夢を見た。
自分の手が血の色に染まって、洗っても洗ってもただ鮮血の色がくすみもしないうちにまたこびりつく夢だ。手から引き剥がせない刀は、やがて仲間と呼べる大切な人間たちにまで向けられて、自分でとめることも出来ないままに、止めてくれと一体誰に頼んでいるのかも願っているのかも分からないままに、叫んだ。
--―やめろ、やめろ、やめてくれ。
金髪の友がいた。
青い毛の相棒が居た。
そして背中を預けてきたはずの仲間たちに、どうして自分が刃を向けるのだ。
そう思っても、心とは裏腹に、身体はすばらしくすべらかに剣を振るう。そこに、一切の躊躇も無く。
--―やめろ、やめろ、やめてくれ。
やがて世界が血の池に染まって、見渡す限りに動くものが居なくなっても、その刃は止まらない。
やがて世界は、とても静かになって。
ただ、自分の絶叫だけが、妙に五月蝿く。...まるで、それを他人事のように、眺めていて。
そんな、気持ちの悪い夢だった。
「...おんやぁ、起きたの、青年」
「...ああ」
ユーリは、だるい頭を抱えるようにして暫くぼんやりとしていたが、声をかけられてようやく返事をするに至った。ボサボサの黒髪、紫の羽織、軽薄そうに見えるくせに理知的な若草の瞳。
なんだか見慣れたその姿がどうにもらしくなく心傷気味だった今の自分には安堵をもたらすようであった。
「大分顔色悪いわよ?...そうだ、おっさんクレープ作ったげましょうか。苺もチョコもたっぷりにしたスペシャルにしてあげるから」
普段であれば、匂いであっても甘いものの苦手な彼は、例え絶品を作れるとしても中々甘味の作成には首を縦に振ってくれない。その彼が、こうして自ら提案を出しているあたり、きっと自分は彼に分かりやすく気を使わせるほどに酷い顔をしているのだと気づいてユーリは苦笑した。
まるで子ども扱いだ。...分かってはいるけれども、例え大人になってもそれに甘えたいときはいつだってあるのだ。心が疲れるのは、子供も大人も関係はないのだから。
「あぁ、そうだな。...頼むわ」
「了解♪少し待っててね、すぐ作ってあげるから。ほら、お前さんはとりあえずこれ、お茶でも飲んでおきなさい。頭が少しはすっきりするだろうから」
「ん、さんきゅ」
大人しく水筒を受け取って、背を向けるその姿を見送りながら口をつければ、わずかハーブの香り。確か、薄荷といったか、以前に誰かが教えてくれたような気がする。きつい香りのハーブは余り好き嫌いのないユーリでも好んで使う類のものではなかったが、この薄荷に少しばかり砂糖を垂らした飲み物はよく好んで飲んでいたのを恐らくは覚えていてくれたのだろう。
(芸の細かいことで)
ますます持って、彼は自分を子ども扱いしたいらしい。
だが、何故か嫌な気もしないのは、ついに自分の頭も沸いたからだろうか。
ふわりと顔をなぜる風が気持ち良い。もうすぐ春だ。まだ冷たい水の匂いの中に、芽吹いた草芽のそれが混ざって鼻腔を擽る。
ところどころ雪が残る街道において、五感に緩やかに訴えかけるそれは、外の世界だからこそ鮮明に感じられるものかもしれない。
「ほら、どうぞ」
ぼんやりと流れる雲を眺めていたところで、焼きたてのバターの香りのするクレープが鼻先に差し出されて、素直に受け取って口をつければ、疲労に染み渡るような心地よい甘み。
猫のように細められた若草の目元に、一口目を飲み込んでからさんきゅ、と呟くとドウイタシマシテと応え。後は、ただ黙々とクレープの咀嚼に務める。
「...ねぇ、青年?」
「ん?なんだよ、おっさん」
「...色んなところにいったわねぇ、ブラスティアも無くて、それでもこの足と、たまに船を使えば行けないところなんてないんだわ」
「今更だな。そりゃそうだろ、ブラスティアなんて作られる時代の前から、人間は世界中に生きてたんだ」
「そうね。...そして町が出来て、子孫がそれを伝えた...罪を犯す人間も馬鹿な人間も優しい人間も強い人間も弱い人間も、色んな空の下で生きてきた」
いつの間にか自分の隣に腰掛けてそんなことをぼんやりと呟き始めた彼に、ユーリは半分ほどまで食べ終えたクレープを続けて咀嚼しながら、珍しいことだと心の中で呟いた。彼といえば、大抵のことを明るく誤魔化すことが多いのに。
「色んなところにいったわね。...ねぇ、たまには帝都に行ってみない?ダンクレストでもいいけど。」
帝都、ダンクレスト。
その二言を聞いたときに、ピクリとユーリの肩が動いたのをこの男はきっと見逃さなかっただろう。
それでも見なかったふりをして続けてくる。
「おっさんこれでも頑張りやさんだから、どっちでも顔広いしたまには挨拶しとかないと」
「...おっさんが言ってもな、信憑性無いけど」
「ひどっ!?...いやいや青年、おっさん、これでいてすっごく人望がね?」
「へいへい。...ま、いいけど。別に。目的地なんて端からねぇしな」
クレープの包み紙をくしゃりと潰して、なんてことはなく返すと、少しばかりほっとしたかおで、そう。とだけ返される。...ユーリは、その表情には、気づかないふりをすることにした。
「...」
レイヴンは、立ち上がって荷物を持ち上げて歩き出した彼の背中を、しばし立ち止まって見つめていた。
少し伸びた黒髪はやはり艶やかで、桃色の姫君が見たらうらやましがるだろう。彼女は、彼のあの綺麗な髪に憧れて、あの旅の後は髪を伸ばし始めたのだ。
少し背が伸びた若きギルドの首領は、少し近づいた彼の視線に喜ぶだろうか。いつか追いついて見せるのだと、いきまいていたのだから。
世界を飛び回るクリティアの美女も、世界の可能性を模索し続ける若き天才も、きっと、何もなくなった世界でそれでも前に進んでいる自分たちをこそ、この青年に見せていたいだろう。
彼の青い相棒も、彼の隣にあることをこそ、誇りに思っていた。
それは、彼とは違う道を選んだ彼の唯一無二の親友であっても、同じ。
彼らは誰もが、彼を闇の中にあっても輝くものだと信じている。
「...ねえユーリ、其れは重かった?」
呟きは誰にも届かない。前を行く青年は、その声を拾うには遠すぎる。
不意に、風が起こって彼の黒髪を揺らした。大分に伸びて、腰ほどもあるそれはしかし、艶やかさを一切に失わずにそこにある。
例え、彼自身が何かをごっそりと失っていたとしても、変わらないものがある。
「さてと、おっさんも行きますかね」
彼が振り向く前に追いつこうと、少しばかりレイヴンは歩調を速めた。
「なぁ、おっさん」
隣に並んだところでのユーリの問いかけに、レイヴンは笑顔で答える。なぁに?
「そこに『俺』はいるのか?」
何度目の問いかけなのか、十を超えたところで数えるのをやめた質問。
それに、レイヴンはいつも通りに答える。さぁね。
いつのころからか、『自分』をごっそり(旅の仲間も何もかもを覚えている。けれど、自分だけが自分の記憶からぽっかりとなくなってしまっている)失ったユーリは、酷く名前を呼ばれるのを嫌ったからレイヴンはずっとユーリをユーリとは呼ばずに青年と呼ぶ。ユーリも何となくだろうか、レイヴンのことを名前では呼ばない。
ギルドをカロルとジュディスとラピードに任せ、副帝として忙しいエステルや、新しいブラスティアの代わりとなるものの開発に矢張り忙しいリタたちとユーリを引き離して連れまわしているのは、完全にレイヴンのエゴだけれども。
「さぁて、迷子はいつになったら帰るのやら」
一言小さく呟いて、レイヴンは少しだけ歩調を速めた。
迷子の黒猫
えぇと、設定分かりにくいので補足(をい)
・ユーリは自分喪失です、みんなのことはわかるけど、「知ってる」だけで感情が伴わなくなっちゃってます。あれです、報告書読んでるかんじ。
・自分のことを呼ばれてもピンときません。何度もレイヴンが教え込んでユーリが自分の名前だとは知っているんですが、知っているだけなので呼ばれても中々反応できません。
・流石にこれはまずかろうと、ちょっとヒートアップしちゃった面々から引き離してのんびり二人旅です。
・実はちょっとユーリ病んでます。バイオレンスなかんじに。
えぇと、思いつくままに書いてみたらフリーダムすぎてわけわからなくなったのでジャンクで。
2009/8/2up