可愛くないといわれようとなんであろうと、今ほど自分がポーカーフェイスであることをありがたく思ったことはない。(ユーリに言わせて見れば、友人のジュディスのほうがよっぽどポーカーフェイスで腹の底が読めないと思うのだが)
サークルの後輩であり友人でもある某少女に言わせるところによると、アンタきっとギャンブラーが天職よきっと。とのことである。
お帰りユーリといわれて硬直したのはほんの少しの時間で済み、後は笑みを乗せて「おう、久しぶりだな」と返すくらいの表面的な余裕を保つことが出来たのだから。(しかし自分でも自覚しているようにそれはとても表面的なものである。実際、心臓が止まりそうだとかそんな非科学的な表現を使いたい自分が居る)
フレンの家は、両親ともに忙しく、殆どが留守で、それもあってハンクスの家に預けられたりすることは小学生くらいの時には良くあった。
その頃は単純に、夜の遊び相手が出来ることにユーリは喜んで、よく布団の中で夜更かしをしたものだ。(たまにハンクスに見つかって怒られたが)こっそり屋根の上に上って、天体観測をしたのもいい思い出だ。フレンは、ユーリの人生の時間の、良くも悪くも大半を占めているといえる。
中学生に上がり、一人で留守番が出来る年齢になっても、飯は一人で食べるもんじゃないというハンクスのポリシーもあって、フレンが夕飯をこちらで食べることは全く珍しくない。
また、それよりは頻度も少ないが、ハンクスが用事で居ないときは逆にユーリがフレンの家でご飯をご馳走になることもあった。あの家は確かに両親とも忙しくはしているけれども、あの家だからこんなフレンみたいな子供が出来るのだと納得できるほどには、子供に愛情と信頼を注いでいる親であり、またユーリのことも自分たちの娘のように可愛がってくれた。
「今日は僕が作ろうか?帰って来たばかりで疲れているだろう?」
大学においては紳士と名高い(恥ずかしいあだ名であるのに、こいつだと妙にそれが似合っているから不思議である。しかしユーリに言わせて見ればただの堅物なのだが)フレンの気遣いは、例えどんなに男らしくてタフであってもユーリも例外ではない。海外から帰ったばかりのユーリの疲労を心配して、自ら台所仕事を買って出るほどには、フレンは根っからの世話焼きであった。
が、あからさまにそのセリフにユーリとハンクスが引きつったことには全くもってフレンは気づいていない。...そして、彼は生まれてこの方二十と数年、自分が救いようのない味オンチであることを自覚していないのだ。(一応彼の名誉の為に言っておけば、万人が美味しいと思う味を美味しいと思うことは出来るのだ。ただ、何と言うか難というか、彼の味覚のキャパシティは常人を飛び越えているらしく、飛び越えたところに個性があると思い込んでいる故にアレンジなんぞされた日には食材の冒涜だと言い切る自信がある)
「いや、俺が作る...ざっと風呂入ってくっから、メシだけ炊いておいてくれ」
「了解」
何とか危険料理を回避して、妙な疲労感を背負いつつ、ユーリはラピードとともに風呂場へと向かった。
「...おし、いいぞラピード。フレーン!!聞こえるかぁ!」
『聞こえてるよー、タオルは用意してあるから、ラピード出てきて大丈夫だよ!』
「おし、先出ててくれ、ラピード。あとフレンにふいてもらってな」
「わふっ!」
ラピードは、非常に利口な犬で、ユーリに体を現れた後はぶるりと体を震わせ水気を飛ばし、言われたとおりに扉を開いて外で待ち構えているであろうフレンの元へと歩いてゆく。
ラピードは体が非常に大きいので、洗ってやるのも一苦労なのだが、そこらへんはユーリにとってはさほど苦ではない。とはいえ、矢張り帰宅後すぐの重労働に、浴槽の中で瞼が下りないようにするのに苦心しなくてはならなかったが。
眠くなる前にとさっさと自分の髪と体を洗い、適当にシャツとジーンズを纏って風呂場を出る頃にはタオルで乾かしてさらにドライヤーまでかけてもらったらしいラピードが大変満足そうな顔をしながらぱたりと尻尾を振って出迎える...フレンがブラシを片手に持っているところ見ると、これからブラッシングなのだろう。フレンは、一度こるとやりきるまでは手を止めない。
「ああユーリ、ごめん。丁度手が空いてたから、肉じゃがと味噌汁に、あと鮭の塩焼きとおひたし、作っておいたよ」
「...ええと」
「レシピどおりにって、ハンクスさんがね。インターネットでレシピを探してきたからこれを食べてみたいって言ってくれて。多分忠実に出来たと思うよ」
「そうか。...サンキュ」
向こうで、皿を並べて食事の支度をしているハンクスと視線が合った。
無言のやり取りだが、確かに通じ合うものがあるのはフレンのオリジナル料理を幾度となく味わう羽目になったものの特権であろうか。
ぽたりぽたりとまだ水滴の落ちる髪をがしがしとバスタオルで乱暴にぬぐっていると、ラピードのブラッシングを終えたフレンが呆れたようにドライヤーを片手にやってくる。
どきりと、また性懲りもなく跳ね上がる心臓はもういっそ止まればいいんじゃないかとげんなりしてしまう。...この男は、どうしてこうも...残酷なまでに鈍いのだろうか。
ユーリの予想通り、幼馴染が風邪を引くだろうと心配した世話焼きなフレンは、当たり前のようにコンセントにプラグを差し込んでドライヤーを温風にすると、極自然な手つきでユーリの髪の毛を乾かし始める。
「君は女の子なんだし、何より髪がとても綺麗なんだから...ちゃんと乾かさなきゃダメだよ」
「へいへい。...でもどーせ、熱帯雨林だ山登りだマングローブだなんだって、結構ほったらかしだけどな。いっそ切っちまうか、面倒だ」
何度繰り返したか分からない会話。ハンクスも聞きなれてしまって、こんなじゃれあいにはいちいち口も出してこない。いつも、ユーリが髪の手入れは面倒だし長いと不便も多いといって切ろうかと提案して。
「...それは勿体無いよ。せっかく、綺麗なのに」
こんな風にフレンが言ってきて、若干耳たぶをユーリが赤くするというのがお決まりで。
フレンの手が、髪の毛に触れているというだけでドキドキする。
それだけで、勿体無くて髪の毛を切る気にもならないのが本音なのだ...本当に、どの面下げてどこの乙女だと自分にいってやりたくなるのだが。
しばらく無言で、ただドライヤーの音だけがリビングに響き。
夕方のニュースを見る為にハンクスがテレビのスイッチを入れるまでの数十秒が、やけに長くて、そして刹那のように感じる。
(...ほんと、なっさけねぇ...)
心臓が持ちそうにないので早くはなれて欲しいと思う反面、もう少しだけ触っていて欲しいと思う矛盾。
丁寧にブローをして、満足したのだろうもういいよという声。(まぁだだよと言って欲しい)
その後自然な成り行きで食卓に着き、箸を付けたおかずは腹が立つほどに、美味しかった。
食後に、フレンの母親が作りおきしてくれたというプリン(微妙に首を傾げたくなるのだが、あくまでシーフォ家の両親の料理の腕前も味覚も平均よりも上である。)にスプーンを伸ばしつつ、見るともなしに流しているテレビ番組に視線を走らせる。
ちらりと隣に視線をやれば、やはり同じくプリンを突っつきながら、なんともリラックスした様子のフレン。
(...この位置が、手放せないんだよな...)
フレンもユーリも、どうにも性格的なものなのか、大分内側である友人達といるときでもその気配に敏感になってしまって無意識のうちに気を張っていることが多い。
けれども、お互いは数少ない、気の置けないと証するに相応しい存在であるということは、ユーリは自覚していた。...空気みたいに思えるほどで、例えばフレンが転寝をしているのを起こさずに近寄れるのは、彼の両親かラピード、それにユーリくらいのものである。それくらいの、距離。
(近すぎたのか...もな)
もし、自分がもう少し可愛い存在に...例えば、大学の後輩であるエステリーゼのように可愛らしい性格をしていたらまた違ったのだろうか。と思う。
彼女はフレンとも親交があるが、彼女とフレンが並んでいるところなどを見ると本当にお似合いに見える。...きらきらの王子様のようなフレンと、正真正銘深層の令嬢であるエステリーゼ。ああ、やっぱりこいつの隣が似合うのはこういう奴なんだよなぁと少しばかり切ない気持ちになったのは一度ばかりの話ではない。
それに、何度か見かけたフレンの同級生であるという、ソディアという女性...きつそうな外見をしているけれども、彼女を良く知らない此方から見てもフレンに対する好意というのは明らかで。
学校で出会えば親しげに話をするユーリを、思い切り睨みつけてくるあたり、なんとも可愛らしい恋心ではないかとむしろほほえましくも思ってしまうのだ。
フレンは本当に鈍感で、何せユーリの何年来か数える気にもならない片思いなど露も知らないわけだからしてソディアという同級生もやはり彼の中ではきっちり同級生と言うカテゴリから不動なのだろうと思えば少しばかり憐憫の情もわく。(まぁ、最も彼女はユーリに哀れんで欲しいわけではないだろうが)
つまるところフレンはとてももてるのだ。それでも何故か、年齢イコール独り身暦という(まぁ、それはフレンに限ったことではなくユーリもだが)いまどき珍しい潔癖さを貫いて(否、潔癖と言うよりもただの鈍感だろう。彼に熱い視線を送る女性は幾らでも居るが、あからさまに全く気づいていないのを見てしまえば近寄る事もできない)居る故に、全く浮いた話などは聞きもしない。
日々夢の実現のための努力を惜しまず、時折まぶしすぎて目を細めたくなるほど。
「...?どうしたの?ユーリ」
「あ、いや、別に」
ぼんやりとした視線が、フレンの青い其れと重なって小首を傾げられた。
慌てて答えればふぅん。とそれ以上追求はされない。
フレンの視線がそのまま時計に向けられる。(今は、夜の九時)
「さて、と。もうそろそろ帰るよ。...ユーリは、明日あさってはお休み?」
「ああ。荷物の片付けとかあるからな、それに流石に時差ぼけがきつい。明日一日は休養日」
「そっか。じゃあ日曜日はあいている?」
「...別に、用事はねーけど」
「駅のショッピングモールに、新しいケーキ屋さんが出来たんだって。...丁度、僕本屋に行きたかったから、ユーリもどう?」
「...行く」
「うん、分かった。じゃあ、日曜の朝に迎えに来るよ」
「ん、お休み」
「お休み。ラピードもね」
「わんっ!」
「ハンクスさんによろしく。...今日はゆっくり休んでね」
「お前もあんまり根詰めすぎるなよ?」
「肝に銘じておく」
一連の会話を終えてフレンを見送って、玄関でユーリは硬直していた。
顔が赤くなるのはもう止められないし、隣で一緒にフレンを見送ったラピードは(ハンクスはもうすでに寝室で休んでいるので)、そんなユーリを見てため息をつく。
まるで、「しっかりしろ」といわれているようだ。
顔に手をやれば、しっかりと熱が伝わってくる...コレは相当、真っ赤に違いない。
玄関にへたりこんでラピードの首に手を回し毛皮に顔を埋めると、わふ、とユーリを元気付けるかのようにラピードが一声鳴いた。
(反則だろ...)
ユーリの恋心など置き去りにしたまま、あの犯罪級に鈍い幼馴染は爆弾を投下していったのであった。
02.置き去られたまま
お題としては暗めなのかな?というタイトルかも。と思ってはいるのですが。
あくまでほのぼの青春模様でお届けしておりますああ恥ずかしい(私が)
2009/5/6up