生まれないことが幸せだったなんて、言わない、言わせない。
だから、どうか貴方達の魂の生まれ行く世界がこの先、優しいものでありますように。
十七音階のオラトリオ
「う、た...?」
アブソーブゲート、パッセージリングの間に差し掛かるに連れて、その音は大きくアッシュの耳を叩いた。
空気を震わせているわけではないそれに、アッシュは一瞬、周囲への警戒も忘れて足を止める。
聞こえないはずなのに確かに聞こえるその歌は、この先、パッセージリングのある場所から聞こえてきているようで。
聞いた事も無いはずなのにどこか泣きたいくらいに懐かしい気のするその歌に、アッシュは少しだけ目を閉じて聞き入る。
「...」
決して上手いわけではない、だが優しい調べを持つその『声』を、アッシュは嫌いだとは思わなかった。
しばし足を止めて、やがてゆっくりと瞳を開いたアッシュは、そのまま、ローレライの鍵を探すべく奥の間へと歩き出した。
トゥエ レイ ズェ クロア リョ トゥエ ズェ
クロア リョ ズェ トゥエ リョ レイ ネゥ リョ ズェ
ヴァ レイ ズェ トゥエ ネゥ トゥエ リョ トゥエ クロア
リョ レイ クロア リョ ズェ レイ ヴァ ズェ レイ...
アブソーブゲートの、深淵。かつてプラネットストームが吹き荒れていた空間。
声のない歌が、響いていた。
「...セブンスフォニムが、震えてるですの...」
「...聞こえるわ、どうして...音が、聞こえる」
「わたくしにも聞こえますわ...なんて、優しい歌...」
パッセージリングに祈るように手を組んで、そして大譜歌を歌うルークの声は、空気こそ震わせては居ないが、けれども己の分身たる第七音素を震わせることによって、セブンスフォニマーの素養を持つものたちの耳にその音を伝えていた。その素養がないものたちの耳にも、完全な音ではないがこれだけの濃いセブンスフォニムが声の形に震えていることは感じることが出来て、それがつまり歌なのだと理解することが出来る。
未だ万全な体調ではなく、そっと寄り添うジェイドの胸に背中を預けるようにして、それでもまっすぐに、ルークは歌っていた。
その供給量こそ減っていても、世界にすでに存在している第七音素は未だ大量である。故にレプリカであり、そしてセブンスフォニマーとしての素質も持っているルークの大譜歌に反応した濃い音素の粒子が、粒となってルークの周囲を取り巻いていた。
それはまるで儚い蛍のようで、まるでルークが光の中に解けてしまっているかのようにも見たガイは、思わずルークに手を伸ばしかけて、それに気づいて苦笑したルークの視線に阻まれ苦笑を返した。
...そのガイの気持ちを、恐らくは誰もが理解していただろう。...今にも、ルークが消えてしまうのではないか、第七音素に解けてしまうのではないか、そんな不安が頭をよぎったなどとは、口に出すことは出来なかったけれども。
最近のルークが、何処か儚い雰囲気を纏っていることだけは、誰もが気づいていたから。
閉じられたパッセージリングとはいえ、世界で最も第七音素に満ちた場所であることは違いがないのだ。ユリアの血族ではなくとも、ローレライの完全同位体であるルークが歌う大譜歌は、現在封じられているとはいえローレライの力の残滓を引き寄せるには十分の威力を持っている。
誰もが息を呑んで見守る中、緩やかにルークの周囲にまとわり着いた光の残滓は、やがて小さな小さな人型の光に変わり始めた。
その様子を、今しがたこの場に到着し、少し離れたところで腕を組んで見据えていたアッシュの肩が、小さく動く。同じ存在だからこそ、完全に形を取る前にアッシュにはその正体を感じ取ることが出来たから。
ローレライ、と誰とも無く、小さな呟きだけがあたりを支配する。この状況を予想していたジェイドですら、ほんの少しだけ瞳に驚きの色が浮かんでいるのが伺える。
ルークだけが、唯一つの同様も無くその光をひたと見据えていた。
『...無茶をするな、焔の光』
やがて小さな光は、人にあらざる声で、そう言葉を発した。大人でも子供でもなく、そして男でも女でもない、まるで夢うつつのような、そんな声。
ローレライが封じられる前はその声を聞くこともあったルークやアッシュと比べ、他の面々は直接にその声を聞くことなどほとんどなかったのだから(一時的に、ティアの口を通しての言葉を聞いた以外は)、驚くのも無理は無いのだろう。大きな瞳をまん丸に開いたアニスが危うく腕の中に抱えていたトクナガを落としかけて、ぎゅっと抱きなおすのが見えた。
『今の我は、我の残滓に過ぎない。...この形を保つのも、あとわずかが限界だ』
分かっているよ、とルークは頷く。...そう、この大譜歌によるローレライの残滓の召喚は、ルークが提案したことだったのだ。
あの後、ベルケントで、ルークは少しだけ、自分がひたに抱え続けてきたことを皆に伝えた。...今この世界にはそれほどレプリカは多く存在しない。だが、世界から障気を打ち払うためには第七音素が絶対的に必要で。(それは、ベルケントでスピノザと、そしてジェイドからすでに皆は聞いていたようだった)
故に全てのセブンスフォニマーを犠牲にしても足りない第七音素を補う方法として、ローレライの力を借りることを提案したのだ。
もちろん最初は誰もが半信半疑だった。それはそうだろう。神にも等しいローレライを呼び出して、さらにはその力を借りることが出来るなんて突拍子も無いこと、思いつくことは有り得ないのだから。
其れができるのは、ローレライの力でこの世界に飛ばされたルークだけ。
今まで語らなかった、自らの行動の一端を、ルークはあえて、皆に知らせたのだ。
未だ全てを明かすことの出来ない自分が、ジェイドに、そしてみんなに示すことの出来る唯一の、誠意だと思ったから。
最終的には、ジェイドの説得も手伝って首を縦に振ってくれた仲間たちだったが、いざ本物を目の前にしては、たじろかずには居られないのだろう。
(分かってるよ、ローレライ。...頼みたいことが、あるんだ)
ルークがローレライに語りかけるのに、『声』は必要ない。
だから、ルークがローレライの言葉に応えを返すには、心の中で呟くだけで十分だった。
『...承知している。残滓たる我でも、十分足りるだろう。...だが、負担を減らすことはできぬぞ』
ルークの頼みに、光の塊はゆるく頷いて見せたような、そんな人間くさい仕草を見せる。
あるいはそれは、かつてユリア・ジュエと関ったことによってローレライが得た、人との交わりの残滓であったかもしれない。
(うん、十分だよ。...ありがとう、ローレライ)
此方の意図を理解してくれたローレライに微笑んで見せたルークに、表情も定かではない光の人形が、少しだけ哀しい表情をしたように見えた。
『...幸多からん事を、愛し子たちよ』
その言葉と同時に、光が、爆ぜた。
「これ、は...」
「濃密なんてもんじゃねぇ、すさまじい第七音素の塊だ。...コレで残滓か、どんな化け物だ、ローレライは」
光が消えて、ルークの手の中には金色の、片手で握りこめるほどの水晶が残っていた。
だがもちろん、それが水晶で出来ては居ないことを誰もが理解している。いつの間にか此方へとやってきていたアッシュが、そっとその水晶に手を伸ばして、そしてそのすさまじいほどのセブンスフォニムの感触に、思わず唸り声を上げた。
「...ルーク、これが、貴方の言う考え、ですか?」
「これを使って、障気を、吹き飛ばす...?」
「そんなことが、本当に可能なの?」
女性たちが口々に言う言葉に、言葉で返事を返すことが出来ないルークは苦笑を浮かべて頷くことで応えを返す。背中から支えてくれているジェイドの手を、空いているほうの右手でぎゅっと握り締めて。
ルークは、微笑を絶やさないまま、未だ濃密に残る第七音素の波に声を乗せた。
『可能だよ。...これと、ローレライの鍵と、超振動を使えば』
はいさて問題です。どうやって背中側にいるジェイドがルークの口元をのぞきこめるんでしょうか?(笑)
でも、あえて突っ込み待ちで逝こうと思います。現時点で上手い表現が見当たらないので。
実は今回、かなり苦戦しました。
書き直し、しかも一本終わった後での丸まるの書き直しが実に五回。
コレも実は微妙な出来だったりします。ちなみに五回とも始まる時間も場所もメンバーも違うというすさまじさ。そのうち一本はフェレス島で、もう一本がベルケントで、ついでにもう一本はアッシュのモノローグで、さらにおまけにもう一本はナタリアネタだったのだからもう自分で何を描きたいんだかさっぱり分かりませんorz
ま、でも最終的に一番はなしの流れとして必要な場面チョイスでいきました。スランプに近いので書き直すかもしれませんが、取りあえずはこれで。
2009/6/21up