「これが、最後の警告だ」
少年の言葉が、本気だということがわかるから、誰もが本能的な恐怖に体をふるわせた。
けれども、少年自身も必死なように思えてくる。
まるで、迷子の子供が一生懸命に道を探しているように。
―――あの子供を、頼みます
ふ、と。
その言葉が、ジェイドの頭に浮かんできた。
彼は、「彼」ではない。
でも、違う。
そうではない。
彼は・・・でもたしかに、彼なのだ。
唐突に、現れた「答え」に、戸惑うことすらなかった。
ただ、ずっと心を占めていた違和感への答えに、納得すら抱いたほど。
ジェイドは、無造作に槍をしまうと、てくてくと無造作に少年に近づいていった。
ガイが止めようとして、けれども少年が今にも超振動を放つかもしれないことを鑑みて、動けずにただ成り行きを見守る。
ただ、不安はひとつもなかった。自分でも驚くほど、それは本能的な確信であったが。
誰もが、声を出さずに、ジェイドの行動を見守っていた。
少年の前までたどり着いたジェイドは、そっと、その髪に手を伸ばす。
赤茶色の、さして珍しくもない色。
さわれば少しばかりねこっけの、柔らかい感覚。
(これは、あのこの。)
忘れていたすべてが瞬時に頭の中にわきだしてきた。
どうして忘れることができていたのだろう、笑った顔、困った顔、なにより彼の名前を。
「・・・渡す気になったか」
「いいえ。・・・渡すのはあなたの方です。その子を返しなさい、ローレライ」
空気が、凍った。
なにより、一番愕然としているのは、目の前の子供だ。
しかし、ジェイドはもう、なにも間違うつもりも譲る気もない。
仲間たちも驚きに目を見開いているけれども、そんなことをかまっている暇など、なかった。
「「ルーク」を返してください。ローレライ。・・・あなたはルークではない、だからこれは渡せません」
ずっと答えはここにあった。
だから、ずっとジェイドは気づかなかったのだ。
「ローレライ?・・・奴はヴァンに、地核にとらわれているはずじゃないのか?」
「それに。どうして大佐、あなたがアッシュの真名を知ってらっしゃいますの」
口々に疑問を口にする仲間たちのゆがんだ記憶すら作り上げたのだろう目の前の、泣きそうな顔をした子供に、けれども生来冷徹な性格であるジェイドには、もう憐憫もわかない。
ジェイドの心を溶かしたのはただ一人だ。
動かしたのは唯一だ。
それはかわりの効く存在などではない。・・・そして、それはずっとそばにいた。
存在を示すように熱を放つポケットの中の石を握りしめながら、ジェイドは空いた手でかちゃりとめがねのブリッジを押さえる。
「ええ、ローレライは確かに今ヴァンにとらわれて身動きできないはずです。・・・そうですね、私はあなたを「もう一つの世界のローレライ」と呼べばよいのでしょうか?」
「なにを、言って・・・あんたは、俺を、知っている、の・・・」
がたがたとふるえ、先ほどまでの闘気など打ち消されたように真っ青な顔色の少年は、剣すら落としたことにも気づかないまま、口元を押さえている。
それが演技だとは思えず、けれどもジェイドの口調に確信をみて、ジェイドの妄言だとも思えず、ただ仲間たちは見守ることしかできない。
ただ、ジェイドだけが静かな瞳で目の前の少年を見つめていた。
「いえ、あなた自身をローレライと呼ぶのはいささか語弊がありますね。・・・あなたは、この世界ので本来のルークのかけらです。・・・平行世界で存在していた魂と呼べるものを一つの体に押し込んだとすれば、当然元の体の魂は、それも人格形成もなにもできていない状態では、存在すら保てなかった。ローレライへと吹き飛ばされてほとんどが同化したのでしょう。けれども、あなたは偶然を経て現れた。・・・おそらく、欠片が、その体につなぎ止められていた。逆に言えばローレライは、その欠片を利用して、ルークをつなぎ止めたともいえます」
「お、れが。か、けら?」
がくりと、少年がひざをつく。
少しだけ、ジェイドが怜悧な表情を和らげた。・・・そっと少年にふれた手は、今度はどこか優しげで・・・そして哀しみを帯びている。
「・・・けれども、私の予想が正しければ同時に貴方はローレライでもあります。・・・おそらくは、ここではない世界の」
そうでしょう?
ジェイドのその言葉に、やがて少年は顔を上げた。
その瞳は榛から金色へと変わり、どこか、絶望を帯びた表情を浮かべて。
「俺は、おれですら、ないの・・・」
再び、その手に剣が握られる。
かたかたとふるえる剣先は、しかしゆるゆるとジェイドへと向けられた。
まるでつぎはぎしたようなガタガタでいびつな殺気が、肌を刺すのを感じてもジェイドが言葉を止めることはない。
「おそらくは、その体に残されていた強い思いを読みとってシンクロしてしまったのでしょう。・・・貴方が、記憶に、そしてこの石と日記に執着したのは。それは同時に、ローレライの意志でもあるでしょうが」
ジェイドがポケットから取り出した小さな親指大の暁色の石は、ちかちかと明滅し、その存在を示している。
その石に、何か動かされるものを感じて、仲間たちが無意識に、小さく「 」と呟く。その名前は空気をふるわせることはなかったけれども。
「・・・けれども、貴方は欠片です。おそらく、貴方が貴方でいられる時間はもう長くはないでしょう。そうですね、ローレライ」
また、ジェイドの手の中で石が悲しげに光る。
ぎっとジェイドをにらみつけた少年が、今度こそ剣を振りおろそうとして・・・そうして、ぎりぎり、ジェイドの首の皮一枚のところでぴたりと動きを止めた。
どこか表情の消えた、平坦な顔が、そうしてジェイドを見上げる。
ひとならざるもの。
たとえ人の形をしていても人ではないのだと、その瞳が示している。
ぞくりとしたものが背中をよじ登るのを仲間たちはこらえることができない。けれども、声を発することもできずにただ成り行きを見守る。
「再びお前たちとまみえることになろうとは・・・我らの業は、どこまでも深い」
「ようやくお出ましですかローレライ」
ジェイドは、最初からこれを予想していたかのように、冷静な顔で眼鏡を押さえた。
剣をおろし、そしてぽかんと一様に口を開いている仲間たちをくるりと見回して、そして少年・・・否、少年の姿を借りたローレライは深く息を吐く。
その仕草だけはどこか人間くさくて、まるでここが現実世界ではないかのような錯覚すら覚える。
まるで、おとぎ話のようで。
けれども、おとぎ話の中ではない現実の神様は、平坦な声で選択の時を告げる。
「すべてを話そう。・・・その上で、選ぶべき道を選べ」
それは、フォミクリーという業を背負ったジェイドの、あるいは人間それ自身の、選択の道。
細く長く、どこかに向かって延びる、保証のない道。
世界のカミたる存在は、「かつて」には存在しなかったその道を示す。
その道が、どこに続いているのか、神にすらもわからないままに。
深淵の底へ
さっくさっくいっきまーす
2010/6/20up