣ったのだろう、小さな、けれども必死そうな声で見上げてくるミュウを安心させてやりたくて笑おうとしたのだけれども、体に走る痛みのほうが強くて引きつってしまう。
(ティアは...よく、耐えてたな...)
体中をかきむしりたいような衝動に駆られるけれども、腕を持ち上げることすらも億劫で其れもかなわない。...原因は、分かっている。
先ほど、セントビナーに着く直前に漆黒の翼と言う義賊集団の長であるノワールという女性からこっそりと受け取った便箋。
中身はもう見なくても分かる。だってそれは、ルークが自ら望んだことだったから。
こっそりと忍んでベルケントで受けた検査...その結果がその紙には記されていて、開いてしまえばそのまま、タイムリミットを告げる死の宣告へと変わるのだと理解していた。
そうして、この体に起きている現象こそ、そのカウントダウン。
多分『過去』のガイがここにいたら、間違いなく殴られていただろうと思う。馬鹿野郎!と言って。
なんだか少しだけ泣きたくなったけれど、それよりも先に痛みで磨耗した神経が疲労を訴えかけてくる。
(ごめん、ちょっとだけ、眠らせてくれ...)
その心の言葉がチーグルに通じたかどうかは分からないけれども、ほとんど強制的な睡魔とともに、ルークはそこで意識を飛ばした。
...我は過ちを犯しただろうか。我のしたことは結局のところ、お前を追い詰めたにすぎぬのだろうか。
全てを知る理解者も居らず物言えぬお前は、後悔をしない道を選んだとて幸せになれるのだろうか。
それでもお前を愛しいと思う我を、お前は笑うだろうか。
ローレライの慟哭
遅々として、進まない!!(ほんとにね)
多分バレバレでしたが、複線一つかいしゅーう。
2009.2.15up