(...いて...)
熱でぼんやりする視界を無理やり開くと、熱のせいか眼圧が上がっていて、目の奥がずきんずきんと痛んだ。
いつの間に家に着いたのだろう。寝かされていたのは確かに使い慣れた自分のベッドで、額にはご丁寧に冷やされたタオル。流石に着替えまではさせなかったようだが、上着は脱がされてきちんとハンガーにかけられ、鞄も全部、勉強机のところに、つまりは定位置にしまわれていた。
視線だけで部屋を見回し、ああ、フレンか。と納得する。
ハンクスという線もあるが、流石に老体にユーリを二階まで抱えるというのはなんとも無茶というものだ。勿論ラピードだってできるわけはない。ということは必然的に、ユーリを送ってきたフレンがそのままユーリを寝かせてくれたということだろう。
吐く息が荒く、嗚呼随分と苦しかったのだと今更ながらに思い至る。ユーリは昔から我慢強いというか、中々周囲に弱音を吐かない性分であったので、時折こうして倒れてはハンクスや亡き夫人、それにフレンやラピードに大目玉を食らったものだ。
『...本当、可愛くない子ね。にこりともしやしない。なんでこんな子引き取らなくちゃ行けないの』
普段は心の奥にしまってある記憶は、時折こうして心や体が弱るとやってくる。頭の中にフラッシュバックするのは、ユーリの両親が亡くなってから引き取られた、遠い遠い親戚の声。
両親を亡くしてすぐでかたくなでもあったユーリを、可愛いとは思えなかったのだろう。(まぁ当然だ。血のつながりは薄く存在していても、それまで顔も見たことの無かったほどの遠い付き合いだったのだから)どこの家に置かれてもそんな反応ばかりで、ついには話さなくなってしまったユーリを気味悪がって、ある家ではユーリをたった一人はなれに置いたりもした。
寒くて、毛布に包まっても人肌も無く、熱を出しても抱きしめてくれる人もいない。
流石に食事くらいはそこの家族と一緒にとっていたのだが、ユーリが熱を出していたり具合が悪いときはそれも出来なかった。お互いに愛情がないとは言え、それでも誰かのぬくもりが欲しかったユーリは、だからいつしか、不調も何も顔に出さないようになったのだ。
(ま、確かに可愛くねーよな)
今なら、もう少し社交的になっておけばまた少し違ったのかもしれないと思うことは出来る。結局、ユーリは甘えようとしなかったしどの親戚の家でも打ち解けようとはしなかった。それが自分に帰って来ただけの話なのだから。
見かねたハンクス夫妻が自分を引き取るといってくれて、そしてまたこの街に戻ってきて。
フレンが真っ先に自分を抱きしめてくれた。
あの王子様みたいな整った顔をぐしゃぐしゃにして、涙混じりにお帰りユーリと言ってくれた。
フレンの両親も、お帰りなさいといってくれて、そしてハンクスたちが自分をフレンごと抱きしめてくれた。かたくなになってしまった自分の心ごと。
あの時はまだ、フレンのことは大切な幼馴染で親友で、それだけだったのに。
(全く、わかんねぇもんだよな。...アイツに、惚れるなんざ)
幼少期のそんな出来事もあって、愛というものがわからなくなってしまって言葉や表情も失いかけていたユーリのそれを全力で取り戻してくれた人たちには感謝の言葉を幾ら尽くしても足りない。
特に、不器用な自分とは違っていつも体当たりでまっすぐに気持ちを伝えてくるフレンの傍は心地よくて、だからユーリはまた笑えるようになった。
そしていつしか、その傍を離れたくないと切望するようにも、なった。
(...肝心なところで鈍いけどな、アイツ)
あの見た目と性格で、未だに誰とも付き合ったことの無いフレンは、だからこそ幾らユーリが想っても届くことはなくて。
だからこんな風に優しくされることで少しばかりの希望を抱かせる彼は、どれだけ残酷なんだと恨みごとの一つも言いたくなるというものだ。
(あー、頭もいてぇ...)
まるで二日酔いのようにガンガンと痛む頭に、つまりかなりの高熱であったことを今更ながらに実感させられて、我ながら呆れてしまう。
諦めて薬でも飲んでやろうかと体を起こしかけたところで、タイミングよくノックの音。
「ユーリ、起きてる?入るよ」
「ああ...」
どうやら、幼馴染殿は此方の行動などお見通しであったようで、その手に持たれた盆にはお粥、そして水と錠剤の薬が乗せられていた。
なんとなく嫌な予感がして、その粥誰が作ったんだと問えば、ハンクスさんだよ。薬が切れてたから僕は薬局に行ってたから。と応え。...惚れている身としても申し訳ないが、心底胸をなでおろす。こんなに弱っているときに止めを刺されたら、悪いが立ち直れる自信が無い。
置かれた粥に匙をくぐらせて、もぐ、と口に含めば、猫舌の自分のことをよくわかっているハンクスのそれは丁度良く冷まされていてするりと喉に落とすことが出来る。
暫く無言で食べすすめていると、丁度いいところで湯冷ましを渡された。一瞬無言でフレンを見やってから、ユーリは其れを受け取って喉に流し込む。
其れを見て、ふにゃりとフレンの顔が笑った。
「...んだよ」
「いや、食べられる元気があるならよかったなって。だって君、覚えてないかもしれないけど電車降りて暫くして倒れたんだよ?やっぱり一人で帰さなくて良かった」
「...あー、道理で記憶ねえと思ったわ。ってこた、フレンが運んでくれたんだな、サンキュ」
「ラピードが迎えに来てくれて荷物持ってくれたしね」
嗚呼、どうにも出来た飼い犬だ。後でジャーキーでもご馳走しなくては。
今頃呆れ顔で犬小屋に居るだろう相棒を思い浮かべて、ユーリは苦笑いを浮かべた。
「もー大丈夫だ。悪かったな、後は爺さんに頼むから」
「何言ってるんだいユーリ、今晩からハンクスさん、ご友人のお見舞いで二日ほど留守にするって言ってただろう。...こんな君を一人にはしておけないからね、君が良くなるまでは、僕もここに居るから」
...。
ユーリは一瞬、自分の間の悪さを呪った。...なんだ其れ、何の鬼畜フラグだ。
今だって、フレンに抱きついてしまいたい衝動をこらえているというのに、この弱った心じゃ、いつも隠してるものがいつ顔を出したっておかしくないのに。
ぼふっと、布団を頭から被って、せめてもとフレンに背中を向けても、この鈍い幼馴染は駄目だよユーリ、と優しく此方を抱き起こす。
「ほら、薬。飲まなくちゃ良くならないよ」
「おま...人をいくつだと...」
「素直に薬飲んでくれないような人にはコレで十分だよ。ほら、飲んで」
口元に薬と、そして水をあてがわれれば飲まないわけにもいかない。喉を通る違和感をこらえて薬を押し込めば、まるで子供に対しているかのようにフレンに頭をなでられた。
さらに、口をあけて、といわれて素直に応じれば、苺味の甘い飴。
ころ、と口の中に転がる其れは、甘酸っぱい。
そして目の前の幼馴染は、其れを舐め終わったらもう寝てね?と本当に子ども扱いだ。
どうにも其れがいやではないと想ってしまうあたり、自分も相当やられているのではないかと想ってしまうのだがいかがなものか。
暫くコロコロと飴を舐めて、そして最後に、かりっと、飴を噛み砕いてまた、ユーリはぽふっとベッドに横になる。
子ども扱いはされているけれども、フレンの時間や心を今の瞬間だけは自分が占拠できているのだと思うと、嬉しかったから。
...いっそ、こんな恋心廃棄できたほうが、楽だったかもしれないけれど。
「今晩はゆっくり休んで、後でまた、様子見に来るから」
フレンは、ほとんど食べきられた粥の容器やコップを盆に載せながら、布団を被ってしまったユーリに向かって声をかけた。
普段は驚くほど隙が無いくせに、弱っているユーリは少しだけ幼くなるから、なんだか昔を思い出しているようでこそばゆい。
けれども、どんなに弱っていてもユーリが其れを見せてくれるのは自分くらいのものだから、彼女の内側に居られるんだと想うと、此方に背中を向けてしまっているその仕草すら可愛らしいものだ。
だがそろそろ眠らなければ体力も回復しないだろう。フレンはそう判断して、そろそろいくよ、と布団の塊に声をかけた。
けれど。
背中を向けたはずの自分が、ぐいと反対方向に引っ張られて、おや、と目を向く。
首だけで後ろを振り向けば、そこにはベッドの布団の中からにょきりと伸びた、ユーリの左手。
ちらりと、わずかのぞく紫の瞳が此方を伺っているのが見えて、なんともほほえましい。
弱っているときのユーリは、強がるけれど人の気配が恋しくなるようで、だから昔からこうして袖を引かれたものだ。眠るまで、そばに居てくれ、と。
本当にたまの甘えだから、突き放してしまうのも忍びなくて、盆をサイドテーブルに置くと、フレンは再びベッドサイドに腰掛ける。
そして、ユーリの熱を持った左手を、きゅっと握りこんだ。
いつの間にか、自分よりも大分小さくなってしまった、ユーリの手。
いつだってそばに居たはずなのに、いつの間にか、気づけずにいた。
(...無茶するところも、我慢しちゃうところも、全然昔と変わらないのに)
変わってしまったのは自分か、ユーリか。
いつかユーリは自分から離れて行ってしまうのだろうか。ユーリが海外を飛び回るようになってから、そんな想いが強く心の中を締めるようになって、それはフレンに戸惑いを呼んだ。
外出に誘えばいつものように快諾してくれるし、一緒に居ることはとても気安い。けれど、そこにいつしか距離が生まれてしまったような気がして、寂しかったのは事実だ。
(ユーリも、そう想ってくれているのかな...)
この手が、自分に向けられた特別なんだって、思ってもいいのだろうか。
(君の背中合わせが僕だって、思っていてもいいのかな)
すぅすぅと、聞こえてきた寝息とは裏腹に、ユーリの左手はぎゅっとフレンの手を握ったまま離さない。
「...れん」
「ん?どうしたんだい?ユーリ」
ふと、名前を呼ばれたような気がして、フレンはユーリの口元に耳を近づけた。
けれども、どうやら其れは寝言だったようで、瞳は固く閉じられたまま、唇が再び動き出す気配も無い。
気のせいだったかな、と苦笑して、体を起こしかけた、そのとき。
「ふ、れん...す、き」
「へ?」
今度は確実に聞き取れてしまったその言葉は、まさにフレンの頭をガンと殴り飛ばした。
すうすう幸せそうに寝息を立てているユーリから今まさに聞こえてきた言葉は、何かの間違いじゃないのかと、出来もしないのに過去に戻って再生しなおしたくなる。
少しばかり遅れて、言葉の意味を理解したフレンは、ユーリに負けず劣らずまっかっかになる。
「へ...?」
大学において王子などとうあだ名を付けられているフレン・シーフォであるが。
まるで予測不能であったこの事態には、先ほどまでののんびりした心もどこかに置忘れ。
再起動まで、かなりの時間を要したのであった。
07.心の廃棄
えー、一応捕捉しますと。
ユーリ→恋愛感情
フレン→家族感情
...一足飛びにも程があるすれ違いなのでした。ユーリは恋人になりたくて、フレンは家族になりたい。...よくよく考えると両思いのはずなのに、にぶちんフレンの思考のせいでユーリが可哀想なことになってましたね。
家族の前に恋人なんだって思考に至らなかった模様ですよこの方(笑)
残りはフレン君にわてわてしてもらいます♪あと三話で片付くのかこの二人(笑)
2009/6/21up