「世界で一番大好きだよ、ジェイド」
それが、初めて聞いた彼の、彼自身の『声』。
ローレライが戻した記憶は、「かつて」の物語の断片も含んでおり。
「自分たち」と同じ登場人物が繰り広げた物語を、まるで本を読んだ後のように第三者的に理解するに至った物だった。
それが本当なのかどうかはわからない、けれども同時に思い出したルークという存在が、おそらくは「そちらの世界の」ルークであるのだということを理解した。
この世界では生きている、アクゼリュスの人々やイオンやアッシュ・・・障気にむしばまれることのなかったティアの体。
すべてのパズルに足りなかったのは、「ルーク」というピースだったから。
同時に、誰もがローレライの言葉の真意を理解した。
かつて、「ルーク」はその存在を否定された。居場所すらない代替品だった。
そして、その「ルーク」は、たとえ偶然だとしても、この世界のルークの居場所を奪って存在してしまった。
皆の知るルークは、「ルーク」だ。誰もが大切に思うし、帰ってきてほしいと思う。
けれど。
なら、この世界のルークに、存在するな、消えろといえるのか。おまえの居場所はないから、いらないと。
ローレライの問いかけはつまりそこにあった。・・・究極の二択が、ずっとそこに眠っていたのだ。
ジェイドですら、その問いに即答をすることはできなかった。
国のため、世界のため。
大義名分をかけてはおそらくルークに「死んでください」といえるだろう自分が、けれどもこの世界の神の出すたったひとつの問いに永久に答えを出せる気がしない。
ジェイドはそれでも最後に「ルーク」を選ぶ。けれども、ルークは果たしてどうだろうか・・・おそらく、その結果を受け入れることができないだろう。
もしかしたら、そのままこの世界のローレライを解放してまた平行世界でループを繰り返すかもしれない・・・その先に、きっと誰にとっても救いなどないだろう。
誰もが黙りこくった。
あるいは、もはやここも繰り返された世界の一つなのかもしれない。音譜帯で眠りにつけない幼子を、無限のループに連れ込んでいるのが、現状なのかも知れない。
誰もが・・・ジェイドも、言葉を紡ぐことができずに沈黙が満ちる。
けれども。
不意にはっとしたように顔を上げたアッシュが、「ローレライ」に問いかけた。
「・・・ちょっと待て。おまえはかけらと言ったな」
その問いが、何の意味を持つのかわからない仲間たちは、ただアッシュの厳しい表情を見つめ言葉の続きを待つ。
ローレライも、特に何の表情も浮かべずにうなずいて見せた。
「是。我はローレライという意識集合体の一部にすぎぬ」
かつて、ローレライは残留思念の状態ですらレプリカ一万人分の音素をよこして見せた。だから、誰もが、ジェイドすら見逃していた事実に、けれどもローレライの同位体であるアッシュだからこそだろうか、気づくことができた。
遅れて、アッシュの言わんとしたことに気づいたジェイドがそうか。と小さくつぶやく。
皆は、まだ理解できていないようだ。ナタリアの困惑した視線を送られて、アッシュは咳払いをひとつしてから、つまりと前置きを置く。
「この世界のローレライはまだヴァンの野郎に閉じこめられている。かけらの存在でもこいつらをつなぎ止めることができるなら、本体ならこいつらの両方を生かすこともできる。・・・可能性は高いはずだ」
本当?と言うような視線をルーク、否ローレライに向ける仲間たちに、ローレライは思案するように視線を上にあげる。
体に染み着いたその動きが、まだ「ルーク」がそこにいるのだと教えてくれるような、気がした。
「この世界の我であれば確かにルークをこの世界につなぎ止めることはできるだろう。確かにルークはアッシュの完全同位体だが、「あちら」のアッシュと対である以上「同じ」にはならぬ。故に大爆発も回避される。だが、それはこの世界のルークには適用されぬ」
ローレライの淡々とした声に、一度は光明をみたという顔をしたティアたちが表情を曇らせる。けれども、ジェイドとアッシュだけは表情を変えることなく、畳みかけるようにしてアッシュが続けた。
「バカか。「だからこその」てめぇだろう。さっきてめぇはこいつらのどちらかはつなぎ止めることができるといった。なら、この世界のローレライにバカを、おまえがこの世界のバカをそれぞれ担当させればいいだけの話だ。お前の音素がこの世界のものでない以上、それで補完させればすむ話だ」
「なるほど。確かに可能性は高いだろう・・・もし、このからだの限界がくる前に栄光を掴む者からこの世界の我を解放することができれば、あるいは眠るルークを起こすこともできるかもしれぬ」
確定のないローレライの言葉に、ジェイドの視線がわずかに揺らいだ。・・・それに気付くものは、多くはなかったけれども。
だが、希望はつながれた。
「残りの時間は?」
即座に思考を切り替えたジェイドの問いに、静かにローレライは答える。
「あと、一刻は」
それは、あのヴァンを相手にすると考えれば、決して余裕のある時間ではない。皆の表情が、すぐに引き締まる。
「急ぎましょう。今は、議論している暇さえ惜しい」
「もちろんですわ!」
「ああ、同感だ」
「アニスちゃん、あとできーっちりボーナスはずんでもらわなくちゃなぁ」
「兄さんを止める、ルークをあきらめない、それだけよ」
迷いのないその言葉たちは、あるいは決意そのものであった。
皆が、階段を上ろうと足を向けたところで、アッシュだけがじろりとルーク・・・否、ローレライをにらみつけていた。
ローレライは、まるで「ルーク」のような仕草で首を傾げてみせる。いつもへらへらと笑っているような自分のレプリカと一瞬かっぶって見えて、アッシュは不快そうに顔をしかめた。
同じ顔でも、中身が違うということを一番理解しているのは自分だ。・・・だからこそ、よけいになぞる仕草をされるのは腹が立った。
「・・・肝心要で寝こけやがって、いい身分だな」
それは、ローレライに向けた言葉ではない。
その中にいるはずの、深く眠っている「ルーク」への言葉。
己が複製でありながら、皆にこうまで望まれている存在を、簡単に処理できるほど、まだアッシュは老成もしていなければ、己の感情をうまく裁ききることもできずにいる。
それ故の問いだと、あるいは気付いたのだろうか。
己の、もう一人の同位体に対して、存外優しげに、ローレライは言葉を投げかけて見せた。
「・・・どちらの世界でも、常に「あれ」は自らの消滅を望み、他の存在を望んだ。存在の核は、音素ではない、意志だ。意志がなければ、存在は保たれぬ」
「!?」
ふっと、人の笑みを消したローレライは、鈍く光るその瞳を、皆が上りきった階段の方に投げかける。
感情などない、人ではありえない。
その能面の下に、あるいは慈愛を持つかも知れぬ始祖ユリアと契約した神と呼ばれる意識体。
「もう行け。時間はない」
「・・・続きは、そいつをたたき起こしてからだ」
今度こそ、背中を見せて走り出し、一気に階段をかけあがり始めたアッシュは、だから背中に投げられる、緑の瞳を知らない。
「大丈夫、ちゃんと、できるから」
風に流されたその言葉も、聞こえない。
でも、きらきらとした光だけが、そっとその背中にそうのを、一人の青年の姿をしたローレライだけが見ていた。
あとちょっと、あとちょっと!
後二話(最終話は前後篇になるかもですが)くらいなはず!
2010/7/19