昨日あったばかりだというのに、彼はまた少しやつれているような気がする。
それでも、艶やかな黒髪や、光の加減で紫にも見える黒曜石の瞳、それに白磁の肌はそのままで、しかし頬やところどころに、少し肉が削げたような影を落としている。
けれども、いつも通りの、少しだけ皮肉めいたような笑みを浮かべて迎えてくれるのだ。
「よう、フレン、ラピード」
そもそも、身分ある者の謹慎や軟禁に使われてきた経緯のあるこの塔は、ザーフィアスの城の中でも奥まった場所にあり、周りをまるで森ではないかと言うほどの木々に囲まれている。
フレンも、此処にくるまでには馬を使ったほどだ。歩くには、少しばかり距離が遠すぎる。
塔の中、私室として与えられている場所のほんの一角だけを巣のように使っている彼は相変わらずで、ベッドの上でごろりと目をつぶっていたところを此方の気配を読んでか身体を起こして向き直った。
普段は、クールで、決して人懐っこいとは言えないラピードが、駆け出すようにして主人...ユーリの元へと飛び込んだ。ユーリは、笑いながらラピードを抱きしめ、その首を撫でてやる。
べろりと、親愛の情を込めるように顔を嘗め回す彼は、彼なりの葛藤があるのだろう。二人とも、ラピードのやりたいようにさせてやるつもりでいたから、あえて口を出すことはしない。
「火を借りるよ。...おかみさんのシチュー。それにカスタードもあるんだ。今日は随分冷えるからね、飛び切り美味しいと思うよ」
「お、そりゃラッキーだな。...ラピード、ベッドに乗るなら足ふけ足。」
鍋を抱えて、部屋の中に備え付けられている調理場の台の上に置き、アスピオで最近研究されているのだというイフリートのマナを使った調理設備にスイッチを入れる。程なくして、くつくつと鍋底から音が出始め、くるりとお玉でかき回してやれば、ふわりと生クリームとバターの匂いが部屋の中を満たす。
暖房設備も、一通り整っている。こればかりは薪だが、それでも日に一度必ず燃料は補給されるし食事も届けられている。
けれども、この部屋は、いつも寒いまま。
食事も一度も手を付けられたことはないと、いつかソディアが言っていたのを思い出す。
二人分のシチュー皿と、そしてラピードのためにたまねぎをよけてよそった深皿を用意して、一つを床においてやる。
食べようか、と声をかければ。ん、といつも通りの答えが返ってきて、二人は特に言葉を交わす事もなしに備え付けられているテーブルについてスプーンを取る。
わざと、ユーリの座る足元近くにおいてやった皿を、ラピードは器用に口元で引き寄せてユーリの足に殆ど寄りかかるようにしてシチューを食べ始めた。
昔、ユーリにくっついて離れなかった子犬の頃のような甘え方は、何となくフレンの鼻の奥をつんとさせる。
「...また、腕上げたなおかみさん」
「そうだね...おかわりは?」
「あー、んじゃ、もうちょっと」
「はいはい」
一日に一度、夕飯を必ずともにするようになったのは、ユーリがこの塔に移されてすぐのこと。
そのときから変わらず、食事のときだけはユーリもフレンもまるでいつもの日常のように、他愛もない話をして、笑って、そして二人と一匹の時間を過ごす。
クリスマスが近づくに連れて、この期限付きの穏やかな時間の終焉のカウントダウンが始まって、時折叫びだしたくなる衝動に駆られたのは一度や二度の話ではない。
けれども、ユーリが、最後のその瞬間まで、フレンと、そしてラピードと少しでもともに過ごすことを望んでいるから...せめて、それくらいの事を叶えたいと誓ったのだ。
...そして其れは同時に、ユーリと離れたくない自分たちにユーリが残してくれる精一杯のものであるのだと気づいていたから。
食事を終えて、カスタードを温めてユーリの入れてくれた紅茶と一緒に食べていると、行儀悪く頬杖をついたユーリが苦笑しているのに気がついて首を傾げる。
「ん?どうしたんだい、ユーリ」
「いや、お前いい奥さんになりそうだよなと思って」
「...僕は男なんだけど?」
「知ってるっての。たとえだたとえ」
いつも通りの口調、いつも通りのユーリ。
それなのに、彼は今も少しずつ、あの自分たちで打ち勝ったはずの星食みへと変わっているのだという。...同じものを美味しいといい、笑い、話す彼が、世界を蝕むものへと。
づくりと胸が痛んだ。
うまく笑えていないと思う。...でもユーリはきっと、見ない振りをしてくれているのだと思う。
(せめて本当の時間を作りたいと願って此処に通っているのに、ずっとずっと僕は嘘ばかりついてうわべだけの平穏を壊したくないんだ)
世界は、少しずつ立ち直りを見せている。
エアルがマナに変わったことによって、エアルで凶暴化していた魔物たちが少しずつ鎮まり始めている事もあり、各地の交流も活発になっていると聞く。
実際、フレンも騎士団を率いて世界中に赴いたけれども、ちゃんと人々は前を向いていた。
便利なものがなくても、作り出す努力をすればいいのだと、気づかされた。
なのに。
(その世界の中に君が居ない)
たとえ進む道が違っても...交わした剣が、遠い遠い昔のことのように感じる。
彼はいつだって、自分の守りたいものを間違えずに、自分を貫き通してきた。
そして、今でも。
「クリスマスキャロルが流れているよ。皆、一生懸命練習してる。テッドなんて、今年は子供達のリーダーを任されているからすっごく張り切ってるよ」
「そっか...まぁアイツならちゃんとやれるだろ。いいクリスマスになるといいな」
「そうだね」
ユーリの言葉に頷きながら、震える手をなんとかこらえてティーカップを持ち上げた。
少し蜂蜜の入った甘い紅茶はユーリの好きな味。
「ジュディスに、君に宜しくと伝えてくれといわれたよ」
「そうか。...元気そうだったか?」
「うん。いつでも攫いに行くから、だって」
「はは、怖いな」
(どうして君は笑うんだ、どうして)
ユーリの視線が、ふと外に向けられた。
粉雪がちらついてきたのだ。かたん、と窓を開けて手を伸ばしたユーリは、手についたとたんにするりと解けて消える雪を、けれども飽くことなくすくい続ける。
「風邪、引くよ」
「...こんなんでひくかっての。ホワイトクリスマスだな、今年は冷えそうだ」
「うん...」
「なぁフレン」
「なぁに、ユーリ」
出来るなら、来年だって君と一緒にクリスマスを迎えたいのに。
「...もう、温度感覚がない」
残酷だった。
彼の口から、彼が人間でなくなっている証を聞くのは。
ユーリは振り向かずに、ただ夢中になって雪をすくいながら、何のことはなしに続ける。
「自分の始末は自分でつける。...お前も、誰も背負う必要なんかねぇよ」
フレンは、それ以上彼の声を聞いていたくなくて、耳を塞ぎたかった。
ユーリは、かつて自分が尊敬の念を抱いたドン・ホワイトホースの命の終わりすら引き受けて背負って見せた。キュモールも、ラゴウも、ずっとその背中に背負い続けてきた。
だからこそ、命を背負う重さを知っているからこそ...この先に誰も、自分のことで気を病むことがないように、ただ其れだけを願っている。
「...どうして、クリスマスを選んだの」
核心に触れるような言葉には、きっとフレンの心が耐え切れない。
だから、フレンは逃げるように、話題を無理やりに変えた。
こちらを振り向く彼の顔は苦笑だ。...いつもみたいに、仕方ない奴だなと笑っているのだろう。
それでもよかった...それでも、そんな顔でもまだ、見ていたかった。
「クリスマスキャロルがレクイエムなんて、オツなもんだろ」
目の前がぐにゃりとゆがんで、ようやっと、自分が泣いているのだと気づいた。
彼に抱きついて、泣きじゃくる自分を、ただ彼はずぅっと、抱きしめてくれていた。
フレユリだと言い張る(をい)
2009/12/13up