「入りますよ、ルーク...ルーク?」
ノックを二回。先ほどシュウと話していたはずのルークが眠ったはずはない。
一応の断りを入れてから中に入れば、まるで子供のように体を丸めてシーツを頭から被った塊がひとつ。
「...ルーク」
分かりやすい拒否反応はむしろほほえましいといえた。(非が自分にあると、無意識にでもわかっているからだろう。今までであれば、申し訳なさそうな顔をしても隠れることなんてしなかったのだから)苦笑を浮かべながら、ジェイドはその塊に近づくと、ぽふりとベッドに腰掛ける。
その刺激に反応してぴくり、と塊は動いたものの、まるで天岩戸のようだ。
ご丁寧に、ミュウを掴んで抱き込んでいるところは、いっそ笑ってやるべきだろうか。
ジェイドは、出来るだけ柔らかい口調になるように気をつけながら、そっとそのシーツの塊に声をかけた。
「ルーク、スープを持ってきました。食べられますか?」
その言葉に、そろり、と反応した身体は、やがてシーツの中から碧の瞳だけをのぞかせる。まるで怯えた子猫そのもので、暖かなスープの香りを近づけてやれば無意識にだろう、鼻をひくつかせるのもやはり猫のようだ。
こちちらが怒っていないことをアピールすれば、ようやっと、顔の半分をこちらに出してくれた。
「まずは食べなさい。ただでさえ最近食が細いんです、スープだけでも完食してくださいね」
言えば、大人しく頷いて、ルークは体をシーツからだし、ジェイドからトレーを受け取った。
ジェイドは、自分は椅子を引き寄せてベッドのそばに腰掛けると、慎ましやかにさじを口に運ぶルークを見ながら、不思議と穏やかな気持ちで居る自分を自覚していた。
考えてみれば、ルークに初めて出あったときから、多分ジェイドは彼に惹かれていた。
其れを認めてしまえば、ルークがその心の中に何を隠して、何を覚悟して、そして何をしようとしているか、それはあくまで後付であることを認めることが出来るようになったのだ。
それに気づいてしまえば、こうなるまで無茶を重ねたこと自体には言ってやりたいことが沢山あるが、その無茶も含めてルークなのだと、その認識が先に来る。
「そのままで聞いてください。...シュウ医師の話は聞きましたね?」
ぴたり、とスープを運んでいたルークの手が止まる。けれど、いいから食べるのを続けなさいといえば、素直な性質の彼は、また食事を再開した。...ただし、ジェイドの言葉の先に肌をぴりぴりさせているのは感じられたが。
「今のところ、知っているのは貴方と私、それにシュウ医師のみです。...彼は守秘義務に堅い。彼から話が漏れることはまずありません」
此方の意図を汲み取ろうとしているのだろう、探るように見上げてくる緑の視線。
...そう、今ジェイドは、婉曲だが彼が事実上の命のタイムリミットを受けたことを確認したのだ。そうであるにもかかわらず、緑は全く揺らがずに此方を見ている。...『常人であれば、有り得ないはずの』瞳。
その視線を確かめて、ジェイドはその先を続けることを覚悟した。...これは、一種の賭けだった。
これから口にすることは、最後まで、ジェイドが心にしまっておこうと思っていた言葉。
多分、これ以上を踏み込めば、ルークは永久に目の前から去るかもしれない。それでも、口にせずにはいられなかった。
「本当に、馬鹿な子ですねぇ...私に、いつまでも隠し事を出来ると、思っていましたか
?」
不思議と、笑みがこぼれた。
この不器用な子供が、愛しいと心から思った。
「...」
「私は、憶測で物を言うのは好きではありません。...ですが、あえて、一つの仮定を仮定のまま、話しましょう。...貴方は、今ではない未来を知っている。そうですね?ルーク」
殆ど確定のその言葉に、ルークが息を呑むのが伝わってくる。
「っ...」
その表情を見ながら、まるで非科学的な言葉を並べている自分を、ジェイドは落ちついた気持ちで観察していた。冷静な自分がそこにはいて、不思議と、先ほどまではふつふつと沸いていた決して穏やかではなかった感情はナリを潜めて、ただ言葉だけが、するりと口をすべる。
計算も打算もなく、ただ思う言葉だけが。
「とても、とても非科学的です。今ではない未来が存在したとして、そこから意識だけが『還る』など、有り得るはずがない。...でも、そう仮定してしまえば今までの貴方の行動全てが説明がつくんですよ。今、事実上の命の期限を切られてもなお、取り乱さないその理由も」
ガイの裏切りを知っていて尚、その刃を受けた理由も。
その身に、本来であれば鍵となる人物が受けるはずだった障気で汚染された第七音素を受けた理由も。
崩落を迎えるはずだったアクゼリュス、その大地とかなりの人々が生き残った理由も。
崩落する大地を救うべく奔走していた仲間たちの先々を回っては、その手助けが出来た理由も。
...そして。
出あったときから変わらない、最初から死を覚悟した殉教者の瞳の意味も。
ジェイドは、そっと、眼鏡のブリッジを押さえた。
そして、少しだけ視線を下げて、最後の言葉を、呟く。
「貴方は最初から、自らをレプリカと知っていた。そうですね」
出あった当初に、ジェイドが問いかけた言葉への応えの本当の意味も、今ならば分かる。
ルークは何も分かっていないのではなかった。無知なレプリカでもなんでもなく、全てを知った上で、それでもジェイドを赦したのだ。
己に呪われた、平凡な幸せすらも赦さない運命を背負わせた自分を。

「私は、うすうすそれを感づいていました。...それでも、貴方が、この世界を崩落から救うために犯している無茶を、見て見ぬふりをしました。それに、もし世界と貴方ひとりを天秤にかけるときが来れば、私はためらいもなく言ったでしょう。貴方に、死んでくださいと」

そして恐らく言うのだろう、同じ言葉を、この口で。
この、無垢な少年に。もしも、その選択のときが、来るのなら。
その瞳に、これ以上嘘を重ねることは出来なかった。だからあえて、ジェイドは耳に優しい言葉を口にしなかった。そして、ルークもただ、その言葉を静かな瞳で受け止めている。
「それなのに、私は貴方に生きて欲しいと願っている...その矛盾に目を瞑って、ここまで来ました。...私らしくないですね、それを、後悔しているんですよ」
そっと、手を伸ばしてその柔らかな赤毛をなでれば、少し気持ちよさそうに目を細めるその姿は、本当に、稚い。
その稚い子供の肩に、どれだけの重石を乗せたのだろう、自分の手が触れることが赦されるかはわからないが。
何もかも、しがらみをのぞいてしまえば、ただ今は、ルークに触れていたかった。
その頬に触れて、そして、ガラにも無く少しばかり鼓動の速度を上げながら、頭を抱きこむ。
びくりとルークの背中が震えるのが分かった。けれども、暴れる事もせず、つまりそれがルークの応えだった。
「私は貴方を失いたくありません。...それだけは、真実です」
時折、自分を通して誰かを見ていたルークの瞳をジェイドは知っている。
それでも構わない、といつしか思っていた。ルークが見ている『誰か』には、こうしてジェイドのようにルークを抱きしめる事も叶わないのだから。
何もかもを棄てることは、きっと自分には出来ない。相反する矛盾だとも重々承知している。
それでも。...この子供には、伝えておかなくては、いけないことだったのだ。
もう少し自分の決断が早ければ、一人で抱え込むこの子供の孤独を、取り去ることが出来ていたはずなのに。
少なくとも、こんなにもやせ細るまでの無茶を、見逃さずに済んでいたはずなのに。
「...貴方はもう十分にやりました。もうこれ以上、自らを切り刻む必要はありません」
―――泣きたいのに笑う顔など、もう見たくは無い。
「あとは私達に任せなさい...ルーク」
もう、この子供をこの白い鳥かごの中に閉じ込めておきたい。
それが、表立って、世界など知るかなどとは叫べない自分の、精一杯の   。

ジェイドの腕から顔を離して、そして、ジェイドの目をまっすぐに見て。

『ごめんなジェイド。俺はそれでも、行きたいんだ...ありがとう』

笑って、首を横に振る子供の行動を例え予測していたとしても。
その言葉は、紛れもないジェイドの、本心からの願いだった。



月光下のソリスト




ジェイドやっと告白(笑)あれこれもう終盤ですよねっていうか一体何年(連載で)
かかってここまでこぎつけたんですか(笑)
一応、途中から距離は近かったけれど、特にジェイドのほうはしがらみが強すぎて最後の一歩を踏み出せてなかったんですよ。でも吹っ切れましたやっほい!これでヘタレ返上ですねうちの大佐(笑)
2009.6.8up