声。
たった、一言。
自分に向けられてすらいない、それ。
だけど、すごく。
すごくすごく。
うれしかった。
だって、俺はまだアンタのいる世界に生きている。
目を覚ますと、夜の渓谷であった。
隣では、すでに目を覚ましていた赤い髪の少年は穏やかな顔でティアを覗き込んでいて思わず顔を赤くしてしまう。
「...あ、ごめんなさい」
公爵家に、兄ヴァンデスデルカを殺すために侵入したというのに、この少年と超振動を発生させてしまい飛ばされたのだ。巻き込んでしまったことに謝罪をしたのだが、少年は微笑んだまま何も言わなかった。
「私の名前はティアよ。貴方は?」
少年は何も返してくれない。
やはり、屋敷にいきなり侵入して自分をここに連れてきてしまった形になる暗殺者の言うことなど信用も出来ないし話したくもないのか、と思えばそうではなかった。
少年が、口をぱくぱくとさせて、自らののどを示したたことで、この少年は口が利けないのだということを知ったのだ。
セブンスフォニマーで、かつ口が利けないとなれば公爵家にかくまわれていたとしても不思議ではない。希少なセブンスフォニマーを誘拐し利用しようとする人間達などいくらでもいるのだから。...危険なときに声も上げられないようであれば、おいそれと外に出すわけにもいかなかったのだろう。自分は、そんな危険な状態に彼を置いてしまったことになるのだ。
なんと、呼んだらいいのかしら。と聞くと、困ったように首を傾げてから、少年は手を差し伸べてきた。...握手、ということだろうか。手を握ると違う、と首を横に振られる。
少年はティアの手をそっと取ると、掌を上にしてそっと自分の手の上に重ねたのだ。
「なっ////」
思わず顔を真っ赤にして手を引っ込めそうになったティアを、すこしだけ力をこめて少年がとどめたのでとりあえず様子を見ることにする。何か、おかしいことをされそうになったら対処すればいい。
少年は、ティアの掌に、左の手の人差し指で何かを描き始めた。
...違う、コレは、文字だ。
単純な、四つの文字。
「る・−・く...ルーク...そう、貴方の名前はルークというのね」
そう問うと、少年...ルークは無邪気な顔で頷いた。
「ごめんなさい、ルーク。私が責任を持って貴方を公爵家まで送るわ」
ティアの言葉に、ルークはまるでいいんだよ。というように首を横に振って微笑んだ。
エンゲーブという村。
そこで、到着したばかりの二人は食料泥棒に間違えられた。
あれよあれよというまに村長の家まで引っ立てられたことにはさすがのティアも腹は立つ。セシリアンブルーの軍服を着た軍人にその漆黒の翼とかいう盗賊は軍艦が追っていたはずだろうといえば、しれっとした顔で確かにそうです。といわれる。
...判っていて、黙っていたということか。
「それより、貴方の名前は?」
「...私は、ティアです。...こちらはルーク」
「ほう、ルーク...何というのですか?」
ティアが答えようとすれば、軍人に貴方に聞いているのではありませんととどめられて開いた口を閉じるしかない。...心配そうにルークを見やって、ティアは硬直した。
(か、かわいいっ?!)
仮にも、そろそろ青年に届こうかという年頃の男子に使う形容詞としてはいささか不適切であるはずなのだが、それ以外に思いつかなかったのだから仕方ない。
ルークは、明らかに満面の笑顔であの赤い目をした胡散臭い軍人を見つめていたのだ。
言葉には出していないが...いや、出していないからこそ、うれしいという気持ちがびしびし伝わってくる。さっきまでぴりぴりとしていたはずの村人達でさえもぼぅっとした顔でルークを見ているのだから、その威力たるやすさまじいものといえよう。
当然、見つめられている当の本人さえも困惑した表情を浮かべている。...笑顔の向けられている先がこの軍人であることはいささか不満だが、この嫌味ったらしい軍人にこんな表情をさせられただけでもよしとしよう。
ルークの唇が、空気を少しも震わせることなく、短い言葉をつむいだように見えた。
...?
読唇術など心得ていないティアには、その唇の動きを読み取ることは出来ない。
けれども、ルークの顔を真正面から捉えていたその軍人は、はっとした表情になり、そうしてからいささか厳しい表情になり、言葉を発する。
「...申し遅れました。私の名前はジェイド・カーティスです」
その名前を聞いて、ティアははっとする。
ルークのほうを見やれば、うれしそうに先ほどと同じ口の動きを繰り返しているのだが...。
今度は、その口の動きが何を示しているのかわかった。
...ジェイド。
ルークは、初対面であるはずのマルクトの軍人の名前を、ただひたすらに呼んでいたのだ。
まるで、至上の歓喜であるかのような、『声』で。
ジェイドは、珍しく本気でいらだっている自分を感じていた。
軍属に配されてからは、人に対し深入りもせず波風など立てぬことが一番にうまくやって行く方法なのだと知り、常にそうしてきたはずなのだ。
それなのに、このルークという少年の顔を見ただけで、心がうるさいくらいに波立つのを感じていた。
...ばかばかしい。
口も利けない、ただの世間知らずだろう。
キムラスカ王族の血を引いていることは非常に助かった。これで、任務がスムーズになる。
協力を仰げば、まるで導師と同じようににこにことしたまま首を縦に振った。
「...おや、ルーク『殿』」
ほんのわずか、とげを含んだ言葉を言ったはずなのに、少年の笑顔は消えない。
その笑顔が、結局自分をイラつかせているような気がしてならなくなって、背を向ければ、手をつかまれた。
何なんだ。
しかし、ここで仮にもキムラスカの王族の血をひくお坊ちゃまの機嫌を損ねさせるわけにはいくまい。...振り返ると、そっと大事に自分の手を包み込むようにして、もう片方の手の人差し指がゆっくりと何かの図形を形作る。
「...ルークと、呼べ、ですか?」
赤い髪の少年は、首を縦に振って続ける。
「...『おれには、もう、おまえのなまえはよべないから。かわりに、よんで』?何のことです」
この少年は、最初から自分の名前を知っていた。
一体、何を、知っているというのだ。
この、たかだか口も利けない少年が、どうしてこんなに自分の心をざわめかせるというのだ。
感情とは相反して、するりと言葉がジェイドの口からこぼれた。
「『ルーク』」
そう、呼べば、少年は大輪の花のようにほころんでさらにいらつきは募る結果となったが、ジェイドはどうしてだか少年の手を振り払うことは出来なかった。
せめて、この身が消える瞬間まで俺の名前を呼んでください。
呼べない俺の代わりに、俺の名前を呼んでください。
あー、はい。逆行ネタ2のジェイルクバージョン。ポイントはコレット風味に掌に文字を書くところと、ルークが自分の名前をたくさん呼ばせようとしているところです。自分は声に出せないから、せめて自分の名前を呼んで欲しいってかんじで。
2006.12.26