―――あら、あなた、また「ここ」に来てしまったのね。
きれいな、まっすぐな髪をした、柔らかい瞳の女の人が、困ったように笑った。
「ここ」がどこなのか自分にはわからない。
とても暖かくて、とても優しい、その人みたいな場所で、どこも寒くなくて、つらくない。
また、といわれたということは、つまり自分は「ここ」に以前に来たことがあるということだ。しかし、自分はこんなところも、この女性も知らないような気がする。
でも、彼女の瞳は、思いやりと慈愛にあふれて、その瞳を自分は以前から知っているような気にさせられる。
この暖かさを、自分は、どこかで。
でも、「自分」にはどうしても思い出せなかったので、申し訳なく思いながらも、あなたが誰でここがどこなのか自分にはわからないと正直に話す・・・すると、その優しげな面差しは、少しばかり苦笑の色を乗せたけれども、変わらず慈愛を乗せて、自分の方へと細い柳のような腕を伸ばして見せた。
―――忘れてしまったのね。自分のことも、あの人のことも?
「自分」「あの人」・・・言われてみて、そういえば自分はいったい誰だっただろうと思い至る・・・否、自分はローレライのかけら。ローレライの意志を持つ、ローレライのかけら、分身。
そう答えれば、その人は少し困ったように笑う。
―――あなたは、「あなた」をどこかに落としてきてしまったのね。
どこかに、落として。
―――探してご覧なさい。・・・大丈夫よ。
その笑う顔が、「誰か」に似ているのだと、なんだかそんな風に、思った。





世界からは、障気が払われた。
太陽が、以前よりも少しばかり遠く降り注ぎ、けれどもそれは赤い靄に遮られることはなく、大地に暖かさを伝えてくれる。
そこにあれば、ただ人々の肺腑を腐らせゆるゆると死に至らしめるだけの死の大気は、もうそこにはない。
それだけでも、人々に希望と、そして明日への活気を与えてくれる。
たとえ、プラネットストームや、未だ動きを見せている六神将らの問題が片づいていないとしても、「彼ら」にとってもそれは、間違いない前向きな光であった。

キムラスカ、市民街。
天空客車の乗り場付近には、すでになじみの面々が集合していた。
アッシュ、ナタリア、ガイ、ティア、ミュウ、ジェイド。
障気中和から二日あまり。レムの塔にてそれを成し遂げた疲労を、多少なり回復させて、彼らはこれから世界が抱えるさらなる問題・・・プラネットストームの停止に向かわねばならない。
そもそも、彼らの多くは国に関わる要人やそれに仕えるものである故、一度アルビオールで母国へ報告に向かったりなどの仕事をこなし、今日に改めて集合と相成ったわけだ。
青い空に映える、キムラスカのシンボルカラーともいえる緑と赤のペインティングが施された客車には、障気の満ちていた間には表情も暗くどこか活気のなかった市民たちもどこか楽しそうに乗り込んでいる姿が見られる。
と。
「はわわわわーっ、ごっめんなさーい!!遅れましたぁ」
ツインテールを揺らしながら、ぬいぐるみを背中にぶら下げた少女・・・アニスが転がるように走ってきた。
彼女にしては珍しく、本当に焦っているようで、すでに全員の集まったそこにたどり着いた時には息も絶え絶え、通りすがりの婦人に飲み物の瓶を渡されたほど。
それを飲んで、ようやっと人心地ついたのか、顔を上げたアニスは、とりあえずもう一度、ごめんなさぁいと謝罪を口にした。
そして、居並ぶ面々を見回して、一瞬、彼女の表情がへんてこに固まった。
「・・・どうしたの?アニス」
ティアが聞けば、自分でもなんで驚いているのかわかっていない顔で、アニスが答える。
「・・・いや、なんか・・・足りない気がして。でも、皆居るよね・・・?」
「何言ってるんだよ。足りてなかったのはアニスだろ?」
一瞬、アニスのその言葉にきょとんと面々は目を瞬かせる。そして、最初に苦笑を崩したガイが、明るい声で笑い飛ばした。
それを聞いたアニスが、そ、そうだよねぇ。アニスちゃん、ちょっとあわてすぎて混乱中かも☆と、少しばかりおかしくなった場の空気を和ませる。
その言葉に、ティアやナタリア、ガイなどはくすくすと笑いを漏らす。・・・ただ二人、ジェイドとミュウは、その言葉に少し顔をうつむかせていたけれども、それには誰も気づいてはいないようであった。
「かまいませんわよ、アニス。そこまで待っておりませんもの」
「それよりどうしたんだい?ダアトで何かあったのか?」
ナタリアが、そうほほえみを乗せて、そしてガイが首を傾げた。
そう。アニスは障気中和の後、イオンへの報告のためにいったんダアトへと戻ったのだ。そして、彼女が集合に遅れてきたということは、自然イオンかもしくはダアトになにかしらが起こったとも考えられる。
そして、その予想は正しいのだろう。少しばかり表情の明るくないアニスは、少し下を向いて、暗い声で、答えた。
「・・・ほら、今はイオン様からの直々の声明で、スコアの全面廃止が宣言されたでしょ?でも、それに納得できない元大詠師とその一派が・・・新生ローレライ教団を名乗ってあちこち混乱させてるみたいなの。それで、ちょっと・・・」
「はん、下らねぇことしてやがるな。モース・・・とはいえ、奴も所詮、六神将の奴らに踊らされてるんだろうがな」
「・・・キムラスカにも使者が参りましたわ。・・・ラルゴ、と名乗るあの男が」
「・・・。」
ナタリアの声が沈むのも無理はない。
ラルゴは、娘・・・メリルと妻を、キムラスカ王国とスコアによって奪われた、ナタリアの本当の父親なのだ。
彼は、ナタリアの姿を見ても顔色を変えなかった。もしも、衝突するときがあれば命を賭して戦わなくてはいけないのだろう。
沈むナタリアの肩に、さりげなくアッシュの手が乗る。いつもであればからかう面々だが、ここは少しばかり見逃してやろうと目をつむっておく。
「いずれ対策は講じなくてはなりませんが、我々が優先すべきはプラネットストームの停止です。アブソーブゲート、ラジエイトゲートの順に停止させればいい・・・そうですね?ティア」
「はい。お祖父様からそう伺いました」
「では、行きましょう。・・・おそらくあなたの超振動が必要になります。行けますね?アッシュ」
「愚問だ」
「おや、それは失礼・・・では、参りましょうか。ノエルは外に?」
「はいー。アルビオールで待っててくれてますよっv」

アニスの返事を合図に、面々は市民街の出口へと足を向けた。これから彼らは、また旅にでるのだ。
それはもう、何度か繰り返された、出発。
軽口をたたきながらも、思考はもうプラネットストームの停止に切り替わっている仲間たちをよそに、けれどもひとつ、ぽつんとその場を動こうとしない青いチーグルに気がついたティアが、しゃがみ込んでその小さな体を抱き上げようとした。
ふるふると、大きなキャンディのような二つの耳が、動きにつれて揺れる。
「どうしたの?ミュウ」
「・・・ゴシュジンサマ」
ぽつり。寂しそうにつぶやかれたその言葉に、ティアの視線はとっさに紅い髪に向かう。主人であるアッシュにおいて行かれてすねているのか。そう、思ったのだが。
ようやくティアの顔を見てくれたミュウの大きな目には、涙がたまっていた。
「違うですのっ!!僕のゴシュジンサマはアッシュさんじゃないですのっ!!」
いやいやするように首を横に振って、アッシュに渡そうとしたティアの手を振り払ったミュウは、泣きそうな大きな目を、すがりつくように、ジェイドへと・・・正確に言うならば、ジェイドのポケットへと注いだ。
「・・・ご主人さま・・・」
ほかの誰にも、ジェイド以外の誰にも、わかりはしなかっただろう。
ミュウは、ミュウだけは。
ジェイドがあのレムの塔で拾った、暁色の宝石に向かって確かに、主を、呼び続けていたのだ。

ジェイドの頭に、またずきりと鈍い痛みが、走った。



呼ぶ声、落としたもの


えーと・・・
ちゃ、ちゃんと明るい話になって・・・ます、よ?
・・・前回よりは(待ちなさいってば)
2009/12/20