戦乱、崩落、そして障気を経ても、世界の食糧庫たるエンゲーブの活気は落ちない。
ケセドニアへの避難を経て町に戻れた住民たちは、早々に家畜や畑の整備に汗を流している。そこには、地に足を着けてしっかりと前を見据える実直な人々の顔があり、それはこの生まれ変わろうとしている世界にはとても大切なようなものと思われた。
生えてしまった雑草を抜いて、そして苗を植える。
生き残っていてくれた家畜をあつめて、また柵をたてて、倉庫にしまっておいた餌を与える。・・・何より、まずこの町が活気を取り戻すことが、世界の活気へつながるのだと、前向きな声が、この町についこの間まで人々がいなかっただとは感じさせない。
何とか収穫できた、果物の類の並んでいる小さな露店に、一人の少年がふらりと顔をのぞかせた。
襟足よりも少し長いところで切られた赤茶色の髪に、くりくりとよく動く、榛色の瞳。
人なつっこい、少しばかり童顔とも言える顔に、笑みを乗せていればそれだけで大人たちのほほえましい気持ちを誘う、そんな、少年と青年の中間にいる、男の子である。
軽装だけれども、腰に履かれた剣が彼を旅人だと知らせていた。この世界において、武器を持って歩いているのは軍人か、もしくは旅人くらいのものである。そしてこの少年は、前者には当然、見えないのだから。
「おや、兄ちゃん、見ない顔だね」
店番の男がリンゴを投げてやると、サンキュ、と笑いながら代金が放られてきた。じゃあもう一つもっていきなと大きめの一つを渡してやれば、ありがとうと素直に受け取って笑う。おいしそうに頬張るその顔に、ついついかまいたくなってしまうのは少年のもって生まれた性質と言うものだろうか。
「それにしても、どうしてこんな何もない町に来たんだい?買い付けの商人ってわけでもないだろうに」
別段詮索をしようと言うつもりもなかったが、まだ若い少年が一人で旅をしているのは少しばかり珍しい気がしたから、ついつい言葉が滑り出してしまう。その言葉を受け取った少年は、リンゴをかみ砕いて飲み込んで、ちらりと青を取り戻した空を見上げて、それらかこちらに視線を戻していった。
「ん?ああ、ちょっと捜し物しててさ。ま、のんびり旅してるついでって感じだけど・・・なあ、こう、これくらいの赤い日記帳。本皮の、結構良い装丁した、こういう金色の鍵がついてるのなんだけど、どこかでみなかった?」
問われて、そんなものをみただろうかとおやじは首を傾げた。日記帳自体は珍しいものではない・・・が、そんな聞くだけでも高級そうな日記帳にわざわざ普段の何気ない徒然を書き込めるような人間、早々いるものではない。
見かけたら、意識に端には止まりそうなものである。だいたい、だからこそこの少年も、それを探しているのだろうから。
「悪いな・・・一応、周りにも声をかけてみるから、見つかったらあんたに知らせるよ」
「うん・・・ありがとう」
旅をして探し回っているくらいだ、この町にない可能性くらい十分に承知していたのだろう、それほど落胆の様子こそ見せない少年に、けれどもなんだか悪いことをしたような気になってしまって、ぽり、と頭に手を伸ばす。
「大切なものなのかい?」
背を向けて歩きだした少年に、何となくそう声をかければ、首だけで振り返った少年は、少しばかり大人びた笑みを乗せてうなずいて見せた。
「大切な・・・大切だった、ものだよ」
しずみかけた夕日で、赤茶の髪がちょうど太陽みたいに真っ赤に燃えて、見えたような気がした。
少しばかり遠くなったはずの太陽が、まるで世界を包み込むように、燃えているような気がした。
ふと。
少年が立ち止まって、タタル渓谷のある海の方角へと視線を向けた。
そちらには、何があるわけでもない。いつぞや漆黒の翼がローテルロー橋を破壊して流通が不便になったけれども、現在はそれも復興して元通りのはず。
そう、何も、なかったはず、なのに。
ぎょっと、男は目を見開いた。
あの、宙に浮く白いものは何だ。
海の上に浮かんでいるように見えるそれは、つまりこの距離から見えているほど巨大なもの。
今まで、意識しなかったにしろ、そんなものがあったのなら知らないはずがない。
少年の目が、少し厳しい様子でそれをにらんでいたけれども、男はそんなことに気付く余裕もない。
「・・・ド」
「え?」
かすれるような、小さな小さなつぶやき。
聞き逃してしまって、思わず後ろを振り向いて聞き返そうとしたときには。
「・・・あ、れ?」
先ほどまでそこにいたはずの少年の姿はどこにもない。
あの白い何かに目を奪われていたと言ってもそれほど長い時間でもなかったはずだ。そして、エンゲーブは農業の町だから、建物も低く見渡しが良い。なのに。
「・・・?」
どんなに見回しても、男はそのあと、あの少年を見つけることはできなかった。
「・・・あら?ミュウ、その日記帳は何?」
プラネットストームの停止、そしてレプリカホドの出現。
ヴァンの描いたスコアのない世界への理想を貫いたラルゴとの戦いの後、ゲートを閉じることに成功した一行はつまり、事実上の最終決戦をこれから迎えることになる。
だが、長旅と連戦で武器や道具の消耗が激しいため、調整をかねて今までの荷物の整理をしようという流れになったのは誰ともないことだった。
骨休めもかねているこれは、皆戦いのことはあえて口に出さずに、ああこれはどこで買ったのだったなどと少しばかり旅の思い出を振り返りながら笑う。
けれど。
レムの塔からこちら、元気のないミュウが端の方で見つけた赤い日記帳を大切そうに抱えているのを見つけたティアが首を傾げた。
それは、ここにいる全員のうち誰のものでもない・・・否、見かけたことがないもので。
しっかりとした装丁と、そして繊細な細工の鍵部分をみるに、ナタリアやアッシュが持っていそうなものだが・・・二人に視線をやれば、知らないというように首を振られる。
「誰のもの、かしら」
「ご主人様のものですの」
「アッシュの・・・?」
「違います、ご主人様のものですのっ!!」
ティアが手に取ろうとしても、ガンとして手放さないミュウは、もう半分が涙目で。
各荷物を整理していた仲間たちが、驚いたように手を止めた。・・・彼らのうちの誰も、その日記帳に見覚えはなかったし、ミュウが主人と仰ぐのはアッシュであると記憶していたから。
放っておけば泣き出しそうだったミュウに、ティアがかける言葉を探しておろおろとしていたとき、横からすっと、マリンブルーの手袋に包まれた手が、差し出された。
「ミュウ、それを貸してください」
ジェイドのその言葉に、ぎゅうっと日記帳を握りしめたまま、涙目だけをミュウは返す。
ジェイドはけれども、できるだけ静かに穏やかに、言葉を重ねる。
「壊すことも取り上げることもしませんよ。中身を読ませてください、そうすればお返しします」
誰も気付いていない、あのレムの塔で拾った小さな宝石が、あの日記帳を見つけたとたんポケットの中で熱くなるのを感じていた。・・・そして、ジェイドの頭のどこかで、自分自身がその日記帳を、必要だと叫んでいた。
「・・・わかりました、ですの」
おずおずと差し出してきたそれを、できるだけ丁寧に受け取って、そして開く。
そして、少しだけ、ジェイドは固まった。
・・・その日記帳はまっさらで、何も書き込まれてはいなかったからだ。
白い日記帳・・・装丁の、大事に使い込まれてきた印象と矛盾する、インクのシミのひとつもないそれ。
まるで、何かが消え去ってしまった後のように。
ぱらぱらと、それでもジェイドはページをめくった。・・・確信の持てない仮定に従うのはとても不本意だけれども、確信よりも強い何かが自分の中でこの日記帳を手放してはいけないと叫んでいたから。
だいすきだったよ
「・・・?」
好きになれてよかった
「・・・」
この日記が、楽しいことだけで埋まるといいのに。
「っ!!」
俺が呼べない分、呼んでくれると嬉しい・・・な、ジェイド
「るー・・・」
何度だって、俺の名前を
「・・・バカですねぇ」
「大佐?どうなされましたの?」
「・・・大佐、泣いて、る?」
「泣いてなどいませんよ。ありえません」
どうしてかも、何なのかも全くわからないまま。
ただ、愛しさが募って仕方がなかった。
心の限りの愛を捧ぐ
こっから本格的にすれ違い始めると、この先またすさまじい長さになってしまいますので、少しばかり割愛。アイテムで思い出すのは王道のお約束。
でも乙女チック演出(待てってば)
まだふた波乱くらいは用意しておりますが、どん底からは脱出したはず。(この後に及んでまだやるのかというつっこみ)
2010/1/12up