その世界に飛び込もうと思ったのは、ちょっとしたきっかけの積み重なりだった。
分かれ道の先の
大学と言うものには、確かに興味はあった。勉強は面倒くさいけれども、新しいことが分かれば楽しかったし、自分なりに大学生活への憧れと言うものは存在していた。
しかし、そもそも、養い親であるハンクスに負担をかける事を余りよく思っていなかったユーリは、高校卒業と同時に働き始めようと、むしろ高校二年の終わり頃からは一旦就職活動を始めていた。
幸いと言うかなんというか、小うるさい幼馴染に小学校から逐一宿題から予習復習まで延々付合わされた甲斐もあり、また元から面倒くさがるだけで頭の回転は悪くなかったユーリの成績は実のところ大変宜しいもので。
普段からちょくちょくと授業を抜けだし屋上で昼寝などしていたわりに、テストの成績がいいものだから進学校(これは、フレンと離れたくないというちょっとした乙女心の働いたゆえの選択である)の教師陣は余り五月蝿くは言ってこなかった。
進路希望調査の紙を毎度白紙で出すものの、進学校と言うこともあり、まさかこっそりと就職活動をしているとは思われていなかったらしい。時々学校に顔を出さなくても何も言われなかった。
が。
それまで一緒に大学に通えるものと信じて止まなかったフレンと。
憎まれ口はたたきあうものの、本当の子供と同じくらいに可愛がり育ててきた娘同然の子なのだから、しっかり大学まで行かせてやりたいと思っていたハンクスとその夫人が。
慣れないスーツなど着て就職活動を始めたユーリに気づいたそのときは...余り思い出したくもない記憶の一つではある。
いっそ、いつも通りに怒鳴ってくれたほうがよかった。...何せ、そこから数週間、音を上げたユーリが進路希望調査に進学と記すまでの間、どよどよと一体誰が死んだんだといわんばかりの空気を家中に充満させてくれたのだから。
その空気の重さたるや、ハンクスの連れ添いである夫人が亡くなった時のレベルであった。
特に、フレンなどは、
「君と一緒に大学に通うとばかり思っていたのに...」
と、此方の気持ちなど全く気づいてもないくせにそんな発言をして落ち込んでいるものだから、正直頭を殴ろうかそれとも赤面すべきなのか悩んだものである。
まぁ、五秒ほどの逡巡の結果、赤面しながら殴るという折衷案に片付いたのだが。(当時からユーリのフレンへの気持ちに気づいていたハンクス夫人が、こっそりと其れを見て微笑んでいたものだが)
トドメのようにハンクスと夫人に、お前を大学まで出して卒業証書を見せてもらうのを楽しみにしていたんだといわれてしまえば結局のところユーリも意地を張り続ける事もできず。
にっこりと笑いながら大学のパンフレットを差し出したフレンの頭を、とりあえずぱこんとはたき倒してユーリは大学進学を決意したのであった。
(まだ一緒に居られるうれしさは、顔には出せなかったけれど)
元々、幼い頃から法律を学ぶことを夢見ていたフレンが法学部の扉を叩くことは予想されていたし本人もそのつもりであった。
それに引き換えユーリは、そこまで明確な目標を持って大学に行きたいと望んでいたわけではない。興味が一つに絞れず、故に進学と印はしたものの、大学のパンフレットを片手にむぅ。と眉根を寄せては学部を眺めていた。
「そんなに悩むんだったら、オープンキャンパスに行ってみようよ」
夏休みの折。予備校帰りに、フレンがチラシを持った手をひらひらと振った。
そこには、フレンの第一志望の大学の名前と、明日の日付。
当然のように二人で一緒、と誘われる其れは。たとえフレンにそのつもりがなくとも、少しばかり嬉しくなるもので。
日傘も差さない屋外で立ち止まるものだから、夏の日差しにひりひりと肌が痛んだけれども、そんなものは気にもならないくらいユーリの心を高揚させた。
まぁ、自分のことを思っていってくれていることへの嬉しさ等素直に出せるたちでもないユーリが素直に礼を言えるわけもなく。
分かった。行ってやるから今からアイスおごれよ。といえば。
「どうして君がそんなに偉そうなのさ」
と呆れ声。
暑いからだよバーカ。といえば、大体君はいつもいつも...とお説教の前兆。
そんなものには慣れっこのユーリは、するりと彼の口撃を抜け出してコンビニに駆け込み。
遅れて入ってきたフレンの前に、これよろしく。と二人分のアイスを突き出して大いに呆れさせたのであった。
「すっげぇな。何か、大学って、でけぇ」
「そうだね。カフェテリアもすごく広いよ。...ああ、ほら。向こうなんて、晴れている日ならお弁当でもいいかもね。...それよりどう?ユーリ、興味のわいたところはあったかい?」
総合大学であるザーフィアス国立大学には、当然ポピュラーな学部は全て揃っている。
キャンパスが広大でなため、今日のオープンキャンパスには臨時バスが走り、普段はまだユーリたちと同じように高校に通っている、どこか緊張した面持ちの若い学生達をえっさほいさと運んでいる...なんだか、一種のお祭りのようにも感じる。
少し郊外にある事もあり、無理なく作られたキャンパスはところどころ公園のようになっていたりして、ちらほらと子供連れで散歩に来ている主婦層なども見かけた。
大学と言うものにもっとお堅い雰囲気をイメージしていた二人は、サークルなのだろうかジャージにラケットを持ってすれ違う学生などを見て、なるほどイメージとは違うものだと納得する。
校舎内ではいくつか模擬授業のようなものも行われ、確かにパンフレットとにらめっこしているよりもわかりやすい学校案内だ。
ユーリも、なんだかんだ楽しんでくれているようで、フレンは連れてきてよかった。と心の中で思った。
「んー。...アレ面白かったな。なんたらっていうおっさんの模擬授業」
フレンの問いかけに、学校内の地図を眺めながら思い出すように上を向いたユーリは、やがて少し思案して応えを返す。
「...オルトレイン教授ね」
興味を持ったくせに、何ゆえ名前すら覚えずにおっさん呼ばわりだろうか。まだおっさんと呼ぶには些か早い年代であるのに、時に若者は残酷である。(否、ユーリが。かもしれないが)フレンが思わず若き教授に同情心を示していたその頃、「えっくしょん」と大きなくしゃみを某おっさんがしたとかしてないとか。(どっちだ)
「実際、熱帯雨林にまで行っちまうんだろ?...面白そうじゃね?」
「...まぁ、君らしいといえば君らしいけど」
フレンはやはり、模擬裁判などにキラキラと興味を示していたのだが。ユーリが一番に「面白い!」と声を上げたのは、自然科学系の学部の、とある模擬授業でのこと。
高校の授業でも、興味のないものに関しては容赦なく寝るかサボるタイプであるユーリが、たった三十分とはいえ飽きずに聞くことが出来たというのは実のところ大変珍しい。
発表していたのは、どうにもきりっとしてまじめそうな、しかし大分若い教授であったのだが、法学に進路を決めているフレンも興味を抱くほどに確かに面白い内容であった。
(そういえば、ユーリは昔植物図鑑とか好きだったっけ)
フレンの父親の部屋にこっそりと忍び込んで一緒に本を読んだ日を思い出して、フレンは少し笑みを浮かべた。
「君のやりたい事が見つかるといいね」
「へーそらおっさんの魅力って奴じゃなーい」
「あーまさか俺もあのときゃああのセンセーがこんなもっさいおっさんだとは思ってなかったわな」
「ひっどいじゃないユーリちゃん!!おっさんちゃんとお仕事頑張ったのに」
「おーえらいえらい。んじゃ饅頭でも食うか?チョコ?ケーキ?」
「...おっさんいびり?それおっさんいびり?」
「一応今年もちゃぁんと模擬授業やったおっさんをいたわってやってんだけど」
「おっさん、甘くないのがいいなー...」
しょぼん、と背中を丸くした男が、まさかあのときの教授だとは今でも信じられない。
結局、ユーリはそのまま学部を決め、学部生のうちからゼミに参加していたのだが、出会った当初はこの目の前に居るいかにもな駄目人間と、きりっと授業をしていた先生が同一人物だとは信じられなかったものだ。
そして、まさか今自分が迎える側としてオープンキャンパスの手伝いなぞをやるとも思っていなかった。...人生、何が転機になるか分からないものである。
「...ほらユーリちゃん、手伝ってくれたお礼に、アイス買ってあげるわよ」
にへらと笑うおっさんには、あの時感じた(口には出さなかったけれど)憧れはもうあまりないけれど。
結局自分は、ここにきて、そしてまだ、フレンの隣にいる。
「...ま、人生なんてそんなもんか」
悪くねぇ。と呟けば、どうやら勘違いしたらしいおっさんが、ひど!!と叫び声をあげたのであった。
...。ひっさびさに書いたらよく分からない感じになりました。
いや、自分が今まさに岐路的な処に立っているので、思わず。
自分の選んだ道は、しっかりしてる人もいると思うけど。何かのきっかけでそっちに転んだ人もいると思うなぁ。
なんて思ってたら、こんなん書いてました。あれ、バレンタインは?
2010/2/14