世界の全てを愛することなんて出来ない。
それでも例えば青い空とか、きらめく海とか、朝日に透ける琥珀色の髪とか。
それだけでいい、たったそれだけあれば、背中を押してくれる。世界の全てより、一握りの其れが背中を押してくれる。



空色の琥珀



「準備は、良いようですね」
赤と青のアルビオールは一行を迎える様にしてその機体を並べていた。
特に、ノエルのほうは早朝からルークとジェイドをマルクトからダアトへと一度運んでいるために相当に早朝から動いていたはずであったけれども、其の疲れを見せないのはさすが世界に二人しかいないパイロットの矜持と言うものか。
そして、朝に二人を出迎えた形になる一行は、さっぱりとしてしまったルークの髪にぎょっと目を見開く一幕もあった。不思議とその髪型は彼に似合っていて、ガイに似合うじゃないかと頭を叩かれたルークはくすぐったそうに喉を鳴らした。
そして。まさにこの先の世界の命運を託す一行を見送るべく、三国の同盟を組んだ各国の代表、導師イオン、国王インゴベルト、皇帝ピオニーが現在それぞれ姿を見せていた。嘗ての戦争時の緊張状態を考えれば、代表者がこの場に集うこの状況はまさに奇跡といえるかもしれない。例え其れが、世界を巻き込んだ危機に端を発するものだとしても。
三国の代表者の瞳は、それぞれにその場に集ったもの...ルークたち一行と、そしてアッシュへと向けられている。誰も世界を頼むとは一言も言わない、いう事は出来ない。それでも、世界は、人々はもはや、彼らに託すほか滅びを回避する術を持たないのだ。
完成されたローレライの鍵は、もしもの場合を想定して、宝珠の際のコンタミネーション現象を利用しルークが体内へと隠し持っている。今はただルークの中に眠るその鍵と、そして鍵によって封じられているローレライのかけらが、まさに世界の命運を握っているといえた。
「では、アルビオールに乗り込みましょう」
ジェイドの静かな言葉に、ノエルとギンジがしっかりと頷いて見せた。これから向かうレムの塔、彼ら二人の肩にもまた、重石はかけられているのだから。
アッシュがギンジの元へ、一行がノエルの元へそれぞれ足を踏み出しかけた、そのとき。
くい
アッシュは、自分の服が引っ張られる感触に振り返る。と、そこには情けない顔をしてへらりと笑う自分のレプリカの姿。(いつも思うが、自分と本当に同じ顔をしているのかと疑問を持つことがある。こんなにしまりのない顔ではない、と思いたい)
「...なんだ」
怒鳴りかけるのをこらえて、たずねてもルークは困ったように視線をうろつかせるだけで。長くはない堪忍袋の尾が切れかけるのを感じた直前、そういえばこのレプリカは声を持たないのだと、気づいた。
『俺を、そっちに乗せてくれないか。...少し、一人で考えたいことがあるんだ』
さらさらと記された言葉に、アッシュは顔を顰める。外殻大地を降下させる際に行動を共にしたのだから、知らない相手とまでは言わないし、特にナタリアはちらちらとこちらを気にしている。それを考えての言葉かもしれないが、何にしても馴れ合うのはアッシュの趣味ではない。
「は、ふざけるな。誰が」
『頼むよ、アッシュ』
ぐ、とアッシュは声を詰まらせた。今までの自分であれば、簡単に振りほどいてさっさと一号機に乗り込んでいただろうに。
ルークは、アッシュをアッシュとしてみている。初めから、そうだった。自分がレプリカであり、そしてアッシュの居場所を奪ったという罪悪感は時折顔を覗かせてはいたけれども、それ以上でもそれ以下でもなく、そして今も、『アッシュ』一個人にしっかりと目を向けている。だからこそ、どこか断りがたいのかもしれなかった。
確かに、もうアッシュにとっても、ルークは己のレプリカではなく『ルーク』に成った。...認めるときが、来たのかもしれない。
碧の瞳を、先にそらしたのはアッシュのほうだった。
吐き捨てるようにして、言ってやる。
「...勝手にしろ」
ありがとうと、ルークの口元が動いたのが、見えた。
「みゅ、ご主人様、ミュウもですの?!」
『ごめんな、ミュウ。すぐに会えるから』
ついでというように、アッシュの腕の中に押し付けられた水色のチーグルがみゅうみゅうと五月蝿く鳴いたので思わずむぎゅっと潰せば、向こうから殺気が飛んでくる...振り返ると、ヴァンの妹がすさまじい視線を此方に向けていた。何かあるなら口で言えと思ったけれども、女相手に何か余計な口を挟めば三倍になって帰ってくるということを、少しばかり同行した折にイヤと言うほど味わったので賢明にもアッシュは口をつぐんだ。
それでも尚、主人のところに行こうとしたチーグルの頭に、ルークは優しくぽんと手を置く。みゅう、と大きな耳をしぼませて落ち込むミュウと、ルークが一時とはいえ離れるのはもしかして初めてのことではないだろうか。アクゼリュスの後、そしてルークがバチカルから姿を消したときですら、このチーグルは傍を離れなかった。
そのチーグルを傍から離してまで考えたいこととは何なのか、アッシュは思わず問いただそうとして、やめた。自分にとって重要なのは、世界の障気を払うための一時的な協力関係に過ぎないということだ。馴れ合いで首を突っ込むなど、御免被りたい。
勝手にしろ、と声をかけて、ノエルのほう...一行が乗り込む手はずと成っているアルビオール二号機のほうに足を向けて、同時ギンジにルークが迎えられ、昇降機の扉が閉まって一号機が浮かび上がったところで、ため息をついた。
これで、自分はこのにぎやかな一行の相手をしなくてはならないのだ。ナタリアやガイはともかくとして、ヴァンの妹やアニスとかいうガキ、そして特にネクロマンサーはアッシュにとって苦手は部類に属する。

「...アッシュ、どうしてルークが向こう側に?」
ティアの疑問は最もだった。誰もが首を傾げていたところだったのだから。
「...一人で考えたいことがある、とか言っていやがったが?」
元々、アッシュはギンジのアルビオールに乗る手はずで、一行がノエルの方に乗ることになっていた。其れなのに、先に飛び立つ手はずの...現に、今離陸を始めているアルビオールには、何故か先ほどルークが乗り込んだのだ。片時も傍を離れなかったミュウをアッシュの腕に預けて。
ティアが、顔色を青くした。アニスが、トクナガをぎゅうと無意識に抱きしめる。
ガイが、バカヤロウと吐き捨てて、ナタリアが視線を地面に落とす。そして。
ジェイドが、少しうつむきながら、そっとメガネのブリッジに手をかけた。
アッシュは、その一行の明らかに尋常ではない反応に、わずか眉をひそめた。どうやら、彼も何かを感じ取ったらしい。
「...やられ、ましたか」
ジェイドの呟きは、面々の心のそれと一致していた。
「?どうなさいました?出発を、遅らせますか?」
よくわかっていないのだろう、首をかしげたノエルに、ジェイドが声をかける。
「ノエル、すみません。このアルビオールには、誰が乗る手はずでしたか?」
「え?皆さん、です、よね?」
「具体的にお願いします」
「ジェイドさん、アニスさん、ティアさん、ガイさん、ナタリアさん...それに、ミュウさんとアッシュさん」
さらりと言ってのけたノエルは、つまりギンジも、最初から一人で乗るのが『ルーク』だと知っていたのだ...それはつまり、ルークが意図的にそうしたということ。
そして、宝珠をあわせたローレライの鍵も、ローレライのかけらも、今はルークの手の中にある...それだけで、胸騒ぎがどんどんと大きくなってゆく。
さすがに、アッシュも気づいたようで、どういうことだ。と声を低くした。
彼は、ルークが何度も倒れていることを知らない。障気に晒されているのであれば余命一年の宣告を受けていることを知らない。
できるだけ一行がルークから目を離さないようにしていたことを知らない。ただ、アッシュが知っているのは、ルークが外殻大地を降下させるところで別行動をしていたというその、客観的な事実に限られる。
ギリギリのところで、事情を知らないアッシュと場所を交換することで、ルークはアルビオールで先に飛び立って見せたのだ。
勿論、本当に考えたいことがあるのかもしれない。それでも、一度も、どんなときも離れなかったミュウを置いてまで、というのは妙におかしい。
「ノエル!今すぐに離陸をお願いします!出来るだけ急いで、下さい!」
「え?あ、はい。分かりました。皆さん乗ってください、すぐに出します!」
ジェイドの厳しい声音のわけを、恐らくはノエルは理解できていないだろう。
けれども、他の面々も同じく厳しい表情をしていたことが彼女にも伝わり、踵を返して操縦席に乗り込む彼女は落ち着いていながらも迅速だった。

ほんの五分ほどで、アルビオール二号機も空へと浮かび上がった。すでに、アルビオール一号機はレムの塔に向けて飛行を始めているから、追いつくためには出来るだけ早く発つに越したことはない。
見送るピオニーたちの姿をろくに見ぬまま、景色が流れ出し、そうして。
誰も言葉を発さぬまま、アルビオールの中は重い沈黙で満たされていた。
一号機に追いつきたくても、現時点でできることは何一つないのだ。そして、ルークの思惑を理解できない(したくない、と表すこともできる)以上、ルークがレムの塔に登りきる前に止めるという意気込みを持つことしか出来ない。胸に鳴り響く警鐘は、気のせいだとは思えなかったから。(急がなければ、ルークが消えてしまう気がした)
と。
アッシュの腕の中でもごもごとしていたミュウが、ぽてりと床に落ちる(文字通り)と同時、とことこと歩いてきた。そしてジェイドに、見慣れた使い古しの日記帳を、手渡す。
「これは、ルークの...?」
どうして、ミュウがそれを持っているのかはわからなかったけれども、まっすぐにジェイドに渡しに来たところを見ると、あるいはルークに元々頼まれていたのかもしれない。
開いてみれば、そこには日々の他愛のない出来事がつづられた普通の日記が広がっていて。
そして、ジェイドは最後のページに書かれた、まるで手紙のような文章に、目を見開いた。
それはまるで、こうなることを予期していたかのような、内容だった。

読み終わった後、ジェイドは深く、深く息を吐いた。
脱力感が、体を襲う。出来るだけの手を打って、これで、無茶をし続けたあの子供が生きてゆけるのだと、そう思っていたというのに。
障気に冒された体でも、この先を共にできると、光を見つけたというのに。
この手紙の内容が真実ならば、もしも自分たちが追いついても出来ることがない。
日記を持つ手が、わずかに震えた。
「どうした旦那...ジェイド?」
ガイが心配したように覗き込んでくるのにも、ジェイドは答えることが出来ず。
なんでもありませんと、小さく小さく、呟くことしか、出来なかった。





繰り返すようですが、間違いなくハッピーエンドです。「ある意味」とかではなく!
手紙の中身まで入れてると長いので、手紙は別にアップしておきます。
2009/10/4up