僕は君を信じているから。
だから、大丈夫なのだと思う。


群青の賛歌


星喰みがいなくなって、そうして。
フレンが騎士団長になって。そうして。
世界からはブラスティアが消えて、人力と、マナを活用した少しの代替品が人々の生活に浸透し始めた。
ギルドと帝国は少しずつ少しずつは歩み寄ったけれども、お互いに違う存在である。否、同じであっては分かれている意味はない。
だから、お互いを違うものと認めながらも少しずつ共存の道を探してきた。
その懸け橋となっているのがギルド、凛々の明星で、はじめは少人数だった彼らも最近では少しずつメンバーも増えているらしい。(とはいえ、何故か年若い、否幼いギルド員が多いらしいが)首領であるカロルも少しずつその風格を持ち始めている。
若い世代が育つのはとてもいいことだとフレンは思っているし、これからの担い手が頑張っている姿を見るのは自分にも勇気をくれると感じている。

彼らが忙しくなり、そして帝国が抱えていることも山ほどあることから、自然フレンは彼らと会える機会は少なくなった。
副帝として、ハルルとザーフィアスを往復しているエステリーゼとは比較的頻繁に会うこともできるし彼女を介して凛々の明星の話を聞くこともあるが、そういえばもう数カ月は幼馴染の顔を見ていない気がする。
それは、彼らやフレンが目標に向かって頑張っているということでもある。でもそれは、少しさみしい気もする。それは仕方ないことだろう。
少し前までは、一緒に世界を回ったこともあったのだと考えると、我ながらなかなか人にはない人生を歩んでいるものだと思い返される。
「ねぇ。リズ、君のお父さんたちは今頃どこを走りまわっていると思う?」
フレンは、数時間のデスクワークで凝り固まった体をほぐすように伸びをして、そうしてソファーにいる『彼女』に問いかけた。
彼女の名前はリズ。去年の暮れほどに生まれ、まだハルルの樹が満開の季節を迎えていない現在、目下成長中である。子供は一日一日に驚くほど成長するというがまさにその通りで、ついこの間まではほんの小さかったのにと思わずにはいられない。
よく寝、よく遊び、よく食べて、それでいてどこかいたずら好きなのは『彼』に似たからだろうか。

さすがに、去年の暮れにいきなりユーリが窓からあらわれて(どうして、彼は正式な入口を認識できないのだろうか。残念ながらユーリは、出入りが可能な場所が出入り口だと認識しているらしい)、こいつを頼むといわれた時はフレンも一瞬呆けたものだ。
見るからに生まれたばかりで、できるだけ気を使って柔らかい毛布にくるまれてユーリの腕に抱かれてはいたものの、明らかにまだ母親の乳を飲んで育つような状況であったからだ。
赤ちゃんが何者かということよりも、むしろどうして自分のところに連れてきたのかのほうが疑問であったフレンは素直にユーリにそれを尋ねた。
『リズだ』
なのに。ユーリときたらよこした答えは赤ん坊の名前で。
いやそれを尋ねたいわけではないよ。といえば、妙に手際よくミルクやら何やらを勝手にフレンの執務室に並べてゆく。
いやちょっと待ってそれはまずいだろう。確かにフレンの執務室は前のところから(無理やりに、おもにソディアやウィチルたちによって)移されてしまったので、定員数には充分なる余裕は存在するが、そういう問題でもないだろう。
大体、子供を親と引き離すなんて。
『悪いな。でも、お前に頼みたいんだ』
母親は。と問えば、少しだけ伏せられる目。
少し歯切れが悪く、産後の肥立ちが悪くて、子供を産んですぐに亡くなったという答えが返ってきた。
その答えを聞いて、少しだけフレンは悪いことをしたような気持ちになった。そうか、そうなのか。とても、心ないことを聞いてしまった気分だった。
『お前にリズを頼むのはあいつの意思なんだ。』
そう言われてしまえば、そうか。としかフレンにはもういうことができなかった。
それくらい、彼。いや彼らとの付き合いは長いし上辺だけのものではないと確信していればこそ。
確かに、昔に比べればフレン自身が前線に出る機会は少なくなったし、デスクワークのほうがむしろ多いといえるだろう。対して、世界中を飛び回っているユーリたちには、リズを育てるのは難しいのかもしれない。(一見はそうは見えなくとも、ユーリは元来誠実な人間だ。よほどの事がない限り、自分の懐にあるものを投げだすことはない。もしそうするのであれば、そこには必ず理由が存在するはずだ)
リズという名前はだれが付けたんだい?と尋ねれば、エステルだよ。と予想通りの答え。
『本当は、リズじゃなくてもっと長いんだけどな。俺はリズって呼んでる』
それは本名なのかどうかは微妙なところだ。しかし、その名前を呼んだとたんに、ユーリの腕の中の彼女が笑ったような気がしたからリズでいいのだろう。
ユーリはよく人の名前を短くして呼ぶけれども、そこには愛着がこもっているからこそみんなそれを受け入れているのだろうから。
『エステルも時々面倒を見に来てくれる。俺もできる限り来るから』
そうか。そうだね。きっと喜ぶよ。
きっとユーリの腕の中のリズはまだ理解できていないだろう。温かい室内で眠くなったのかとろとろと目を閉じてしまって、くぅくぅと寝息を立てているのだから。
一つの命を預かることを、承諾してフレンは、ユーリの腕の中からリズを受け取った。
ブラスティアが消えてから生まれた命。新しい世界だけを見ていく命。
その命が精いっぱい生きられる世界にしたいという誓いは、きっと口に出さなくてもユーリの心の中にもあるだろうとフレンは信じることができた。
じゃあな。と小さく別れを告げて、雪のちらつく外へと身をひるがえしたユーリを見送ったのが、ちょうど去年の暮れであった。

「全く。結局顔を出さないじゃないか」
苦笑交じりに、フレンはそう言いながらリズの頭をなでてやる。
気持ちよいのか、細められる瞳はとても優しげで。
口では文句ばかりを言うが(『団長閣下に子守りを押し付けるなど!』)、ソディアも積極的に手伝ってくれるしエステルもよく通ってくれる。リズは、さみしがる様子などあまり見せないように思われた。
と。
とんとん。
ノックの音に、フレンは振り返った。
どうぞ、と声をかけるとすぐに開かれる扉。
そこには。
「よう」
久方ぶりにみる、ユーリと、そしてラピードの姿があった。
少し精悍な顔立ちになったユーリと、相変わらずその隣で相棒を務めるラピードの二人揃った姿を見るのは本当に久しぶりで、フレンは思わず破顔してしまう。
お茶でも入れようか。というと、俺がやる。と勝手知ったるなんとやらといった風情で、ユーリがあっという間に簡易キッチンに消えてしまった。
なんとも、あっさりした再会もあるものだ。しばらく会っていなかったのだから積もる話もあるだろうに。
だがそれが彼らしくて、フレンは思わず、ユーリらしいね。とラピードに笑いかけてしまった。
「わふっ!!」
そうだそうだといわんばかりに一声鳴いたラピードを、少しなでてやりながらフレンはそっと、ソファーを振り返った。
「でかくなったな」
ポットとカップを用意したユーリが、それをいったんテーブルにおいてからフレンに言った。彼の視線は、ソファの上、リズにある。
ユーリがリズを見る目は、とてもとても暖かで優しい。...慈しみの目だと言えば、きっと彼はわかりにくく照れて否定するだろうけれど。
「うん。そうだろう?これからどんどん大きくなるんだ」
「エステルが、毎回お土産に何を持っていくか悩むって言ってたな」
「本当、みんな可愛がってくれているよ」
ちょっと、親子水入らずにしてあげようかと言えば、ああ。と応え。
二人をソファに残すようにして、続きの間になっている寝室と、執務室に繋がる扉をそっとフレンは閉じた。


「ついこないだまで、カップに入りそうだったのにな」
「出会ったころのラピードくらいにはなったよね。それでも、まだまだ大きくなるんだろうけど」
ユーリの入れてくれたお茶を飲みながら、戸棚に用意されていたのを出してきたのだろう、クッキーをつまむユーリにフレンは昔を思いおこなしながらうなずいた。
リズ...エステルが名付け親になった子供は、二人の相棒であるラピードの子供の名前である。
ひょんなことからつがいになった相手が、しかし子供を産んだところで不幸にも命を落としてしまったのだ。そして、生まれた子供たちは、皆が必死に飲ませようとしたミルクを上手く飲むことができずに一匹を残して母親の後を追ってしまった。
その中で、唯一生き残ったのがリズだ。そして、彼女はフレンのもとに預けられている。
それはラピードの意思であり、ユーリはそれを尊重した。そして、フレンもそれを受け入れた。
親と離れてしまった事がリズにとってよかったのかはわからない。けれども、確かにあの頃、特に凛々の明星は各地を転々としてモンスター退治の依頼ばかりを受けていたから、幼い子犬を連れていけるような環境ではなかったのも確かで。
エステルに一時的に預かってもらおうかと思案していたところで、ラピード自身がフレンのもとに預ける事を主張したのだ。そして、ユーリがフレンに直接に、リズを託した。
「...離れてても、お前の所なら大丈夫だって。ラピードだってそう思ったんだろ」
「そうかな。...でも、あの災厄の後に生まれた子だから。絶対良い世界を見せるんだぞ...って、毎日思いながらやってこられたかな」
「...騎士団長閣下がご執心なのは、青い毛の美少女ってか。お前、ほんとにまじめな」
軽口を交わすのはいつぶりなのだろうか。それでも、話していると離れていたことを忘れてしまう。
それはきっと、離れていても同じ星を見ていると、わかっているからだろうか。
ユーリが出してきた手に、自分の掌を合わせてぱちんと音を立てた。
にやりとアイロニカルな笑みを浮かべる幼馴染は、確かに前に進んでいる時間の中で、でも決して変わらないものを持っている。
リズが成長するように、きっとフレンだってユーリだって道を歩いてきた。
でもそれだけじゃない。...変わらないものがあるからこそ、前を向くことができる。
「けど、今度は君の子供を預けに来るとかはやめてくれよ?ここが託児所になってしまう」
「残念ながら予定がないけどな。ま、仮にそうなってもエステルあたりが喜ぶんじゃないのか?」
一応釘をさすものの、どうにもあやふやな答えは...若干の不安をフレンに抱かせるのだが。
本当だろうね?と目を細めれば、お前そこは信じるところだろ!!と憤慨するユーリ。彼の手から、ひょいとクッキーを奪って口に放り込んだフレンは、おい!と半分くらい本気で唇を尖らせた彼に心の中だけで笑いながら、わかってるよ。とやはり心の中だけでつぶやいたのだった。





...多分、最初からみなさんわかってたんじゃないのかなぁとは思いますが。
ええ、リズちゃんはラピードの子供ですよ。映画版の仔ラピちっくです。名付け親はエステリーゼ様。一応、リズなのでエリザベスとかかなぁとも思ったんですが、なんだか豪奢すぎるので、きっとリザベルとかそこらへんじゃないでしょうか(適当)
ただ単に、子犬可愛がりなフレンを書きたかっただけです。騎士団長閣下は、さすがに子犬用のミルクまでカスタマイズはしないので(そのための保険でユーリが全部最初に用意したという)、リズも大きく育てたようですね。
尻切れトンボなのは、オチをつける予定が最初からなかったという(^o^)/
2010.3.22up