ユリアの譜歌。
彼女が、どうしてスコアを詠んだのか。
どうして、ローレライと契約することを選んだのか。
どうして、裏切りを許したのか。
どうして、星の記憶を人に残すことを選んだのか。
それは、もう、誰も知らない。
亡霊から生者への手紙
風に乗り、聞こえてくる、伸びやかな歌声。
人形遣いの少女曰く、「便利通信」なるものを使わなくてもすぐに所在の知れた己のレプリカに、舌打ちをしながら近づく。
日の落ちるバチカルの港はすぐに冷えてくるので人影は少ない。定期船はもう全て出向したので、船の関係者達もまばらに散ってしまった。
海は、沈み行く夕日を吸い込むように、静かに寄せては引いていくだけ。
ざざ...
鼓動のように一定のリズムを刻む音だけが、ゆっくりとあたりを支配する。
永遠のように見えて、時計と同じに時を刻む。
おい、レプリカ。
そう、話しかけようとして何故かためらわれた。何故か、レプリカはあまりに必死に歌っているように見えたからだ。それをとどめるのははばかられるような気がした。
結局、歌声が止まるまで待つことしか出来ない。
...歌っているはずなのに、泣いているように見えるのは、水面を見つめているその表情のせいだろか。それとも、ユリアの祈りのこめられた譜歌のせいだろうか。
「...アッシュ」
歌声がやんで、振り返ることもないまま己のレプリカ...ルークは自分の名前を呼んだ。
「...何をしている」
我ながら、もう少しは気の聞いた言葉もいえないものかとも思ったが、考えてみればそもそもこのレプリカに気を使う必要性がわからない。...少なくとも、自分にはそう言い聞かせてアッシュは鼻を鳴らした。
またどうせ、うじうじとつまらないことを考えているに違いない。
ルークなどに、自分の全てが奪われてきたのだと思うと、情けないばかりだ。
「...ユリアはさ、この歌に何を祈ったのかなって思ってたんだ」
「...そんなもの、本人にしかわからんだろう」
アッシュらしい返答に、ルークが思わず苦笑するのが見えた。
そこには、さっきまでまるで泣いているようにすらも見えた表情などうかがいも知れない。いつもの、情けなくて頼りないルークの顔。
だけど、もしかしたら夕日が当たるせいで(そういうことにしておこう)表情がどこか違って見えるのも確か。
笑っているのに、不安で張りつめて泣いた子供のようにすらも見える。
「死んだ奴のことなんて、死んだ奴にしかわかんないよな」
「...当たり前だ」
推測することも出来る。近しい人間ならなおそれは限りなく答えに近づくのかもしれない。
だが、ユリア・ジュエが何を思って外郭大地などという途方もない計画を立て、戦争を終焉へと導き、ローレライへと歌を捧げ、スコアを詠んだのか。...どんな心境で、自らを裏切ったフランシス・ダアトを許したのか。
そして、どんな気持ちでこの世界の破滅を詠んだのか。
その本当の答えなど、やはり本人にしかわからない。
あまつさえ、二千年後に生きる自分達の推測など、御伽噺にも等しいただの想像だ。
「...死んだ人間は、きっと何もしないんだ」
さっさと用件だけを言いつけてその場を去ろうと思っていたアッシュは、常と違う様子のルークに、足を止めてしまっていた。
この場で、いつものように怒鳴りつけて会話を終らせることはたやすいが、何故か今日に限ってそれができない。
「祈るのも、恨むのも、喜ぶのも、悼むのも、後悔するのも...全部、生きてる人間だろ?本当は、アクゼリュスの人たちだってもう恨んでなんかいないんだ。イオンの敵をとったって、イオンは喜んでなんかいないんだ。...だって、もういないんだから」
「...だから、何だ」
「だからさ。...ユリアの祈りなんか、本当はもうどこにもないんだ。ただ、俺達があれこれ想像して、それをその人の意志だと思い込む...」
はっきりとしない物言いに、段々いらいらとしてきたアッシュはもうその場を去ろうと思い始めていた。...別段、自分がこのレプリカのうじうじに付き合う必要などない。そんなものは付き合いのいいガイの役目だろう。自分ではない。
「それなのに、どうしてユリアは祈りの歌なんて遺したんだ?」
自分の遺志を正しく理解する人間などいないとわかっていても、祈らずにはいられなかった。
伝わらない恋心を抱き続けるにも近しい。
「...そんなもの、知るか」
切り捨てるようにいったアッシュは、正しい。
アッシュはユリアではない。彼女を理解した風に言うことはできない。
判っていてなお、ルークは問いかけたのだ。
だから、答えが返らなくても別段ルークは何も言わなかった。
ただ、その緑の瞳をほんのわずか揺らしてから、もう暗がりに染まる海を見つめた。
「お前は誰かに理解してもらうために祈るのか」
言われて、ルークがこちらを振り向くのが判った。
眉間に皺を寄せたまま、アッシュは続ける。
「俺はユリアが何を考えていたかなんてしらねぇよ。だがな、一つだけ判るのは奴がお前なんぞに理解してもらおうとはこれっぽちも思ってなかったことだ」
「...そっか」
「それに」
「それに?」
不思議そうに顔を上げてきたルークに、アッシュはあごをしゃくって見せた。
その先には、手を振る金の髪の青年の姿。
「ユリアにだって、お前なんかよりはユリアを理解した奴がいただろうよ」
そこに、ユリアよりもルークを理解した人間がいるように。
「祈りなんて、そんなものだ」
「...うん、ありがとな、アッシュ」
「てめぇに礼など言われる筋合いなどねぇ」
「俺の祈りは、届くかな」
「...知るか」
結局、会話の最初から最後までまったくもって一貫性のないルークに、アッシュはもはや怒りよりもあきれを強く覚えていた。
ガイの姿は、随分こちらに近くなってきていて、その表情が見て取れる。
「きっとさぁ、ユリアは誰かに見つけて欲しかったんだ。...考えて欲しかったんだ。自分が何を祈ったのか。」
「俺は、もう行く」
これ以上は付き合えない...付き合いたくない。
何故だか、アッシュにはこの場にいるルークがまるで亡者のようにすら見えていた。
生きて、ここにいるはずなのに。
波が寄せて引けば消える幻のように、はかないものに見える。
「俺は、祈るよ。...誰に届かなくても、祈る」
「...」
「じゃあな、アッシュ。俺もう行かなくちゃ」
「...」
ガイが来たのと同時、ルークは立ち上がった。
そこには、亡者のような危うさは消え去って、いつもの情けないレプリカの顔があった。
「...」
もう、星さえも見える夜空を一度だけアッシュは見上げた。
視線を戻せば、もう赤い髪の少年と金色の髪の青年の姿は随分遠くなっていた。
祈り。
ユリアが祈ったように、あのレプリカも何かを祈っていたのだろうか。
別段、アッシュはルークではないし、ルークはアッシュではない。
同じ姿形をしていても、その祈りなどアッシュにわかるわけもない。
「...行くか」
結局のところ、用件を済ませることは出来なかったが別段急ぎであるわけでもない。
バチカルの港に、アッシュは背を向けた。
それから、数年、後。
セレニアの花が、譜歌を吸い込んでゆれた。
ゆっくと進み出てくる赤い髪の青年に、その場に集まった人々の表情が一瞬ぱぁっと明るくなる。
「...約束、したからな」
口にした青年に、栗色の髪の女性は涙を流す。
それは、喜びではなかった。
悲しみでもなかった。
事実をありのままに受け止めた、それでいての悔恨だった。
少年は、還らなかったのだ。
還ったのが、彼だけだという事実を受け止めて、仲間達はただ立ち尽くすしかなかった。
青年は、ゆっくりと昔の...自分のレプリカの言葉を思い出しながら口を開く。
「奴の望みは...一つだけだった」
あの、バチカルの港ではもう自らが消えることを覚悟していたルークの、たった一つの小さな望み。...大爆発によってその記憶を受け継いだアッシュにだからこそ、それは引き継がれていた。
「何を...ルークは、何を望んだの?」
涙にぬれた瞳で、気丈にも聞いてきた栗色の髪の女性に視線をやりながら、アッシュは答える。
「祈りが、届くことを。望んだ」
自分という、元の器に還る瞬間、ルークという存在が消滅する瞬間。
『ルーク』は、もっと生きたいという切望ではなく、祈ったのだ。
「『自分』が存在しない未来に、自分がひとかけらでも残ることを」
最初から、消えることを覚悟での望みだったのだろう。
あのとき、埠頭で歌ったルークの想いまでも、アッシュは受け取ってはいない。
ただ、記憶だけを受け取っただけだ。
だから、その祈りの真意は想像することしかできない。
結局のところ、いない人間の祈りなど、想像するしかできないのだ。
正しく受け取られることのない祈り。
それでも、遺そうとした、ルーク。
焦がすように、アッシュの心が揺れたのは、ルークの記憶のためなのか。
それとも違うのか、判別することは出来なかった。
少年は、もう、どこにもいないのだから。
アシュルクと言い張る(笑)
死ぬのが判っていたから、生きているうちに理解されることも出来なかった。
死んでから、理解されることは何もない。...限りなくそれに近くても、正解ではないんです。だって本人じゃないから。
エンディングアッシュ生還ルートの追憶ってことで。
アシュルクなんですってば(えー?)
2006.01.09up