それは彼にとっては自然な感覚だった。

フレンにとって、ユーリ・ローウェルという存在はただの幼馴染ではない。
互いに背中合わせであり、時に向かい合い、そして常に隣にあった、家族とも違う存在。
当たり前のように一緒に育ち、こうして大学院までずっと、一緒だった。それは彼にとってはなんとなくではあるけれども極自然なことだった。...ユーリがそばに居ることは、フレンにとって息を吸うくらい、当たり前で深く考える必要も無いことだったのだ。
今までは。
けれども、大学に入り、学部がわかれ(ユーリは生態学を、フレンは法学の門をそれぞれ叩いた)、その頃から段々と、ユーリがそばにいることが当たり前ではなくなっていった。
確かに、お互い忙しかったり、ユーリが研究室に所属してからは特に彼女がサンプリングやデータ収集のために各地を飛び回っていることもあり数週間、顔を見ない事も普通になってしまった。以前は、一日とおかず話をしていたはずなのに。
いつだったか、そんなことを呟いたときに何故か、友人のアシェットに呆れたような顔で、『お前らは今までがベタベタすぎたんだよ』といわれたけれども、そもそもベタベタしていたのではなく、あるべくしてそうあったという感覚しか持っていなかったフレンはその言葉に首を傾げるばかりで。
家が近い事もありハンクス宅を訪ねても、出迎えてくれるのはハンクスと、そしてユーリと一緒に育てた犬のラピードばかりで、彼女に会える回数は本当に少なくなってしまっていた。
(でもこの間は、久々にユーリに会えたな)
少し疲れていたようだったけれども、ケーキを食べる顔は相変わらずとても嬉しそうで、そんなギャップを知っている数少ないうちの一人だと思うと少しばかりの優越感も持ってしまうほど。彼女は普段とてもさばさばとしていてむしろ男らしい部類に入るので、時折見せるそんな可愛らしい側面はとても貴重であるといえる。
データをまとめる事もあるし、オルトレイン教授が講義を持つのでその手伝いもあって暫くはこちらにいるのだといっていた。ならば今夜は久しぶりに飲みに誘おうか、一ページノートを繰りながら、そんなことを考えて少し口角を上げる。
「おんやぁ、青年。なぁに思い出し笑いしちゃってるのよ。おっさんに教えてみなさいな」
思考にふけっていたせいで、その気配に全く気づかなかった。
目の前に、機械でドリップしてくれるコーヒーの紙コップを持ったユーリの指導教員...シュヴァーン・オルトレインを認めて慌ててフレンは立ち上がって頭を下げる。もう、堅苦しいわね相変わらずー、と苦笑気味に言われても、フレンにとって直接ではないにしろ目上の教授である。敬意は払わねばなるまい。
ここいいかしら?と談話室でありちょっとした休憩場所にもなっているテーブルの一つに勉強の道具を広げていたフレンは少しばかりそれを片付けてどうぞ、と示してみせる。ありがとねーとけらけら笑ったオルトレイン教授は、フレンの向かいに腰掛けると、そのまま手に持っていたコーヒーをずずっとすする。
フレンは直接に彼の指導を受けたことは無いが、フレンが世話になっているアレクセイはこの人の旧友に当たり、その接点からかこうして見かければ茶を飲み交わすくらいの仲ではあるのだ。
「相変わらずまじめねぇ。アレクセイの大将も随分期待してるみたいじゃなぁい?」
「いえ、僕はまだまだですよ。...やはり、もっと勉強しないと駄目ですね。国家資格に受かるだけでは、手段と目的がごちゃ混ぜになってしまいますから」
フレンのいらえに、オルトレイン教授は苦笑を唇に乗せた。自分でも堅苦しいとは思わないでもないが、弁護士になるのは随分昔からのフレンの夢であったから、別にこれは苦労でもなんでもないのだけれど。
ユーリに言わせて見れば、どこまでも堅物だよな、お前。とのことである。
「まぁ、苦労と努力は若人の特権っていうしねぇ。頑張りなさいな」
「はい、ありがとうございます」
一見不真面目そうにも見られる言動をするけれども、フレンはオルトレイン教授のことを尊敬していた。一角の研究者であることは勿論だけれども、彼はきちんと周囲に目が届いて、かつ心配りの出来る言動をしている。ぺこりと頭を下げれば、また苦笑の気配がしたけれども、コレばかりはフレンにも譲れないものであるので諦めてもらうことにしている。
「あ、それと」
話の転換を誘う言葉に、フレンは首をかしげた。何か、自分に用事でもあっただろうか。
「なんだか最近ユーリ君お疲れみたいでねぇ。おっさんから言っても無茶しちゃうから、青年からもいってやってくんないかしら。」
「...!!ユーリが、ですか?」
その名前に、びくりと肩が揺れるのをとめることができなかった。
昔から、早くに両親をなくし、暫く親戚の間を平ら回しにされてからハンクス老に引き取られた事もあって、ユーリは無理をしてもなかなか自分の不調を見せることをしなかった。(一番近くに居たはずのフレンですら気づけないことのほうが多かった)
昔など、風邪をこじらせて肺炎になるまで黙っていたこともあったのだ。あの時ばかりはフレンもハンクスも真っ青になったし、真夜中に病院に駆け込みながら何より今は亡きハンクス老の夫人が、あの穏やかで有名だった人が本気で怒鳴ったのをフレンが見たのはあの時ただ一度だけだ。
そのユーリが人にわかるほどに不調だということはつまり相当具合が悪いということで。
フレンは、テーブルの上に出していたノートや参考書を全てきちんと鞄に収めると、ユーリは研究室ですか?とだけオルトレイン教授に聞く。
先ほどから苦笑を載せたままだった彼の表情はさらに苦笑の色を濃くしたけれど、今はそれを気にしている場合ではない。 「済みませんが、失礼します」
「あーはいはい。本当に具合悪そうだったら早退していいよーっていっといてね。授業の手伝いだったら他の子にやってもらうからさ」
「分かりました」

もう一度、立ち上がって礼をして、鞄を抱えたまま足早にオルトレイン教授の研究室へと足を向けたフレンの後姿に、深く深くため息をついた教授の姿を、フレンが見ることは無かった。
「...まぁったく、どーしてあの青年はここまで鈍いのかねぇ。お膳立てするのはおっさんの専門外なんだけど」
すっかりさめてしまったコーヒーの残りを飲み干して、レイヴンはもう一度、去ってゆく金の髪にため息をつく。
特別可愛がっている教え子には笑顔で居てもらいたいものだと思うのだから、コレくらいはおせっかいだといわないで貰いたい。
(王子様があんまり鈍いと、おっさんが貰っちゃうよ?)
黒髪のお姫様の下へ走る金髪の心配性の王子様に心の中だけでそうひとりごちて、レイヴンは空になったカップを捨てるべく、座席から立ち上がった。


「ああやっぱり、熱があるじゃないか。ほら鞄用意して、帰るよユーリ、送るから」
「は?何だお前いきなりはいってきてやぶから棒に...うわちょ、まて、勝手に鞄あさるな」
「携帯財布入ってる。...あとは大丈夫だね、ほら上着。オルトレイン先生には早退していいって許可もらってきたから」
ノックをきちんとしてから、研究室へと入ってきたフレンにぎょっと目を見開いた(それはそうだろう。幾ら同じ大学に通っているとはいえ、学科や学部が違う人間が来ることなんて殆ど無い)ユーリは、挨拶もそこそこにいきなり自分の額に手を当てて顔を顰め、あまつさえ荷物を片付け始めたフレンに泡を食って目を瞬かせた。
ある意味長い付き合いの弊害と言うか、必要最低限の荷物しか持ってこないユーリの性格を読みきっているフレンの手際は恐ろしくいい。
助手であるルブランが目を丸くしてるのには気づいていないのかあえて無視をしているのか、てきぱきと動くフレンにようやく硬直が解除されたユーリは、次いでハンガーにかけてあったユーリのジャケットを取ろうとしていたフレンの手をようやっと止めた。
「お前何勝手に...てかおっさんも何やってんだよ午後授業だろーが...」
ぶつぶつと呟けば、少し怒ったような瞳が此方を睨みすえて少しばかりその迫力に後ずさってしまう。(温厚なフレンが怒ることはめったに無いので、その分怒らせると随分と厄介なのは身にしみている)
「君はどうしてそう無茶ばかりするかな。...随分熱、高いんだよ?気づいてないわけ」
「は?...べ、別にこんくらいなんとも...」
ぐい、と手を引かれて、普段はこれくらいじゃどうということはないはずなのに、足元がぐらりとして思わず倒れかけたところをフレンに支えられる。
奇しくも抱きとめられるような格好になって別な意味で熱が上がりかけたが、慌てて体を離してフレンを睨みすえた。
「何すんだよ、お前俺の母親かっ!!」v 「せめて父親にしてくれよ。...ってそうじゃない。ルブラン先生、ユーリが具合が悪いようなので早退させますが、宜しいですか」
「あ、ああ。構わんが。...あー、ローウェル。別に授業はアデコールかボッコスに行かせるから構わんぞ」
ある意味頼みの綱だったルブランにまでさらりとながらされてしまって、もうこうなればどうしようもない。
確かに朝から微妙に熱っぽいとは思っていたが、改めて他人から突きつけられたことで急激にやってきただるさに、ああこれはまずいと思い始める。
そんなユーリに気づいたのだろう、帰るよ。と背中を押したフレンの手は先ほどとは違いそっと触れる程度のもので、ああ、こいつ随分手大きくなったななんて全く的外れな感想を抱きながら、半ば押されるようにしてユーリは研究室を後にしたのだった。


「...お前、もう止めろよなこういうの」
「だったらユーリが無茶をするのを止めてくれ」
いつもよりも大分早い時間に電車に揺られながら、熱が回ってきてぼんやりしているユーリが呟いた言葉に、形のいい眉を顰めて隣に座ったフレンから律儀な返事が返って来た。
背筋をまっすぐにしているのも辛くなってきたところで、寄りかかっていいよといわれて、普段であれば固辞したであろうけれども、本当にきつかったのでフレンの肩に頭を乗せた。
途端襲い掛かってくる眠気に抗いながら、随分と逞しくなってしまった肩に少しばかり悔しい気持ちが湧き上がってくる。
(昔は俺のほうがでかかったのに)
追い抜かされた身長。なんとなく、そのころから、気持ちも段々とすれ違っていたような気がする。
ずっと同じだ何て、子供じみた執着が過ぎ去って、そのあとに訪れた、恋心という感情。
(...後で絶対文句言ってやる。このネタでおっさんにからかわれるの決定じゃねーか)
まさか当のレイヴンがお膳立てをしたなどとは、熱に浮かされた思考回路では思いもつかず、ユーリはフレンの肩に頭を乗せたまま、はぁと大きくため息をつく。
後三駅。
このどこかわずらわしい距離感を、放り出したくて仕方なかった。


06.過ぎ去った執着




うーむ、お題にあっているのかどうか微妙なところですな。
っていうかユーリ何処の乙女。っていうかフレンどこのタラシ(笑)
相変わらず私だけが楽しいシリーズですゴメンナサイ。
うちのフレンは鈍いです、鈍感です。無自覚さんなだけで、結局のところベクトルはお互いを向いてるから周りがまどろっこしい思いをしてるんですよねー。
2009.6.7up